五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

吉田久太郎氏の五高端艇部発展努力

2009-05-01 04:14:54 | 五高の歴史
吉田久太郎の五高端艇部の活躍を見ると明治29年9月法科入学とともに端艇部評議員に任命され、明治30年5月20日の「端艇部拡張趣意書」に中川元校長、桜井房記教頭、夏目金之助部長?と共に、生徒評議員としてその名を連ねている。更に明治31年10月には桜井房記端艇部監督、杉山・田丸両教授端艇部会計事務の下生徒評議員に任命されている。同時に長崎の造船所視察のため派遣され、翌年1月には篠本教授とともに再び長崎の池永造船所に赴き四橈艇4艘を発注している。このように五高端艇部の発展に努力している。五高卒業は翌33年6月である。五高在学中のエピソードとしては同級生のノートを借りっ放しと言う豪放磊落な性格で教室には殆ど姿を見せなかったという。又入学時殴り合いの喧嘩をしたという沖禎介とは暴れん坊として手がつけられなかったと言うことである。

 その後京都帝国大学法科大学へ合格している。大学卒業後は生来の果断豪放な性格で鉱山王を夢見て北海道に渡り、事業が図に当たって景気が良く当時の金で当時3~40万の富を為し華々しい活躍をしたという。住友鉱山鴻之舞金山の開発を行い初代の鉱山長になっている。昭和11年5月20日62歳で長逝した。以上の吉田久太郎氏については平成16年9月20日に纏めたものから