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明治23年の錦野地方での兎狩の折、出た話と思われるが、当時薩摩の壮士間で愛読されていた美少年録「志途野雄魂記」を覆刻使用と決議した。趣旨が振っていて「以って士気を振興す」というのである。しかも雲井竜雄、梅田運浜、頼三樹等の維新志士の悲憤慷慨の詩歌を巻末に加えて「士気」を命名しようというのである。まず今井恒雄先生に題辞の執筆をねだった。万事ワケ知りの伊勢っ子・今井先生は余程おかしかったと見えて腹を抱えて苦笑を噛み殺し、ただ「取意略文」と書いて渡された。次には画の山崎先生に挿絵を書いてもらって同志を募り、細流舎という印刷屋にたのんで一冊代金二十銭だったかで百余冊を印刷して分配した。すると地方の新聞が「かくの如きことで志気の振興とは誤解も甚だしい」と非難の記事を掲げた。内容を知った学生らは、今井先生に相談すると「回収する以外に方法はあるまい」と言われ、他に発送した分を除いて七十三部を回収して、平山校長のところへお侘びに出かけた。すると校長は「今なにまで回収しなくてもよかった。ただ十分に侮悟してその実状を示してくれれば、それでよかった。以下抹消・・・・・その後六月に平山校長は突然病没され、弔問のため棺側で夜伽をした時に、違い棚の上に例の「志気」が残骸を横たえているのを併せ弔い「惜しいことをしたな」といったものも遭った。平山先生は六月九日、花岡山の三本松で全生徒参列して葬儀を行った。その時黒板勝美君が厳かな国文で弔辞を朗読したのが、今なお耳底に新たである」
江口先輩の話術の”良さ“が、この挿話の扱いを通じて平山校長の風格を浮き彫りしているようだ。
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