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宝暦の改革で有名な細川藩第六代藩主細川重孝は自分の藩民が病苦に苦しみ天寿を終えないで世を去るものが多い事を不憫に思い、それを救済してやろうと、宝暦六年府内の竹部に薬草や薬木を植えて御薬園、所謂「蕃滋園」を創設した。ここでは薬物の研究及び製造に宛てた。現在の熊本市薬園町はその名称の名残である。薬草園は明治四年頃まで存在していたが、廃藩置県に伴い、その栽殖されていた草木等は全て細川藩より藤井家に下賜された。その後第五高等中学校の設立に及び、中門の左右付近に植物園が出来たが、それは主として明治二十三年「御薬園」の珍しい草や樹木薬百五十種が、その保管者であった藤井家の当主歌子未亡人から寄贈されたものでありそれが熊本大学理学部植物園の基礎となった。二十一世紀の今日も中門付近では数本の樹木が残って往時が偲ばれる。