柳葉敏郎さんの演ずる渡辺晋氏が 「ザ・ヒットパレード~」と言う
番組を企画し、それを機に次々と今の芸能界の礎を築き上げたお話。
早稲田大学法学部在学中、人数合わせのため
アルバイトで、弾けないベースを手にすることになった渡辺氏が
松本英彦、中村八大らと『渡辺晋とシックス・ジョーズ』を結成し
やがてはプロダクション経営を考え始め、
1955年妻の美佐さんと共に渡辺プロダクションを設立。
(宮川泰氏は八大さんが作曲活動に入る為退団の後任者)
当時、芸能人の地方公演はそれぞれの土地の興行師が実権を握っており、
まして戦後・・・芸能人の方たちの生活は不安定。
それでも「笑顔のキャッチボール」をスローガン(?)に持ち前の明るさで奮闘努力。。。
レコード会社の専属抱えだった歌手・作詞家・作曲家を
渡辺プロの傘下に集結させ、芸能界初の月給制を導入したと言う。
折りしもフジテレビ開局に当り「すぎやまこういち」氏が
ラジオからTV界に(プロデューサー)・・・
当時テレビは生放送、準備中もカナリの緊張感が漂っていた模様。
果たしてその番組が支持されるのか否かは皆目???
予算もどうしたらよいか分からない中のすぎやまこういち氏に
渡辺晋氏は・・・
「自分のプロダクションのタレントを無償で出演させる」と言う。
この事によって「笑顔のキャッチボール」を念頭に、「ザ・ヒットパレード」の誕生と相成ったようです。
当時、ザ・ピーナッツは無名の新人だったとか。
晋氏とハナ肇とクレージーキャッツ 、すぎやまこういち氏、青島幸男 氏の織り成す人生ドラマ。
兎に角感動しました。
番組を企画し、それを機に次々と今の芸能界の礎を築き上げたお話。
早稲田大学法学部在学中、人数合わせのため
アルバイトで、弾けないベースを手にすることになった渡辺氏が
松本英彦、中村八大らと『渡辺晋とシックス・ジョーズ』を結成し
やがてはプロダクション経営を考え始め、
1955年妻の美佐さんと共に渡辺プロダクションを設立。
(宮川泰氏は八大さんが作曲活動に入る為退団の後任者)
当時、芸能人の地方公演はそれぞれの土地の興行師が実権を握っており、
まして戦後・・・芸能人の方たちの生活は不安定。
それでも「笑顔のキャッチボール」をスローガン(?)に持ち前の明るさで奮闘努力。。。
レコード会社の専属抱えだった歌手・作詞家・作曲家を
渡辺プロの傘下に集結させ、芸能界初の月給制を導入したと言う。
折りしもフジテレビ開局に当り「すぎやまこういち」氏が
ラジオからTV界に(プロデューサー)・・・
当時テレビは生放送、準備中もカナリの緊張感が漂っていた模様。
果たしてその番組が支持されるのか否かは皆目???
予算もどうしたらよいか分からない中のすぎやまこういち氏に
渡辺晋氏は・・・
「自分のプロダクションのタレントを無償で出演させる」と言う。
この事によって「笑顔のキャッチボール」を念頭に、「ザ・ヒットパレード」の誕生と相成ったようです。
当時、ザ・ピーナッツは無名の新人だったとか。
晋氏とハナ肇とクレージーキャッツ 、すぎやまこういち氏、青島幸男 氏の織り成す人生ドラマ。
兎に角感動しました。