昨年暮れに発表された学研ホールディングス(東京都品川区)の調査結果によると、小学生と中学生が2023年にもらったお年玉の総額平均は、それぞれ2万1064円と2万7255円だったということです。
過去と比較すると、小学生は2020年の2万1241円に届かなかったものの、2年連続の減少からようやく増加に転じたとのこと。一方、中学生では2020年から3年継続して減少傾向にあるということです。
賃金の低迷が主なデフレ要因と指摘される日本経済ですが、日本の労働者の生産性の低さが中学生のお年玉にまで影響を与えていると思えば、それはそれで可哀そうな話です。
さて、肝心のお年玉の使い道については、小学生の主な使い道の1位は「貯金」(61.8%)とのこと。以下、2位の「おもちゃ」(23.1%)、3位の「ゲーム機・ゲームソフト」(20.5%)と続くわけですが、女子では2位に「お菓子などの食べ物」(23.5%)が食い込んでいるなど、意外に可愛いところもあるようです。
一方、少し大人になった中学生の使い道については、1位は小学生と同じく「貯金」(56.8%)とのこと。2位は「お菓子などの食べ物」(23.2%)、3位は「本・雑誌」(22.8%)と続き、案外「固い」お金の使い方に驚きます。なお、やはり女子の2・3年生では「洋服などの衣類」(2年生33.7%、3年生44.9%)が入っているということで、男女で消費性向に少し違いがあるのも「なるほどな」といったところでしょうか。
それにしても、小学生、中学生共に半数以上がお年玉の使い道に「貯金」を挙げているのは、何とも「子供らしさ」のない話。せっかく両親や祖父母からもらったお年玉なのですから、今必要なものを手に入れるために使ってみたらどうかと考えるのは、私自身が余命の少ない高齢者だからでしょうか。
お年玉の記事にそんなことを感じていた折、元ゴールドマン・サックスのトレーダーの田内 学氏が1月13日の総合経済サイト「東洋経済ONLINE」に、『子どものお年玉「貯金させる親」が少し残念なワケ』と題する一文を寄せていたので、参考までにその一部を小欄に残しておきたいと思います。
今も昔も、お年玉は子どもにとっての一大イベント。クリスマスや誕生日など、プレゼントをもらえる機会は数あるものの、(まとまった)お金をもらえるのはお年玉以外にはありえない。そして多くの親たちが1万円札を数える子供に対し、「たくさんもらったから、将来のために貯金しとこうね」と声をかけていることだろうと、田内氏はこの論考に綴っています。
かくして、お年玉の使い道の86%が「貯金」に振り向けられているという話もある。せっかく、子どもに「お金の教育」を実践するチャンスなのに、これは実にもったいない話だと氏はここで指摘しています。
では、どんな「お金の教育」をすれば良いというのか。昨今、NISAが拡充され、「お金の教育」として「投資教育」をすすめる人も多いかもしれないが、私は子どもたちにはもっと大事なことを学んでほしいと思っている。それは、「お金の増やし方」ではなく、「お金の減らし方」だというのが氏の主張するところです。
お正月の(団欒の)定番のボードゲームに、「人生ゲーム」というものがある。生まれてから死ぬまでのさまざまな人生のイベントをすごろく形式で経験しながらお金を増やしていくもので、最終的には所持金が多い人が勝ちになる(…そして人生の厳しさを知る)と氏は説明しています。
しかし、改めて考えてみれば、これは随分と「奇妙な話」だというのがこの論考における田内氏の意見です。現実世界でも、将来に向けてお金を貯めておこう、増やしておこうと考える人は多いだろう。勿論、その行動自体は間違っていないが、それ自体は「いつかはお金を使う」ことを想定しているからこその話。死ぬときにいくらお金をたくさん所持していても、それ自体で勝ったことにはならないだろうということです。
本来、お金は「増やすとき」ではなく「減らすとき」、つまり使うときに幸せを感じるもの。つまり、子どもに教える順番としては、まずはお金の「使い方」であるべきだと氏はしています。お金を使うことで、どのように自分が幸せになるのかをまず学ぶ。そのうえで初めて、お金の必要性というもの理解できるということです。
他方、ただ単に「将来のために貯金しとこうね」と言われても、将来どのようにお金が必要になるのかがわからなければ、貯める目的も理解できない。それに、(これはどんな教育にも共通することだが)人は失敗を通して学んでいくもの。大人になって社会に出てから失敗しないように、子どものうちに失敗を経験することは大事だというのが氏の指摘するところです。
お金で失敗する場合、その多くはお金の「使い方」の間違いで、お金の「貯め方」で失敗したという話を聞いたことはないと田内氏は話しています。使い方に失敗した経験があればこそ、お金を大切に使えるようになる。(当たり前のことですが)肝心なのは、貯めたお金を「どう使うか」ということだということでしょう。
氏によれば、戦後復興から高度経済成長を迎えるまでの日本はモノが不足しており、結果として消費選好の社会(モノを欲しがる傾向が強い社会)が続いていたそうです。冷蔵庫、テレビ、クーラー、自家用車など、人々の日常には欲しい物や買いたいものが溢れていたということでしょう。
ところが、現在のように経済が成熟してくると、ある程度物質的に満たされるようになり、資産選好の社会(モノを消費することではなくカネを持つこと自体を目的化する社会)に変化してくる。そして、この「資産選好」の社会に慣れてしまうと、「人生ゲーム」のようにお金を増やすことが目的になっても、違和感を覚えなくなってしまうということです。
1980年代の日本は、バブルがはじける前で、世の中はまだ消費を好んでいた時代にあった。大人たちも今ほどは貯金に回すことなく消費を楽しんでいたので、子どもたちも大金をどのように使えば自分が幸せになるのかを自然と考えていたはずだと氏は話しています。
ところが、現代社会ではお金の使い方を学ぶ機会が明らかに減っている。将来、お金の使い方で失敗させないためにも、親がかけるべき言葉は「将来のために貯金しとこうね」ではなく、何にお金を使ったらいいのかを一緒に考えたり、「貯金するくらいなら没収します」くらいのことを言ったほうが子どもの教育になるというのが氏の感覚です。
お金は紙切れであり単なる硬貨なので、(リアルの人生で)それを集め続けてもあまり意味はない。多くの日本人がずっと働き続けてお金を貯め、みなさん「老後のための貯金だ」などと言っているが、お金は楽しい経験に費やしてこそ、より稼ぐ力も磨かれていくということです。
言い換えればそれは、お金(の価値)は使うところまでがセットだ」ということ。しばしば人は、「お金があれば幸せになれる」と勘違いしているが、お金を貯めるだけで本当に幸せになった人に会ったことはない。お金は使ってこそ幸せになれるものだと氏はこの論考の最後に綴っています。
大切なのは、お金を増やすことではなく、そのお金をどこに流してどんな社会を作るかというところにある。活用されないお金は(結局のところ)ただの数字が書いてある紙切れに過ぎないと考える田内氏の視点を、私も大変興味深く受け止めたところです。
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