月岡芳年 月百姿
『読書の月』 子路
どくしょのつき しろ
明治二十一年印刷
子路は、姓を仲、名を由といい、又の字を季路といった
紀元前543年 ~ 紀元前481年 中国・春秋時代の人
日本では縄文時代の晩期にあたる。
国立国会図書館デジタルコレクション 031
二十四孝のうち 「子路負米」
仲由は周の世、孔子の御弟子、子路のことなり。
母に仕へて孝心篤く、家貧しくして人に雇われ
米を百里の外に負ひ行きその賃銭を持って母を養ひける。
孝子の恵みにや、母死してのち祖国に仕へ富貴を得て
褥(しとね)を重ね鼎(かなへ)を並べ
よき身の上となりけるが、一人嘆じて曰く
我今、親の命ありて孝行を尽くしなば、いかばかりの喜びならん。
我が身、食に乏しくして「あかざ」を食らひ米を背負ひて貧しかりしも、
かかる富貴となりながら、二親いまさねば何の楽しみかあらんと
日々にこのことを言ひて嘆きしとぞ。
【要約】
仲由は母を養うために人に雇われ、米を背負って遠方まで運びました。
母の死後、仲由は出世して豊かになったが、
両親がいなくては、金があっても楽しくはないと嘆いたとのこと。
周の時代の一里は400mなので太古の人では40kmなんて
なんてことはない距離なのかな?、しかし本を読みながら歩いた
と云う記述はないので、この絵は二宮金次郎に重ね合わせた
月岡芳年の創作ですね。