作家の橘玲氏は、2018年7月23日の総合ビジネス情報サイト「BISINESS INSIDER」に、『朝日新聞はなぜこんなに嫌われるのか——「権力批判はメディアの役割」という幻想の終わり』と題する一文を寄せています。
時はまさに安倍政権の政権末期。翌年4月の平成天皇の退位を控え、アベノミクスの評価や「消費税の8%から10%への増税」の是非などが世に大きく問われていた時代の話です。
橘氏はこの論考に、「東京大学新聞社が毎年新入生を対象に行なっている調査によると、自民党の支持率は近年劇的に上昇している。今年4月の調査では36%に達し、過去30年で最高を記録した。特に70%前後を占めていた『支持政党なし・わからない』という無党派層の変化が大きい。2013年以降は10ポイント以上減り、その分自民党支持が増えている」と綴っています。
一方、それに対抗する勢力として官邸前でのデモの様子を見ていると、「シニア左翼」「リベラル高齢者」の姿が目立つというのが、この論考で氏の指摘するところ。揺るがぬ安倍政権の支持率を見て、「リベラル」な人たちが「日本は右傾化した」と嘆く中、「私は(←橘氏)はこの見方には懐疑的な目を向けざるを得ない」というのが氏の認識です。
国会前で「民主主義を守れ」と気勢をあげている人たちの多くは、1940年代後半に生まれた全共闘世代。彼ら団塊の世代がある意味、戦後日本の価値観を決めてきたわけだが、彼らが今本当に守ろうとしているのは「民主主義」ではなく自らの「年金」。なぜなら65歳以上の44%、70歳以上では60%が「年金以外の収入がないから」だと氏は話しています。(厚生労働省「老齢年金受給者実態調査」、2016年)。
それに対して若い世代は、自分たちがいくら年金保険料を払っても、将来彼らのようには受け取れないことを知っている。急速な少子高齢化によって制度の支え手が減っていく以上、若い世代の不安には確かな根拠があるということです。
しかし、モリカケ問題や反原発に大きな声を上げるシニア左翼も、「年金なしでどうやって生きていけばいいのか」と将来を心配する若者たちのためには一切動こうとしない。そんなシニア左翼が「リベラル」を自称しているのだから、若い世代が胡散臭いと感じるのは当たり前だと氏は言います。
そうした中では、「権力を監視する」という錦の御旗のもと、安倍政権のやることなすこと批判する(朝日新聞に代表される)ジャーナリズムは、もはや説得力を持ちえない。権力は「絶対悪」で、それを批判する自分たちは「絶対善」という偏狭なイデオロギーは、むしろ彼らの格好の批判の的になるということです。
さて、メディアに対するそうした批判を下敷きにして、今年8月に新著『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)を脱稿した橘氏は、その「あとがき」に新聞を中心としたマスメディアの偽善について綴っています。
権力批判を唯一のよりどころとする(朝日新聞に代表される)メディアの偽善がもっともよく表われているのが、子宮頸がん(HPV)ワクチンに対する報道だったと氏はこの「あとがき」で振り返っています。
2015年、名古屋市で子宮頸がんワクチンの副反応を調べる7万人の疫学調査が行なわれた。これは国政時代にサリドマイドやエイズなどの薬害の悲惨さを知った河村たかし名古屋市長が「被害者の会」の要望で実施したもので、名古屋市立大学による検証結果は「ワクチンを打っていない女性でも同様な症状は出るし、その割合は24症例中15症例で接種者より多い」という驚くべき内容だったと氏はしています。
しかし、この“事実(ファクト)”は、被害者団体の「圧力」によって公表できなくなってしまう。そしてこのことを(十分)承知していながら、各メディアは反ワクチン派と一緒になって科学的な証拠(エビデンス)を握りつぶしたということです。
(こうした状況を受け)医療ジャーナリストの村中璃子さんは『10万個の子宮』(2018.2平凡社)を著した。事実に基づかない反ワクチンの煽情的な報道によって接種率が約7割から1%以下まで下がり、それによってHPV(ヒトパピローマウイルス)に感染することで10万人の女性の子宮が失われると警鐘を鳴らしたということです。
村中さんは『10万個の子宮』において、子宮頸がんで反ワクチン報道をしたメディアとしてNHK、TBS、朝日新聞、毎日新聞が名指しで批判したが、ここで強調しておくべきは、これらのメディアが“リベラル”を自称し、森友学園や加計学園など安倍晋三元総理が関係する“疑惑”について、もっとも声高に検証と説明責任を要求していたことだと氏は言います。
だとしたら、自分たちが(10万人が子宮頸がんに罹患するという)巨大な人災を引き起こしたことについても、検証と説明責任を率先して果たすべきだった。しかし、気が付けば各メディアともそんな報道などまったくしていなかったように振る舞い、最近では「HPVワクチンを接種しよう」などという啓発記事を載せる厚顔ぶりを見せているということです。
いまさら言うまでもないが、メディアにとっての「正義」は他人(権力)を批判する道具であるはず。なのに、今回の一件で、報道とは読者を扇動してお金を稼ぐビジネスだということが改めて明らかにされた。これでは、ジャーナリズムの価値は地に落ち、どこにも「真実」はなくなってしまうというのが氏の見解です。
ファクト(事実)が「オルタナティブファクト」に置き換えられ「現実世界が融解していく」ことについて、マスメディアではインターネットやSNSばかりが犯人扱いされる。しかし、実際にその背景にあるのは、ご都合主義的な報道によってマスメディアへの信頼感が失われつつある現状があると氏は話しています。
そうした不信感の中では、正統派のジャーナリズムがポピュリズムに屈していくのは「自業自得」というももの。このようにして私達は、「ポスト・トゥルース」の陰謀世界に放り込まれていくのだろうと語る橘氏の指摘を、私も大変重く受け止めたところです。
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