米大統領選で激戦を制し勝利をつかんだ共和党のトランプ前大統領。「もしトラ」などと呼ばれた様々な懸念が現実のものとなり、民主主義国家を牽引する超大国の「米国第一主義」への回帰に世界中が戦々恐々としています。
外交政策に関しては、「場当たり的」…という表現が最も的を射ていた第一次トランプ政権ですが、それでも軍事的な介入にはそれなりに慎重な姿勢を保ってきた観があります。そして今回も、対外政策の主戦場は、(彼が自身の「得意分野」と考えている)「経済戦争」にもつれこまれそうな気配です。
トランプ候補のキャッチコピーであった「MAGA(Make America Great Again)」の基本政策は、「米国の利益を害する…」と判断した他国をターゲットに保護主義的な攻撃を加え「米国一国主義」を進めようとするもの。そこには、他国と共存協力しながら世界経済のパイを大きくしようという発想は微塵もありません。
実際、彼の公約の中で最も危険視されているのは関税率の引き上げで、全輸入品に10~20%の追加関税をかけるとしているほか、特に中国には全輸入品に60%の関税を、さらにメキシコからの輸入自動車にも100~200%の関税をかけるとアピールしています。
もとより、輸入外国製品に軒並み高率の関税をかければ、それを(直接・間接に)負担するのは消費者である米国民であることは間違いありません。さらに、この関税引き上げや、同紙が主張する減税などの景気刺激策が物価押し上げ要因となり、米市場でインフレが再燃する懸念が高まっています。
複雑に絡み合った世界市場を(分かり易く)「敵」と「味方」に分け、「悪者を叩く」ヒーローとして人気を集めたトランプ氏。「我々が今虐げられているのはアイツが悪いから」と名指しするその手法は、一見かっこよく見えるけれどかなり的外れなものも多いような気がします。
まあ、それはこの日本においても同じこと。(長く続いた安倍政権の記憶を振り返るまでもなく)悪者を設定しては排除するという「分断の手法」が大手を振ってまかり通ってきた状況に、そんなに違いはないのかもしれません。
トランプ氏の返り咲きにそのようなことを感じていた折、11月11日の経済情報サイト『現代ビジネス』(2024.11.11「なぜ日本はここまで衰退したのか…意外と知らない、多くの人が取り憑かれた病理の正体」)に、慶應義塾大学准教授の岩尾俊兵氏の近著『世界は経営でできている』の一部が紹介されていたので、参考までにその指摘を残しておきたいと思います。
現在の日本に普及しているものに、「価値は有限でしかありえない」という(致命的に)誤った観念がある。石油などの資源もない中、戦後の焼け野原からたった20数年で世界第2位の経済大国になった「価値創造大国」の日本が、こうした諦念に支配されること自体不合理極まりないと、岩尾氏はこの著書に記しています。
氏によれば、そこには不合理を後押しした世界情勢もあった由。資本主義と国際化と不換紙幣制度が出会ってまだ半世紀。この半世紀で、人類は初めて通貨の価値が国際的に極端に変動する社会を経験したと氏は言います。
その結果として、(世界中が)手段であるはずの「金銭の価値」に過度に振り回されるようになった。国際政治によってつい最近まで円高・デフレ誘導されてきた日本は、なおさらだったということです。
「価値は有限」とする思い込みが流行するとともに、「価値を誰かから上手に奪い取る技術」を売り歩く人々が跋扈した。多くの人が「経営」の概念を誤解し、経営を敵視するようになった。そうするうちに本来の経営の概念は、狡知の概念と入れ替わっていったと氏はしています。
もし価値が一定で有限ならば、誰かが価値あるものを得ているのは別の誰かから奪っている以外にありえない。善人対しても「我々に気づかせないほど巧妙に、我々の価値を奪っているのでは」という疑念がよぎるようになったということです。
こうした誤った感覚の下に、現状を誰かのせいにする言説が流行。若者が悪い、高齢者が悪い、男性が悪い、女性が悪い、労働者が悪い、資本家が悪い、政治家が悪い、国民が悪い…、結果、現代では誰もが対立を煽る言葉に右往左往しているというのが氏の指摘するところ。「自己責任論」という名の責任回避の詐術に全ての人が疲弊させられ、誰もが別の誰かのせいにし、自ら責任を取る人はどこにもいないかのように見えるということです。
これは、まるで日本の戦争責任問題と同じこと。国民は官僚が悪いといい、官僚は軍部が悪いといい、軍部は政治家が悪いといい、政治家は国民が悪いといって責任の所在が消えてしまう。そのうちに「空気が悪い」「時代が悪い」ということになる、「総・無責任体制」だと氏は話しています。
だが、本当の責任は、(その大元にある)「価値有限思考」にあるというのがこの問題に対する氏の見解です。それ自体、特定の人間のせいではなく、私を含めすべての人に大なり小なり巣くっている思考がなせる業。もちろん、政治家や経営者など、多数の人生に影響を与えてしまう職業であれば、思考に対する責任がより大きいのは言うまでもないということです。
価値有限の言説を得意げに吹聴する人も、価値あるものは無限に創り出せるのに、自分には無理だと思い込んでいるだけのこと。しかし、こうした思考は捨てられると氏はこの著書に記しています。「価値」とは無限に創造できるもの。そして、価値が無限に創造できるものならば、他者は奪い合いの相手ではなく、価値の創り合いの仲間になれるということです。
「自分が享受すべき利益を誰かに収奪された」という発想からは、価値の創造は生まれない。狭い思考に可能性を奪われ、限られたパイを奪い合っているだけでは未来も幸せも得られないということでしょうか。
話を国際社会に戻せば、そこに「新しい価値」を生み出すことができれば市場や経済が共に成長し共存していく道は開けるはず。互いに持っているものを分かち合い、「敵」を「味方」につけることができれば今よりも何倍も大きな富が生まれる可能性も生まれてくるのになと、記事を読んだ私も改めてそう感じたところです。