五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

端艇部第2次拡張について

2009-05-13 03:33:05 | 五高の歴史
漱石の五高端艇部長辞任問題、吉田久太郎一行の百円の借金問題について考察して見たがただ牛の涎ではないが長々となってしまった。今朝は第2次と言える端艇部の拡張にについて眺めてみる。龍南雑誌六九号(1898・12・24発行)から  端艇部・・久しく江津湖をのぞかねば今尚ほ三隻の白艇が日々鳰鳥を遂ひまわしつゝあるや否やをしらず。拡張事業は往年第一着手として海軍より二艘の大端艇を貰いしより一時中止の姿なりしが今回更に拡張の本体たる第二拡張を完成するため従来の法を改め次の諸氏に評議員を委任せり。
教授・桜井房記、田丸卓郎、杉山岩三郎、篠本二郎、武藤虎太、
生徒・鍋島資高、清家源太郎、吉田久太郎、湯浅孫三郎、松崎求巳、岸川太郎、戸次 正、岩佐正雄、和田九市、早田全祐、永村 清、石川清人、富田定寿、亀井龍水、内藤 楽、小笠原長太郎
事業の振興は甚だ有望であるため一日も早くこの拡張が完成するように吉田久太郎氏を長崎の造船所に派遣した。

更に端艇部拡張事務の進歩について龍南雑誌七〇号(1899・3・10発行)から

端艇拡張委員会は、愈々諸般の計画を定め、委員篠本教授、及び同久太郎氏を先月中旬長崎に派遣し、池永造船所に至りて契約する所あらしめ、更に、長崎医学部教授 医学士久保成治氏及び本校出身なる長崎船舶司検所、工学士篠原啓十郎氏に代表者を委嘱し、併せて造艇の監督を托せしに、両氏共快く之を諾せられたり、今新艇につきて聞く船を所を挙けんに、端艇数, 四艇四艘 長さ25尺、巾4尺2寸、深さ廿寸   価格   一百九十五円、但し橈を除く期限   三月廿五日
之を以て之を観れば、吾人は一月を出でずして美麗なる新造艇に乗ることを得んか、
之と仝時に拡張部は、一方に於いては、上江津北岸神水村に於いて、地面及び水域二百五十坪を借り受け、一方には材木を購入して、工事また大に渉り、将に端艇到着に先たちて其竣工を見んとす、艇庫   長 三十尺   巾 三十六尺 インクライン  長 三十五尺 巾 九尺
かくして、多年吾人の計画せし端艇の拡張は茲に一段落を終へ、今や吾人は、只其到着するの日を侯つべきのみ、尚ほ向後に対する吾人の期望と抱負とに至りては、乞ふ之を進水の後に譲らん、

以上のような経過を経て創設当時の五高端艇部は拡張、発展して行ったのである。