12・12・14
ー思い方も修行?ー
「おじさんが読む赤毛のアン」が
このブログのスタートでした。
何故赤毛のアンに着目したか、と云えば、
私自身が立ち直りたかったからです。
倒産してヤクザと裁判に追われ一段落したとき、
赤毛のアンは親も兄弟も、頼るべき親戚もいない。
着ているものだって、誰かのお古、サイズは勿論合わない。
痩せっぽちで髪の毛は赤い、顔は雀斑だらけです。
一言でいえば生きて行く上で大切な
力になるものは全てない。
やがて周囲の人を幸せにし、自分も幸せになる。
それに比べれば、いくらか私の方がまし…
赤毛のアンを愛読したのは、
そうした事情があったからです。
一言でいえば、
アンは「思い」だけが武器、
思いにはそうした力があるらしい、
と思った。
そして今年2月1日から3月31日までの60日間、
豆本小説と称して1千字程度の物語を書いた。
天風師の誦句集「想像力の誦句」を書き写して気が付くことがあった。
「想像の作用を正確に応用すれば…」
知識としては知っていた、知っている。
「正確に応用すれば…」どのように応用したら良いか、見当も付かない。
豆本はストーリーを想像するだけ。
それでも何か按配が良い。
思いも練習を積むべきこと、
思い方を練習する。もっと砕いて言えば
強く思う訓練なしに思いは湧き出てこない。
今迄須らくそうした傾向がありましたが、
熱心に研究し、解釈しようとしていました。
ホンのチョッと
思う訓練をしましょう。
訓練するのと、解釈するのは
全く次元が違います。