新諸国物語「笛吹き童子」、
子供時代の楽しみにひとつにラジオドラマの「笛吹き童子」があった。
週末を除く毎日夕方には、どんなに群れて遊んでいてもその放送時間になると、不思議に時計も無いのにピタッと止めて家に飛んで帰って聞いた。
ラジオからは「北村寿夫原作、「新諸国物語 笛吹き童子、笛、福田蘭堂(石橋エータローのお父さん)」の声が流れるとワックワクして15分の放送に聞き入ったものだ。
この頃は未だ長岡に居たが、それから暫くして東京の鎌田へ引越し。その頃には「笛吹き童子」も「紅孔雀」となり、また「大林清原作、異国物語、ヒマラヤの魔王」などが続々と出てきた。そして、これらが東映で中村錦之助、東千代の介主演の映画となって、3本立てチャンバラ全盛時代を迎える。
そう言えば一つ思い出したが、確か「蒲田ヒカリ座」(蓮沼駅近く)といったと思うが、そこでは映画休憩の度に非常口を開けて空気を入れ替える。なにしろ、通路まで観客がぎっしり詰めかけていた時代だ。そのとき、非常口の外側近くに居て、次の上映で非常口の扉が閉まるときに何食わぬ顔で入るのだが(つまり無銭観劇)、その内、その非常口の係員のオジサンに顔を覚えられてしまったが、これがいい人で(自分にとって)、外に居ると手招きして入れてくれた。
実にいい人だったなぁ。勿論、名前は覚えていないが半世紀以上経った今でも、顔は覚えている。その人の孫かひ孫に会えたら是非当時のお礼を言いたい。
そこで、もうひとつ思い出したが、昨年50年ぶりに昔住んでいた蒲田の小林町(現、新蒲田)近辺をセンチメンタル・ジャーニーで訪ねた。当時は無かった環状8号線が走っていて、かなり様相は変わったが、小林八幡神社は若宮八幡と名前こそ変われ存在していたし、力道山のプロレステレビを見せてもらうためにお世話になった「そばやのひぐちや」、近所の中心療法研究所、それに、筆舌に尽くし難いほど世話になった輿○さんのお宅も昔のまま。 唯、輿○邸は、突然であり既に3-4代目と思われるので、今回はお訪ねはしなかったが、次回には先に電話を入れて是非輿○正○氏にお線香でもあげさせてもらいたいと思っている。
話は戻るが、そのヒカリ座は今は無かったが、その辺りは当時、小生が新聞配達していた区域で、何故か覚えている寺○邸の前に立ったら、今でも変わらずに当時の陶器製表札が出ていた。タイムスリップの一瞬。
話をもう一つ戻してラジオ放送だが、山東昭子が語り手となった「赤胴鈴之助」。これも夢中で聞いたが、このとき千葉周作の娘役千葉さゆりの声優が吉永小百合だった。ひょっとしたら、彼女の芸名(?)の「小百合」はここから取ったのかな? 本名かも知れないが。今でも覚えているのが山東昭子のナレーションで、「と、あるとき」「と、そのとき」など言葉の前に「と」をつけるのが、何故か耳に残っている。
そう言えば、彼女はその後参議院議員となったが、先日日本語放送を見ていたら、自民党の会議(説明がなかったらヤクザの集まりかと思った)の映像の中に彼女が居た。正直驚いた。これほど永く議員をやっていたとは。流石というか、やはり赤胴鈴の助の歌詞どおりの人生を歩んでいたのか。「票を取っては日本イチニ」。
子供時代の楽しみにひとつにラジオドラマの「笛吹き童子」があった。
週末を除く毎日夕方には、どんなに群れて遊んでいてもその放送時間になると、不思議に時計も無いのにピタッと止めて家に飛んで帰って聞いた。
ラジオからは「北村寿夫原作、「新諸国物語 笛吹き童子、笛、福田蘭堂(石橋エータローのお父さん)」の声が流れるとワックワクして15分の放送に聞き入ったものだ。
この頃は未だ長岡に居たが、それから暫くして東京の鎌田へ引越し。その頃には「笛吹き童子」も「紅孔雀」となり、また「大林清原作、異国物語、ヒマラヤの魔王」などが続々と出てきた。そして、これらが東映で中村錦之助、東千代の介主演の映画となって、3本立てチャンバラ全盛時代を迎える。
そう言えば一つ思い出したが、確か「蒲田ヒカリ座」(蓮沼駅近く)といったと思うが、そこでは映画休憩の度に非常口を開けて空気を入れ替える。なにしろ、通路まで観客がぎっしり詰めかけていた時代だ。そのとき、非常口の外側近くに居て、次の上映で非常口の扉が閉まるときに何食わぬ顔で入るのだが(つまり無銭観劇)、その内、その非常口の係員のオジサンに顔を覚えられてしまったが、これがいい人で(自分にとって)、外に居ると手招きして入れてくれた。
実にいい人だったなぁ。勿論、名前は覚えていないが半世紀以上経った今でも、顔は覚えている。その人の孫かひ孫に会えたら是非当時のお礼を言いたい。
そこで、もうひとつ思い出したが、昨年50年ぶりに昔住んでいた蒲田の小林町(現、新蒲田)近辺をセンチメンタル・ジャーニーで訪ねた。当時は無かった環状8号線が走っていて、かなり様相は変わったが、小林八幡神社は若宮八幡と名前こそ変われ存在していたし、力道山のプロレステレビを見せてもらうためにお世話になった「そばやのひぐちや」、近所の中心療法研究所、それに、筆舌に尽くし難いほど世話になった輿○さんのお宅も昔のまま。 唯、輿○邸は、突然であり既に3-4代目と思われるので、今回はお訪ねはしなかったが、次回には先に電話を入れて是非輿○正○氏にお線香でもあげさせてもらいたいと思っている。
話は戻るが、そのヒカリ座は今は無かったが、その辺りは当時、小生が新聞配達していた区域で、何故か覚えている寺○邸の前に立ったら、今でも変わらずに当時の陶器製表札が出ていた。タイムスリップの一瞬。
話をもう一つ戻してラジオ放送だが、山東昭子が語り手となった「赤胴鈴之助」。これも夢中で聞いたが、このとき千葉周作の娘役千葉さゆりの声優が吉永小百合だった。ひょっとしたら、彼女の芸名(?)の「小百合」はここから取ったのかな? 本名かも知れないが。今でも覚えているのが山東昭子のナレーションで、「と、あるとき」「と、そのとき」など言葉の前に「と」をつけるのが、何故か耳に残っている。
そう言えば、彼女はその後参議院議員となったが、先日日本語放送を見ていたら、自民党の会議(説明がなかったらヤクザの集まりかと思った)の映像の中に彼女が居た。正直驚いた。これほど永く議員をやっていたとは。流石というか、やはり赤胴鈴の助の歌詞どおりの人生を歩んでいたのか。「票を取っては日本イチニ」。
弁天湯という銭湯もありましたね。ひかり座は母親がよく連れて行ってくれた。8時半くらいの割引があった。遅くなると、夏など扉をあけ放ったから、通りから画面が見えたね。そのひかり座ももうない。小学校は矢口東でした。