不老不死 2012-01-29 | 思いつくまま 急に「不老不死」とは何かと考えた。 特に理由はないが、「不老不死」というと、何故か長い白髪の仙人が水戸黄門のような杖をついて立っている姿をイメージする。そうなると、「不老」じゃなくて、最初から「既にフけている人」ということになり、「不老不死」という4文字熟語が成立しなくなる。 そうかと言って、青年が「不老不死になりたい」と言っても、本人に本当にそんな願いがあるのか疑いたくなる。だって、20台のオトコが、小生のように歳をとって体のあちこちが不如意になるという実感がなく、明日が来ることに疑いも持っていないのに「不老不死」という願望を持つ理由はないと思うが如何なものか。 ここまで書いて、急に手塚治の「火の鳥」―未来編を思い出した。 ご存知の方も多いと思うが、今から1500年くらい未来の話だが、その頃人間は地上に住めなくなり地下で5つの大都市を形成していて、そこではコンピュータが人間に代わって全てを判断して命令している社会だ。 こう書くと、この10年くらいからCGを使ったハリウッドのSF映画には似たようなものが結構あり、また、手塚治の描くその都市や交通システムは今の映画のシーンそっくり。インターネットによれば、この未来編が発表されたのは1968年というから、昭和43年。未だ小生のオフィスでは、ソロバンが普通で、経理部長が机を殆ど占領するような大きな電気計算機(電子ではない)を、それこそ地位の象徴とでもいうように誰にも触らせず、自分が使うときだけ急に上気した顔でガチャガチャ凄い音と何だか一桁進むたびにギザギザのついたステンレスの棒が上にでてくるようなものを使っていた頃だ。蛇足だが、小生は保険金査定の計算で遺失利益の計算など掛け算割り算が多かったので、使っていたのはソロバンではなく機械式のタイガー計算機だった。 その意味では手塚治というのは日本が生んだ超天才で、レオナルド・ダヴィンチの才能に匹敵すると思うのは小生だけではあるまい。 話は「火の鳥」に戻るが、その5つの世界では各々のコンピュータが支配しており、そのうちのふたつが対決したところ同じ能力なのでオーバーヒートして宣戦を布告、その結果全て都市が水爆で一瞬で消滅し、その直前火の鳥に選ばれて不死の生命を得た主人公マサトだけが人間として唯一人生き残るというストーリー。 そのマサトは何10億年も生きるが、その間に彼が見たものは、何億年単位でアメーバから進化した生物が現れるが、彼らも知恵を持つと争いだし、結局全てまた絶滅してしまう世界だ。最後にはマサトも肉体はなくなるが、それでも宇宙意識として存在し、また誕生してきた生物は彼を「神」や「創造主」と呼んでいた。これらが、全編通して人類のおろかさと宇宙も生きていることを実感させる優れた一編で、未だお読みでない諸兄に是非お勧めしたい。 話をもう一つ戻して本題の「不老不死」だが、これをできると考えている人は先ず居ないだろう。しかし、よく宗教で「不死の生命を得た」ということをいうが、どうも良く分からない。まあ、そのように信じて物理的に死んでも霊魂(これが良く分からない)というのがあって、これが天国で楽しく暮らすというようなことらしいが、果たしてその天国はありやなしや。これを見た人はいない。 よしんば、天国があるとしたら、これは死ななきゃ行けない。言い換えれば「不老不死」になったら絶対「天国」へ行けないということになる。そうなるとお釈迦様がおっしゃった「人生は苦である」という真理(つまり例外はないということ)から見ると「天国」へ行けない人=「地獄」で永遠に生きなければならない人ということになってしまう。「無期懲役刑」だ。つまり不死を願えば、永遠に地獄にいる。これを人はホントに願うのだろうか? だったら、不死ではなく、ちゃんと人並みに死んで、あるかも知れない天国へ行くチャンスの切符を手にした方がいいような気もするが、諸兄はどう思われますかな? どうせこの世が地獄だったら、あの世は天国だけなのかも知れない。やはり「不老不死」ではなく「有老有死」がお得な気がする。