ポルトガルではどんな街にも古い井戸が残っていて今でも利用可能なのが嬉しい。自然の水なのだから維持費は少しもかからないのだからこうして残されているのが自然な在りかただろうとおもわれる。日本はそういうものを破壊してすべてのものを有料化するのがお得意だ。車谷長吉さんの文章を引用させてもらえば、
人の一生は、金いう蠍に噛みつかれとうようなものや。めんめらみたいな貧乏人は、ことにそうや。この世は一日たりとも、銭なしには暮らせん。むかしは井戸の水やった。井戸の水は、何ぼ使うてもただや、けど、今日びのようにお上のお達しで、水道の水使うて暮らさなんようになったら、月々何が違うても基本料金だけは、いるがな。水は、命の水や。首根っこ圧えられとうようなもんやがな。基本料金とそれに使うた分を払うために、その分どうしても余分に稼がな、ならんが。基本料金は水道だけやないで、電気、ガス、電話、新聞、TV,教育費、ガソリン代、税金、お医者はんにとられる銭、そのほか数え上げたらきりがないで。今日びは子供を補習塾へ行かせるのんも、スイミング・クラブに通わせるのも、生活の基本料金の内やがな。これが近代生活や。便利になって、楽して、横着して、その分ずつ生活が苦しいになっていくが。銭に責め立てられるが。銭がないことに責め立てられるが。電話引けて便利になって、追いまくられていくが。それでも世ン中の仕組みは、銭を使わせるように、使わせるようになっていくが。そないなっていくさかい、その分だけようけ銭を稼ぎださならんように、なっていくが。みな欲どうしいが。その分だけ世ン中の気風は悪うなっていく。みなえげつないが。欲どい人にならざるをえんように、追われていくが。ひいひい言うて、これが新聞に書いてあるナウい生活や。
「抜髪」より
ということになる。僕は全く彼に同感である。だからみんなが貧乏になってゆく。脳みそが空になっていく。
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