五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

習学寮の中心勢力?

2009-05-26 04:23:34 | 五高の歴史
五高の習学寮に於ける中心勢力は、即ち熊本・鹿児島の出身者で固められ、「衣至、鋤袖至、腕」という素朴さで頭は毬栗頭で男らしく、特に男女関係は厳格であった。剛毅木訥の気風もこれらの人々によって育まれて提唱されて実現されて来たものである。当時の寮の規約は次の如くであったと思われる。
一、我々五高生は九州における最高学府の生徒である。各自自重し荀くも校名を汚がさざること。
一、飽くまで校風を維持すること
一、男らしく元気を保つこと。
一、学生の体面を保持すること。
一、酒は呑んでも乱りがましき振舞せざること。
上記の条々に触れる者は鉄建制裁をもって制裁すること

自治創設とその根本精神について藤本充安(第1回入学者)氏の思い出から寮のモットーを掲げる
一、 剛健にして元気ある気風を養成すること。
一、 質素倹約の徳を養うこと。
一、 自活の精神をしたきこと。
我々は第一期生であるので学校の将来を考えて善良なる学校精神を以て学校運営と善美な校風をつくり学校に尽したという精神で綱領的に具体的に表したいと考えた。
一、 剛健にして元気ある気風を養成すること。これは日々の兵式体操や剣柔道等を以て鍛錬すること。
一、質素倹約の徳を養うこと。此の点に於いては熊本にとっては最も適した土地柄である。熊本は他県に比べて富豪も少なく倹約生活する者が多、。自分等は中以下の生活だったのでこの精神には喜んでいた。
一、 自治の精神を養成したきこと。
まず寮生活において自治制をやりたいと考え、学校当局も之に賛同したので炊事献立を生徒の自治制度で食費を低廉にするように、また生徒の自主制度であるので賄征伐などを防ぐ効果もあった。下級生では自治の生活を理解できず時間前から食堂へ詰め掛けたり、なだれ込んだりの状態もあったが、このような場合には委員一同が憎まれ役になり、必死に静止したこともあった。このように決定した自治の精神の貫徹のためには断固たる処置に出なれればならないこともあったようである。