シニア・ソレイケ

昭和生まれ専科

ムーンウオーク

2013-07-13 | 思いつくまま

最近は出張が多く、どうもブログへの記事掲載を忘れがちだが、このサイトは60日以上何もしないと(つまり誰も見てくれていないということ)、自分で何か記事を載せなければならないようだ。

そんな訳で、急に思いつきで記事を書くことになったので、何時もの出張時のことをチョット書く。

アメリカでの出張は殆ど飛行機。尤も小生の勤務する会社の本社はケンタッキーの北の端にあるが、ここの人たちは概ね自動車を運転して、片道8時間なんてとこに平気で日帰りする。とても小生にはマネできない。

ま、そこで空港の話になるが、アメリカで空港を使った方々はご存知のとおり、到着地についてターミナルから手荷物受取所に行く場合、必ずあるのがゲートで、そこを一歩外に出ると到着ゲートの方には2度と戻れない。勿論そこには必ず検査官が見張っている。

さて、そこで何時も思うのだが、その検査官も1日唯人が通るのをボーッと見ているのだから、そこから1-2歩出た処でマイケル・ジャクソンの「ムーンウオーク」でバックしたらどんな反応があるだろう。 もし、戻れたら良いか悪いかは別にして話題の主になれると思うが、先ずその「ムーンウオーク」を何処で習ったらいいのだろう。



戦艦アイオワ

2013-04-07 | 思いつくまま

家に送られてくるジャンクメールの中に、偶々いろんな割引クーポンの入っている冊子が入っていたので、一杯やりながら目を通していると、家からさほど遠くない(と言っても35-6Kmはあるか)ロングビーチ市のサンペドロ港に、退役した戦艦アイオワが停泊していて中を見学できる割引券があった。

我々の年代だと、ハワイ真珠湾の記念碑となっている戦艦アリゾナ、日本の降伏調印式の舞台となった戦艦ミズーリと並んで、何故かこの名前に馴染みが深い。インターネットで調べてみると、あるわあるわ。米国が建造した最後の軍艦ということで、終戦1年前の1944年に戦艦部隊の旗艦としてサイパン、テニアン、グアム、ロタ、ルソン島、レイテ上陸支援など太平洋を転戦したそうだ。道理で馴染と思った。

しかし、これを読んでいて興味深かったのは、この戦艦アイオワが建造された時代背景と今日の状況だ。チョットWikipediaの記事を無断拝借しよう。

「1936年に第二次ロンドン海軍軍縮会議から日本が脱退した。これを受け、同条約を批准した英米仏の三国は対応を協議し、1938年3月末にエスカレータ条項を発効した。この結果、米英仏は第二次ロンドン海軍軍縮会議で定められていた戦艦の主砲口径と基準排水量の上限はそれぞれ14インチから16インチ、35,000トンから45,000トンへと拡大された。つまり、当時の日本は条約を批准しながら制限を上回る46,000トン型の16インチ砲搭載戦艦、もしくはそれ以上の18インチ砲搭載戦艦を秘密裏に建造していると考えられていた。そこで米英仏は、これに対抗できる性能を持つ新型戦艦を持つ必要があると思ったわけである。こうした観点から、エスカレータ条項で認められた45,000トン級新型戦艦で、27ノット中速戦艦案が採用され、その結果建造されたのが戦艦アイオワである」そうだ。

話は戻るが、第一次世界大戦後、戦勝国である日本を含む連合国側は軍拡に走り、海軍力(特に戦艦)の増強を進めた。代表的なもののひとつに日本の八八艦隊計画があるが、当時艦隊建造のためだけに日本は国家予算の1/3を使い、維持だけでも半分弱を使うことになる。

現在の日本の国家予算を94兆円として1/3 とくれば31兆円だ。今の防衛費が4兆円、東北復興予算が3兆円くらいだから如何にその規模が凄かったか分かる。そこで各国が一定の軍備の枠組みを決めたのが「海軍軍縮条約」で、各国の戦艦保有数などを決めたが、日本はその国際枠組みから脱退して戦艦大和など大鑑巨砲主義に突き進み、その結果国民を無残な結果に陥れた。

そこで現在に目を転じてみると、第2次世界大戦後、米ソの冷戦と核開発が行われ、現在では地球上の人類を何十回か殺すことが可能な15,000~16,000発の核弾頭があるといわれている。そこでこれじゃいかんと核ミサイルの制限交渉などが行われているが、これは先の海軍軍縮条約と同じ発想だ。そして核が少なくなった弱点を補うために、自分たちは核を持っていてもいいが、他の国は持っちゃいかんというようなことを言っている。

このような背景を念頭に置いてみると、国連での枠組みや周りの制止も聞かず、国民に何万という餓死者が出ても核開発に突っ走っている北朝鮮が将に当時の日本ではないだろうか。先ほどのWikipediaの記載のように、当時の日本は条約に背いて制限を超える戦艦を極秘に持っていたようだが、北朝鮮の核兵器やミサイル問題も将に似たようなものである。

丁度、この文章を書いている最中に、北朝鮮が核実験したというニュースが飛び込んできた。北朝鮮内部では金正雲が指導者としてスゴイと言っているようだが、往時の日本も大同小異だったはずだ。

北朝鮮は、世界の主要国相手に「オレは力があるぜ、ワイルドだろぅ」と言わんばかりだが、丁度子供が公衆の中でギャアギャア泣き喚いて、廻りが困っているのを自分の力が強いので手を出せないでいると錯覚しているのに似ている。国連の安保理事会でも、世界中が自分に注目していることだけに満足しているようにも見える。

小生の小学校時代の社会の教科書に、1933年(昭和8年)に満州国を否認した国際連盟の決議に対し、我が国が席を蹴って退場したとあり、そのときの新聞記事の見出しが掲載されていたが、「ばらさよ盟連」と書いてあったのを覚えている(当時横書きは右から左に読む)。今の北朝鮮も似たようなものか。

閑話休題。こうしてみると、北朝鮮の今後も行き着く先も見えてくるような気がする。しかし、同時に思うのは、今からそう遠くない6-70年前(皆さんには相当昔に思えるだろうが、小生には、ついこの間のことのように思える)、日本は当時の世界から見たら、特に西洋人の白人優越意識から見たら、全く当時の日本は今の北朝鮮と同じようなことをしていた。そう思うと、北朝鮮をバカだチョンだというのはチョット気が引ける。

しかし、それにしても落語の噺の中の世界でも、政治の世界でも鳩山家を見れば分かるように、3代マトモに続いた家はないように北朝鮮も3代目。そろそろ先が見えてきたような気がする。

それはそれとして、北朝鮮は資源がないのが一番の強みかも。これでレアメタルや石油、ダイアモンドなんかが出ようものなら、それこそ米国が一番先に攻撃しているか、中国が自国に取り込んでいるかだろう。今日日、ゴールドよりもレアメタルがの方が価値のある時代。「金」さんだけでは対抗できないだろう。

菩提樹

2013-03-31 | 思いつくまま


つれづれなるままに、日本語テレビを見ていたら、インドの仏塔のことを放映していて、細かいことは忘れたが、その中に「菩提」という言葉が出てきた。

「菩提」というとシューベルトの「菩提樹」を連想するが、この「菩提樹」なるものと、仏教でいう「菩提を弔う」「菩提寺」などと関係ありやなしやと酔いに任せて宵のうちに調べてみた。

仏教の「菩提」を説明するにはボーダイな資料が必要だが、要はインド古代の仏教で使われたサンスクリット語(パーリ語?)のボーディの音写で、意味は「悟りの境地」のことだそうだ。たしかに、般若心経にも得阿耨多羅三藐三菩提(とく、あのくたらさんみゃくさんぼだい)という経文が出てくる。「この上なく崇高な悟りを得た」というような意味である。

そして「菩提を弔う」とは、死んだ人が安らぐように祈ることで、そのような祈りの場が「菩提寺」という(と思う)。

因みに仏教での木というと「菩提樹」と並んで「沙羅双樹」が有名だが、「これはナニかと尋ねたら」(このフレーズが分かるのは相当の高齢化と漫才が好きだった人である)、仏教では3大聖樹というのがあって、そのうちの2つがこれらだそうだ。まず「菩提樹」は、お釈迦様が悟りを開いたときに、その横にあった(後ろかも知れない)木で、「沙羅双樹」はお釈迦様が入滅したときに2本が対で4方(つまり8本)にあった木だ(とさ)。因みに、もうひとつは無憂樹で、これはお釈迦様の生まれた所にあった木だそうだ。

そこで小生の3大性樹はナニかと尋ねたら、先ず生家の庭にあったのがイチジク.
(無花果」と書くが、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来するそうな。道理でと思う。

次に我が家の家紋の「丸に剣片喰(けんカタバミ)」。「片喰(カタバミ)」は繁殖力が強く一度根付くと絶やすことが困難であることが「(家が)絶えない」に通じることから、武家の間では、家運隆盛・子孫繁栄の縁起担ぎとして家紋の図案として「剣」を加えて用いられた。五大紋の一つに数えられる。この「繁殖力旺盛」が小生に当てはまるかどうかは、諸兄に判断を任せる、

そして、現在裏庭に盛大に緑の実をつけている枇杷か。これがたわわに生る頃「ビワ・ガーデン」と称して友人たちとテーブルを持ち出して盛大にビールなどを呑んだものだ。最近は、犬がいないせいか、実が生って、さあこれからというときにリスが来て先においしいところを持っていかれてしまう。この辺が自分の人生とダブって見える。

話は「菩提jに戻るが、菩提の反対語は「煩悩」。簡単に言うと煩悩があるときは、菩提=悟りの境地にいないということだが、もっと簡単にいうと、美女が誘っても誘惑されない状態を菩提=悟りという。そうなると小生などは、生きている間は悟りが開かないことを祈るばかりだ。

さて、そこでシューベルトの「菩提樹」だが、これは「美しき水車小屋の娘」と並んで彼の3大歌曲のひとつといわれる「冬の旅」の中にでてくる曲だそうだ。余談だが近江俊郎が歌った「水車小屋の花」(鈴木比呂志作詞、米山正夫作曲)があるが、これは「美しき水車小屋の娘」をなぞらえたものか。この歌を知っているゴジンも、相当年季の入ったゴロージンのはずである。

「菩提樹」の歌詞はご存知と思うが、蛇足ながら付け加えておく。「泉に沿いて繁る菩提樹 慕い行きてはうまし夢見つ 幹には彫りぬ ゆかし言葉 嬉か無しに訪いしそのかげ」

説明によれば、失恋した若者が放浪の旅を続けていく曲で、絶望感と悲しみ、失われてしまったものへの憧れ、そしてそれを救う死を求めながら旅を続ける姿だそうだ。これを作曲した当時のシューベルトは、どうもウツの状態だったようだ。

それはともかく、本題の結論として、この題名の「菩提樹」は仏教の菩提樹とは関係なく、偶々、リンデンバウムという木が和訳すると「西洋菩提樹」になるだけで、これはシナノキ科の落葉樹で、お釈迦様のはクワ科の熱帯樹という別物だそうだ。しかし、その「リンデンバウム」が何故「菩提樹」と和訳されたのか分からないが、多分仏教の3大聖樹である「菩提樹」に似た木をヨーロッパ人が持ち帰り、これを自国語の「リンデンバウム」と呼んでいたが、そこへ偶々ヨーロッパ(何処だか不明)にアソビに来た中国人かインド人が自分の国にあった仏教に由来する「菩提樹」に似てた花をつけていたから、「オー・コレハ・ボダイジュ デース」とかなんと言ったから「菩提樹」になったものだと思う。そして、それに偶々興味を持った小生が、この雑文を書くに至ったという程度のことである。

蛇足ながら、ここまで書いてきて「菩提樹」という題名の映画があったような気がして、早速インターネットで探したらやはりあった。そこで、そのストーリーを読んだら、原題がThe story of Trapp Family Singersとあったので、アレレと思って先を読んだら、やはり、ジュリーアンドリュース主演の映画「サウンド・オブ・ミュージック」の前に、トラップ・ファミリーのマリアが書いた原作を映画化したものだった。兎も角、その映画「菩提樹」はYouTubeでも結構部分的にUp Loadされているからご覧になったらよろしかろう。

避難訓練

2013-03-31 | 思いつくまま

先日テレビで、大都市で地震発生の際の誘導訓練の模様を放送していた。
誘導するのは、普通のおじさんたちが誘導者を表すベストを着ていたが、この人たちでパニックになっている人たちを誘導できるのだろうか?

数年前になるが、旅行の帰途サンフランシスコ空港で乗り換える際、山火事の影響で送電線が切れてサンフランシスコの空港が閉鎖となったことがあった。そのとき、真っ先に乗り込んできたのが軍事服で武器携行の州兵だった。

彼はカウンターの上に上がって、居並ぶ旅行者に知りうる現況を伝え、今日中には復旧の見通しが立たないこと、サービスデスクの場所を説明し、それ以上は自分は何も知らないので質問は受け付けないとはっきり言った。それで終わり。後は各旅行者は、航空会社の社員に文句を言っても仕方が無いので、自分で電話を探したり、航空会社のカストマーサービスに電話したり各々の解決方法に向かった。

まあ、国によって事情は違うが、緊急時に役立つのは、やはり制服を着た人たちが居ることが一番抑えが利くような気がする。それが自衛官、消防士、警察官、いろいろあるが、この辺の心理にも気を配ったなら如何なものかと思う。

Kiri Te Kanawa

2013-01-26 | 思いつくまま



諸兄は、Kiri Te Kanawaという歌手をご存知か?

どうも、ブログを書くたびに思うが、このようなものがなければ諸兄の面前に自分の無知をさらけ出すこともないのだが、さりとて、知らないこと知ったような顔をするのも、普段仕事で存分に使っているので、このようなときくらいは素直になりたい。

このKiri te Kanawaだが、マオリ族と呼ばれるポリネシア人の父の姓を名乗る1970-年代80年代を代表するニュージーランド生まれの世界的なオペラ歌手で、数年前にもアルバムを出している(とさ)。

実は小生、この世界的な大歌手の名前を全然知らなかった。こちらアメリカでは月に数十ドル払うと140チャンネルくらいのラジオ放送を聞くことができるが、小生もこのサービスを買い、車の中で主に高音質のクラシックを聞いている。 ダッシュボードに作曲家、演奏者、曲名などがデジタルの文字盤に表示されるが、あるとき一味もふた味も違う女性ソプラノの曲が流れた。

それほどのクラシックのファンではないので運転中は主にクラシック音楽(こちらでは何故かPopsと呼ばれている)とオペラにチャンネルを合わせて聞き流しているが、かなり小さい音にセットしているにも拘わらず、胸(耳?)に響いてきたので、液晶パネルを見ると「Kiri te Kanawa」となっていた。曲の前後の解説でよく日本人の演奏家の曲も出てくるので、このKiri Te Kanawaというのは、日本人が歌っている曲で「行きて、かなわず」かなんかのミススペルと思った。

しかし、どう聞いても日本人にしては豊かな声量と表力、そして英語ではないが心の奥まで沁みるような歌声で、終わったあとの短い解説でもKiri-te-kanawaといっていた。

そこで早速調べた結果がこのブログの冒頭と相成った次第だ。

歌の意味などは不明でも、その歌声は素晴らしいのひとことである。You-Tubeでも沢山アップロードされているので是非聴いて欲しい。

絶対色感

2013-01-26 | 思いつくまま


水彩画を描くことから暫く遠ざかっているが、そのひとつの原因(逃げ口上の方が正しいかも)が色感の欠如だ。

世に絶対音感というのがあるとは良く聞くが、絶対色感というのはあるのだろうかと素朴な疑問が湧き、インターネットで調べたら、どうも絶対音感のように生まれついてのものではなく、修行経験で身についていくもののようだが、はっきりしない。

兎も角、絵を描くときに、見たままの色がでないというのは面白くない。例えば、木を描くとき、どうしても幹の部分は茶色を使ってしまう。 確かに杉など茶色をしている木も多いが、街路樹などは殆ど黒に近い灰色だ。また、水といえば水色を塗ってしまうが、実際はくすんだ緑色や天候や太陽の位置によって橙色や紫、灰色、無限の色を出す(とさ)。 ところが小さいときからの習慣で、水といったら水色、土といったら土色と決まっていて、その域から出ることができない。これでは写真のような写実性のある絵なんか描けっこない。

絵の本にはこういう景色や物はこう描けばよいと簡単に書いてあり、本当に写真みたいに生き生きと描かれ、「これは15分でスケッチしました」などとオソロシイことがかいてある。人間の簡単な所作のスケッチでも、一体を描くのに30分を費やしてもそれらしく見えない。一体どうしたらいいの?

小生の過去ログをお読みの方ならとうに感じておられるとおもうが、どうも絵にしろ、ゴルフにしろ、写真にしろ、楽器にしろ、道具を買って教則本を揃えると、それで達成感を感じてシマイそれでオシマイ。というか、少なくとも本に書いてあるプロ仕様のものを手に入れると、それだけで彼らと肩を並べたような安心感を覚えて、後は何時かこれを使って作品を作れば、オレも同じものができるという錯覚をしてしまう。つまり、文字通り「道具」と「目的」を履き違えているわけだ。

よく英語は意思伝達の道具であるというが、実際はその道具を使える奴が、例え中味がカラッポでも羨ましい。ロスのダウンタウンにたむろしている乞食に英語で話しかけられても劣等感を覚える。

そんな屈折した心理があって、今も「道具」の追及に血道を上げている。

「冒険」とは

2013-01-26 | 思いつくまま

つれづれなるままに「冒険」とは若者の特権かどうか考えた。

よく年寄りは、若い人をつかまえて「もっと冒険しろ」とけしかけるが、どうなんだろう。確かに若い人は「冒険」の結果、それが失敗に終わっても、まだ「明日があるさ」で、それを経験値として、明日の人生に生かせる。だから、いろんなことにチャレンジすべきだろう。

次は年寄りだが、これは「冒険」して失敗しても、それを引きずる時間がない。つまり、失敗しようと成功しようと「明日が無い」んだから、どっちでもいい。それなら、年寄りも最後の花を咲かせるか散らすか、イッパツやってみればいい。

さて、そうするとその間に位置する所謂「中年」。これは難しい。「冒険」の結果、失敗に終わったら、会社での地位、子供の学費、家のローン、奥様の化粧代など、全てパーになった上にその後ン10年生きなければならない。

だから、中年は若いときに乗り遅れた「冒険号」という列車を、高齢者といわれるようになるまで待機し、65歳を過ぎたら乗ればいい。待機晩成ともいうから。

そんなわけで、冒険は若者だけに任さず、年寄りも「年寄りらしくなく」いろんなことに挑戦すべきだ。

今や日本人口の25%を占める年寄りよ。大志をいだけとは言わないが、中志ぐらいは持て。シニア・ソレイケである。



腋毛 アレコレ

2012-07-08 | 思いつくまま



先日、当社のエライさん、それに某女史と市内某すし屋で食事中に凄く懐かしいものを見た。

話は飛ぶが、諸兄は「万里昌代」という俳優をご記憶だろうか。長谷川一夫を少し痩せさせて女にしたようなきつい顔立ちだが、ボディは「生唾ゴックン」だった。ご参考までに写真を貼っておく。

大映の肉体派女優として当時の三原葉子、筑波久子などと美を競ったが、先日偶々You-tubeを見ていたら彼女がキャバレーの踊り子に扮して踊る場面が出ていた。何時の頃の映画が解説は出ていなかったが、その両脇の下には腋毛があった。前にも書いたと思うが、今から20年ほど前に初めてヨーロッパに旅行に行ったとき、イタリア辺りは腋毛を剃っていない若い子を数多く見かけたが、今は完全に見かけなくなったようだ。

それは兎も角、興味があるのでWikipediaで「腋毛」の項を引いてみたら次のとおり。

腋毛は陰毛と同じように第二次性徴期にホルモンの作用により思春期に発生する。男性の開始時期は陰毛の成長がTannerの分類で第4段階に達した頃から始まる。それから「腋毛の性質 (腋毛は陰毛と同様に一般に縮れ毛であり、腋窩部に発毛する。腋毛の濃さ、生える面積等は個人差が大きい)」「進化的意味 」「一般社会における腋毛」など 延々と語っているが、それはお暇なときに見ていただくとして、要は腋毛とシモの毛は同じ頃に、同じような手足の生え際(?)同じように生えるということだ。

ま、これらは経験的に分かりきったことだが、改めて腋毛が男性に与える精神的恵みを女性は何故止めてしまったのだろうかと思ってしまう。一時「黒木香」が腋毛で一世を風靡したが、後継者が居ないことは、職人の世界同様残念なことだ。先に書いたWikipediaによれば、1950年代のアメリカで、ノースリーブと安全カミソリの普及が剃り毛に拍車をかけたとか。

そこで冒頭に戻るが、その「凄く懐かしいもの」というのは、その店の年配のウエイトレスが、何かの折に「賛成」といって右手を挙げたとき、左手でワキの下を覆う仕草をしたことだ。小生これでも若年のみぎりは、横浜の清正公通り、親不孝通り、それに新橋のナントカいうキャバレーに足繁く通ったことがあるが、大体当時のキャバレーは薄暗かったり、ショータイムになると暗くなる。そのとき飲み物など注文をするときに女給(現在名;ホステス)はマッチを擦ってボーイを呼ぶが、このとき必ずマッチを持って高く掲げた反対の手でわきの下を隠すポーズをする。

今思えば、当時はオミズ系の女性でも、女のたしなみは毛を剃ることではなく、下にもちゃんと生えているという重要なサインを送るためにケを剃らないようにしていたという文字通りプロ精神に徹していたことだ…。と思う。
何れにしても、上の毛も下の毛も発生形態としては根は同じということだ。そうなると、魏の曹植の「豆を煮るにまめがらを焚く。豆は釜中(ふちゅう)にあって泣く、本これ同根より生ずるに、相煮ることはなはだ何ぞ急なる」と兄弟の争いを歌った「7歩の詩」があるが、マメは勿論女性の象徴。腋毛、陰毛はもともと同根と見ると、この歌ははなはだ春歌めいてくる。もしこの解釈が正しければセイキの大発見となる。

つまり兄の皇帝に脅されて作った歌は、兄弟の争いを指したものと歴史は教えるが、チッチッチッである。それまで優等生でやってきた曹植が死に臨んだやぶれかぶれで次のような意味で歌ったとは思えないか?
マメを熱くするにはマメと同じように毛の生えているものを使うに如かず。それなのに相手がオカマだったのでマメは熱くなれず泣く。同じ根から生えたものとはいえ、縮れ具合といい、これだけ相似るとははなはだもってすごい。

チョット無理があるかな

ほえ面をかく」とはどんな面?

2012-06-16 | 思いつくまま
「ほえ面をかく」というが、どんな面をいうのかインターネットで調べてみたら、泣きっつらをする、べそをかく、悔しがって声を上げて泣くことと出ていた。

最近、石原都知事が「吠え面をかかせる」と言ったとか、いわなかったとか。

ま、それにしても犬や狼が吠えることがあっても、人間様が吼えるとはあまり言わない。それとも犬が吠えるから「吠える」と書き、孔子様が大声を出して泣いたことがあったから(あったかどうか知らないが)「吼える」と書くのかも。

ナゾは深まるばかり。