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明治29年4月漱石(夏目漱石)が小説「坊ちゃん」の舞台とした松山の尋常中学校から五高の英語教師として赴任した。五高での漱石の月給は100円であった。世間一般から見れば破格の高給であるが雇い外国人教師であったラフカジイオ・ハーン(小泉八雲)に比べると100円安い。外人教師の給与はは当時も高かった。漱石はイギリスに日本最初の在外研究員として留学するまでの約4年半を熊本で暮らした。着任したとき漱石は池田駅(現在のJR上熊本駅)に降り立ち、出迎えの菅虎雄等と人力車に乗って京町台を通り、新坂付近から熊本市を見下ろして町に緑が大変多いことにひどく感心した様子で、「熊本は森の都だ」と言ったとか、そのため漱石が熊本の異称「森の都」の名付親と言われている。
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漱石は赴任早々に端艇部の部長の委嘱を受けた。日清戦争での戦利品ボートを佐世保の港に受け取り百貫港へ回航のため、吉田久太郎をキャップとする生徒が引取りに行ったが、その帰り道に宿賃、飲食代等で100円を超える赤字を造ってしまったという。
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