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ハワイ王国7代目のカラカウア王といえば、メリーモナーク(陽気な王様)との異名で知られるハッピーな国王のはずですよね。
快活で社交的な人柄が世界からの賓客に愛され、いつしかカラカウアは、メリーモナークとのニックネームで呼ばれるようになりました。
毎春、ハワイ島ヒロで開かれるフラ競技会の最高峰はメリーモナークフェスティバルと呼ばれるのですが、ここでいうメリーモナークというのももちろん、カラカウア王のことです。
なぜなら。19世紀のハワイにおいて、フラなどハワイの伝統文化が宣教師たちによって迫害されていましたが、カラカウアは伝統文化、中でもフラの復興に尽力した王様だからです。
そうなんです! カラカウアの努力がなければ今頃、フラの伝統の多くが失われていたでしょうし、日本やカリフォルニア、メキシコを含む現在の世界的なフラブームも、きっとなかったことでしょう。
そのためフラ界のオリンピックは、カラカウアを記念して命名されているというわけです。
それなのに…。昨日の続きになりますが、陽気な王様だったはずのカラカウアが、実は暗殺計画によって追いつめられていたなんて! そして君主として、またハワイアンとしての誇りを放棄する「銃剣憲法」に署名させられていたなんて。なんとも胸が痛む歴史秘話ではありませんか?
ハワイ史上、悲劇の…という形容詞がつく君主はリリウオカラニ女王のことを指すことが多いと思うのですが、カラカウア王も然り。陽気な王様だっただけでなく、悲劇の王様とも形容できる、複雑な人生を送った君主でした。
皆さんはどう思いますか?
(冒頭の写真は、毎年メリーモナークフェスティバル会場に飾られているカラカウアの写真です)