青春メモリー ・好き勝手な人生で良かったのか? 自分探しの旅に出よう !

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おいちゃん作詞家 探訪 「山上路夫」

2021年03月17日 | 音楽回想

おいちゃん作詞家 探訪 「山上路夫」


「岬めぐり」を聞いて・・・思う


もう10年もたってしまったが、一瞬にして父も母も亡くしてしまい、


おさな馴染みの君も津波にのまれたと知る


僕は生きる気力を失い悩んでいたが「旅に出てみるといいよ」と


共に彼女を思う競争相手だった友に言われた・・


俯いてばかりいられないと北海道の海岸を巡った時に思わず口ずさんでいたっけ・・・



「あなたがいつか話してくれた


岬を僕は 訪ねてきた


二人で行くと  約束したが


今ではそれも  かなわないこと



幸せそうな  人たちと


岬を廻る  ひとりで僕は


くだける波の  あの激しさで


あなたをもっと 愛したかった



岬めぐりの バスは走る


僕はどうして  生きて行こう


悲しみ深く 胸に沈めたら


この旅終えて  街に帰ろう」



山路氏は喘息で闘病生活を送り思春期に学生生活を


あまり送ることができなかった・・



21歳の時に作詞家になる事を決意する。


CMソングで素晴らしい作品をいずみたくと共に世に出し


グループサウンズからフォークなどヒューマニズムにおける世界を


若者に問いかけ長らく支持を受けてきた。


有名作品が多くあり、人の心を掴む背景の景色と匂いが浮かんでくるものが多い


歌い手の気持ちが入り込み詩の物語を表現しやすい作品がとても多い


~


10曲まで載せられるものなら


二人でお酒を

ガンダーラ

瀬戸の花嫁

夜明けのスキャット

私鉄沿線

翼をください

学生街の喫茶店

世界は二人のために

空港

或る日突然


も挙げたく


心をうつ作品が非常に多いんだ













おいちゃん作詞家 探訪 「荒木 とよひさ」

2021年03月12日 | 音楽回想

おいちゃん作詞家 探訪 「荒木 とよひさ」


哀しみ本線日本海:


「何処へ帰るの 海鳥たちよ


シベリアおろしの 北の海


私には 戻る 胸もない


戻る 戻る 胸もない



もしも死んだら あなた 


あなた 泣いてくれますか


寒い 寒い


哀しみ本線 日本海」


・・・・・・・


(感想)

~ん・・この方  失恋したか、何か災害にあって心がさまよって


いるのだと思います。


人の死に幾度も関わってきましたが、この女性裏切られたのかなぁ・・


心折れて死を決意し北の寂れた各駅列車に揺られながら 


過去を・・好きだった人に抱かれた夜を


思い出しているのかもしれない


北国の荒れる海は悲恋の彼女を慰めるには尚、厳しい海なのかも知れない



この作詞家は「伝書鳩」のフォークの一員ベース担当だった。


大連の出身で敗戦で熊本に引き揚げた。


日大スキー部員でモーグルで転倒し複雑骨折し入院


失意の中書いた


「四季の歌」で


1972

作詞家デビュー


2005

紫綬褒章受賞


待ちくたびれたヨコハマ

心凍らせて

つぐない 愛人 別れの予感

もしも明日が・・・。


幅広い世代に取り込まれる曲が多く、三木たかしとのコンビでテレサテンを不動


のスターにした



*引用を用いて投稿いたします。




おいちゃん作詞家 探訪 「石本美由紀」

2021年03月11日 | 音楽回想

おいちゃん作詞家 探訪「石本 美由紀」


悲しい酒・・・作詞 石本美由紀


・・・・聞いてください


三番 「一人ぼっちが  好きだよと


言った心の  裏で泣く


好きで添えない 人の世を


泣いて怨んで 夜が更ける」



・・・・あぁ  素晴らしい


2009

お亡くなりになった石本氏は、幼少から喘息を患い家に


閉じこもる様な暮らしを続けていた・・


海軍大竹海兵団に入隊するが すぐ体調を崩し岩国海軍病院に入院していた時に


東海林太郎が慰問に来て、戦争で足がなく希望を失いかけていた兵士達が涙を浮かべて


聞き入るのを、歌には意味がある・・心があると作詞の投稿、勉強に入る。



この歌は北見沢 惇が初出であるが、キャバレー回りをしていて


「こんな歌聴けるか、馬鹿野郎」と言われ歌わないで封印していた、彼は若くしてなくなり


北島三郎や難しくて歌えないとアントニオ古賀に言われ、埋もれそうなところ古賀政男が


「ひばりに初出を伏せて歌わせよう! 」となり、みんなして美空ひばりを騙した格好で


世に出た曲である。


おいちゃんの東京弾語り時代


箱が幾度も変わってもこの歌が、歌いたいとよく言われ「古賀政男全集」で勉強していた


リフ、イントロをオベーションでバック演奏しホステスが一瞬遅れて喝采してお客が


心から満足していただいたことを想い出す・・。


何度聞いても涙ぐんでしまう石本美由紀氏の傑作です。三番が好きだなぁ




この文は作者の人生、思い、暮らしなどを研究し「引用」のルールに則り載せております。



こだわりの 一曲 「バージンブルー」

2021年02月22日 | 音楽回想

こだわりの 一曲 「バージン ブルー」


ヤッパ こう云う古いパンチのきいたのが良いなぁ


カラオケで身体フリフリ歌いたいもんだ、これはサリーが演奏で、何でも


全国学生ロックコンテストに法政大学生で出た様で、山田パンダに見初められ、デビュー


したが、それほど長くはアーチストしないで割とすぐ引退した様です。


曲は鈴木キサブローだったかな、このかた時折良い曲だしてきますねぇ、


あの「フォーユー」もそうでしょ


不倫した様なキャリアウーマンが気持ち込めて歌うヤツ


盛り上がりのあるいい曲だよねぇ、でもどっちが好きかと尋ねられたらおいちゃんは


「バージンブルー」にこだわるな


詩は誰だ?


さがら よしあきだって


チェッカーズの流れだったなぁ、このフリ


今もう、歳だろうなぁ・・・







こだわりの 1曲 「いい日旅立ち」

2021年02月13日 | 音楽回想

こだわりの 1  「いい日旅立ち」


新橋の生バンド入りの店だったな


僕がギターで、ドラムは芸術大の学生


ところが彼は音痴なんだ


演奏曲は「いい日旅立ち」


私のやり方は早耳で、これ流行るな・と思うわ誰よりも早くバンドで演奏した。


あぁ  「日本のどこかで・・・私を待っているひとがいる♫」


間を置きここで、ドラムが入るがその大学生。とても大きい音で、容赦せずに叩くんだ


でも、客が嫌がる風は全くなかった。


この曲はこのキャッチコピーが良く日本を風を求めて旅する女性が倍増した


「待っている人・未来の彼に出逢えるかも知れない・・」


JRは増員・・これ はやったなぁ


旅の生まれ育った地を離れる時の切なさ・・無情にもベルは鳴る!  でも、行かなきゃいけない


後ろ髪を引かれるような別れの時 


私は旅立つ・・・



山口百恵が新境地開拓で思い描く歌を説得力きかせて歌うんだものヒットしたんだよ


これを聞くたびに思い出すんだぁ・・若かった あの頃





彼女は生きている「真夜中のドア」

2021年02月05日 | 音楽回想

彼女は生きている 「真夜中のドア」


フィーリングがいい


この林哲司の作品に出会えたのも「松原みき」に取って幸運である。



車で当時東京で聞いていて「うん?凄いこれ日本人作曲か・・!」と呟き 日本の歌もここまで


進化し外国曲に引けを取らないほどに成長した・と思っていた。



たまに流れる時、気分を乗せて聞いていた・・。


しかし 最近 わかったがもう彼女はこの世にいないと云う、


「子宮頸がん」で44歳で死去・・


残念だ、まだまだこれから色々なヒットやジャズフィーリングの効いたボーカルが


ライブハウスなどで、歌えるのに、六本木の店で「世良譲」が唸り、彼女を見て表舞台に


出した。


彼女は作曲・キーボードもこなし母譲りのセンスのある歌唱で何曲も出していたのに


亡くなってから世界で大注目され、あるヒットチャートで15週連続一位とのこと


外人も納得の評判の良いアーチストだったのに、とても惜しいが



彼女の歌は生命力を持って 今日も流れている・・。




こだわりの 一曲 「そんな夕子にほれました」

2021年02月01日 | 音楽回想

こだわりの一曲 「そんな夕子にほれました」



この曲は色っぽく歌うんですよ


だいたいムード歌謡はそう


真面目に固く歌っちゃダメ


丁寧に優しく女子を口説く様に歌うのです。



増位山太志郎は相撲で大関まで行きましたが、親が生きる幅を考えよと


歌も取り入れたところ


肺活量があり無理なく通る説得力のある歌が歌えたのです。こぶしも効いてる。


この曲の作詞は 林家一平の妻の海老名香葉子で、曲は山路進一


よく東京のあちらこちらの店でお客が歌いたくリクエストが来て伴奏させていただいた。


思い出に残るこだわりの一曲です。



自分が歌うのも好きで、セクシーに鼻にかけて甘える様に歌うと受けるのです。


しっとり聞いてくれる



こだわりの一曲 「SACHIKO」

2021年01月28日 | 音楽回想

こだわりの 1 SACHIKO


そうだな この曲にはお世話になった


何件も弾語りで店を廻りこの「SACHIKO」を歌った、静かに受けが良く


レパートリーにしていた。


ギターもそれほど難しくはなく歌も難なく歌えた。



SACHIKOは当時流行って、別のバンドも同名で出して来た。


バンバンも「いちご」以外にこのSACHIKOを出してくるのだから大したもんだ


この曲はばんばひろふみが作曲か、一発で終わることなく自作で出てくるなんて


凄いぞ、フォークもスターが息を引き取り残りが少なくなって来た。


まだ若いんだからもう一発ヒットを頼むぜ


彼らは生きている 7

2021年01月25日 | 音楽回想

彼らは生きている  7


「夕陽のガンマン」


エンリオモリコーネ


小さい頃よくマカロニウエスタンを見にいった


その時、臨場感の溢れる映像とともに入って来たモリコーネのサウンドラックミュージック


そう、それはほとんどがエンリオモリコーネの音だった・・。


特徴ある個性的な音、効果音、それにスケールの大きい歌の合唱が 雄叫びとなって廻る



麒麟が来るのメインテーマを聞いてて思う、これはモリコーネだジョングラムは明らかに


モリコーネの作曲した「荒野の用心棒」や「ミッション」「アンタッチャブル」の影響を


うけている。


そう 彼はまだ生きているのだ、この様に後進に機会を与え生き続けている


エンリオモリコーネミュージック


字幕スーパーを見ていて思った。この合唱・・あぁミリコーネが好きなんだ


ジョングラムは


だからこうなる、こう来る


91歳の長寿で亡くなったモリコーネ素敵なミュージックをありがとう


僕らの心に未だ生きているよ



こだわりの 一曲 「涙のシークレットラブ」

2021年01月20日 | 音楽回想

こだわりの 一曲 「涙のシークレット ラブ」


作詞・作曲       宇崎竜童


秘密でこっそり愛してしまい


二人で借りた部屋で逢っている


・・


だが、今夜は彼女はいない・・いや 去ってしまったのかもしれない


あのこと・・


分からない


ひとり 暗い部屋の中に想う


誰にも相談はできやしない


秘密の愛を育てて来た、俺が悪いから


しかたがないさ・・・・でも



この楽曲は普通、阿木陽子作詞

                               宇崎竜童作曲


となるのだ、でもこの詩は竜童の作品


分かる


これは実話が支配している


思い込みを本気でこれほど出すことが 出来るのは真実があってこそ


大衆の心に響く歌が書けるのだ



うまく行っていなかった時もあるんだねぇ・・・


そりゃ 他の女を抱きたくなる時もあるさぁ・・



彼らは生きている 4

2021年01月14日 | 音楽回想

彼らは生きている 4


「あの素晴らしい愛をもう一度」


加藤和彦はもうこの世にはいないけれど


この歌はいつまでも歌い継がれて行くだろう


元々京大のフォークグループだった彼らは自主制作盤があまりにも全国的に当たってしまって


テレビに引っ張り出され、まだグループサウンズの残る番組に場違いな感じでちょっと


変なエレキでもない早回しが使えない本番の歌でがっかりさせていた。


この「帰って来たヨッパライ」はうちでも母がものすごく受けてあの節約の鬼であったはずが


小さいレコードプレイヤーとこの加藤和彦作曲のレコードを買って来るほどだった。


小さい頃かすかに覚えている。



時代は変わり加藤氏はエレキを持ちビンビンのロックバンド風の曲も作りステージを


今度はロックショウで沸かせた・・またそれもいいのだ


人にもかなりグッドな提供曲があり優れた曲をたくさん作りプロデューサーとしても


台頭して来だした人気者「吉田拓郎」のレコーディングにいろいろな楽器を持ち込み


彼の歌の幅を広げそのLPの価値に貢献した。


後年「坂崎氏」とよく一緒にコラボして2人抜けたフォーククルセイダーズを


再現してくれて何十年経っても夢を僕らにみさせてくれた。


最後は彼として思うところがあったのか、安井かずみという作詞家の奥さんにも


先立たれ、彼も自殺という形でこの世を去ってしまった


思う


気持ちは「川端康成」と同じではないのだろうか


芸術・文学に生きる者にとって大きな壁にあたりそれを打ち破る気力が  もう


やってもやってもしんどい時、朽ちかけた木々で土に戻るよりは


人は人生を 清算したくなるのかも知れない


ジェームスディーンの様にいつまでも人々の心に残る道を選んだのかは分からない



日本の大切な音楽・芸術を無くした様な気持ちでした、でも


「あの素晴らしい愛をもう一度」は僕らの心にいつまでも生き続けるのさ


彼らは生きている 3

2021年01月13日 | 音楽回想

彼らは生きている 3


「ハローアイラブユー」


子供の頃 インディアン居住区で大きな事故を至近距離で見て彼らインディアン達が


吹き飛ばされた・・赤いペンキが飛び散った・・そこには彼らの意識があった


・そう感じたと子供の頃のジム モリソンは語った・・。


後年 27歳で亡くなったモリソンは海軍提督の父を父を持ち長男として生まれ


詩に興味を持ちその詩に導かれやがて仲間とドアーズを結成


ライブにおける独特のパフォーマンスで観衆を引きつけるどこか変わったグループだった。


ビートルズを越えようとするグループは数々あるがドアーズもまた初期の頃の


「ウォーカーブラザーズ」の次辺りに世界を にぎ沸かせた大人気グループであった。


映画「地獄の黙示録」にもドアーズ曲は採用されている


ジャズロックで演奏が長いフレーズで時にはサキソフォーンも取り入れ


音楽性が高く深いヒットもいくつもあったが、リードボーカルのジムがドラックに溺れ


消えて去って行ったグループである。


彼の野太い声が好きだった。


未だに思い出す・・


こうして音楽は心に生き続けるのである・・。





こだわりの一曲 「いちご白書をもう一度」

2021年01月11日 | 音楽回想

こだわりの 一曲 「いちご白書をもう一度」


思えばこの曲と同じような青春だった


レッドツェッペリンを尊敬していたので、髪を相当長く伸ばしていた


それもソバージュで・・


学生運動は親が市議会議員だったので政治の裏表をよく知っていたので


・・・全くアジビラ配りも共産主義にも興味はなく「何をしてるんだ・コイツら」と


思っていた。「馬鹿だなぁ  こんなのにかぶれて・・」とやがて大人になり皆んな背広を


着たりして社会に溶け込んでゆく中「退学」「留年」などで進学できず早くから働き


革マル派は全員・同期会には現れなかったが、20年以上たち現れた時に誰かに冷やかされ、


うつ向いて黙っていた・・やっと悟ったのだろう


こちらからは別に競争しょうとは言ってないのに「俺の勝ちだぁ」とか飲み会の時に


言っていたっけ


・・・


この曲を聞く度びに その時の風・・ムードが蘇ってくる。


同棲している奴もいたなぁ


何でも兄貴の部屋を借りてよく連れ込んで、うまい事やっていたらしい兄貴は


長期出張だったとか・・そいつも後年偉くなってなかなか同期会には顔を出さない奴


だったが、最近・友の病気を機においちゃんに会いに来た。


彼のところへ行ってやってくれと・・・病院にいるから


きっとお前なら喜ぶはずだと・・・



「いちご白書」と云う映画あったものねぇ


これを比喩してユーミンは作曲家希望だから素晴らしい心に刺さる曲を作ってくれた


本当


その通りだよ・・・








彼らは生きている 1

2021年01月11日 | 音楽回想

彼らは生きている 1


「マイスゥィート ロード」


ジョージハリスンはあまりビートルズの中では目立たずどこかひ弱な人


レノン・マッカートニーと同じところは彼もロックが大好き


でも2人の様に体力で喉を潰した様なヘビーボイスは出来ない


どうだろう


でもビートルズがレノン&マッカートニーの曲だけだったなら  


あぁまで偉大だったろうか・・、LPにおいてジョージ作の曲は必ず入っており


又違ったメロディーを配置しバラエティーに富んだアルバム作りに貢献していた


どこか遠慮がちで出しゃばらない彼は敵を作らず、後進を育て慕ってくるアーチスト


も多かったのです。


彼は解散後 独立しこの「マイスィートロード」を出しボブディランやエリッククラプトン


との交流でビートルズの幅を大きく広げてくれた。


後年ポールもディランの影響は僕らも受けていた・と語った。



もう ジョージハリスンはこの世にいないが彼の残した音楽はまだ


生きている・・


こうして未だに僕らに夢と希望を与え身体を揺らしてくれるんだ


・・


音楽は素晴らしいものだ


そう ジョージハリスンの身体はこの世界には存在しないが


「彼はいまだ生きている」


・・・・



こだわりの一曲 「Get Back」・・

2021年01月09日 | 音楽回想

こだわりの 一曲  Get Back


「ビートルズだとよ お前 歌って見ないか !」と当時ジャズギターをライブで弾いている


高校時代の音友に言われひょんな事からライブ喫茶で何曲もビートルズを3日に分け


歌ったことがある。


もうヤングでない頃で高音も怪しくなって来ていた・・。


そうすると選曲は重要だったので


次の曲を何日かに分けて英語歌詞を暗記して歌った


・オールマイラビング

Got To get You into My life

・オーダーリン

・バースディ

・アイソーハースタンディングゼア

・シーラブズユー


そして


Get Back


最初冷やかしで体だけ持って行き、そこではバンド風に4人で組んでやっていたが、


ドラム以外みんな自分の楽器を持って来て演奏しコーラスやリードボーカルをするので


自分も12弦ギターや枯れたエレキを持って行ったが専属の4人と楽器がダブルので中々演奏&ボーカル


はやらせてもらえない。楽器持って行っての歌は3曲のみだった。


歌う以外は客に廻り盛り上げ自分の番が来たなら指名され歌う。と言うパターン


まぁ生バンド付きカラオケの様な感じだ


続々と集まる連中はどこかで今もバンド出演をしているか以前ビンビンにやっていた連中で


ロック同窓会の様な雰囲気だった。毛髪が怪しくなってきだしている・・


その中で一番受けが良かったのが「Get Back」だった。


この歌はポールはロックとして喉を潰して歌わずに力を抜いて軽く無理なくゲッツバックする


特徴のある粋なスマートロックだ


好きなところは終わった様に見せて・・ヒュー・・・と


ドラムが入りエンディングに再度つなぐ所


最後もどうだ見たかぁ~・とジャーンと終わらずに道半ばで終わると言う作りなのです。


このお膳立てをしてくれた天才ギタリストも脳梗塞で死んじゃった・・


最後までプロで「エレキ野郎」を貫き通したのはおいちゃんと彼だけだった・・・。