「おもろうて やがて哀しき 鵜飼かな」的な「おもろさ」である。「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」を読んでいる。この物語は、何かの調査で世界で最も親しまれている小説のベスト・ワンに選ばれている。小説の好みはひとによってまちまちであろうから「何かの調査」というふれこみに別段の意味合いはないと思われる。
それにしても「ドン・キホーテ」はおもろい。騎士道というキホーテの信仰が世俗にまみれて俗の世界で打ちのめされてゆくにもかかわらず、騎士道を標榜し続ける老骨の意地は滑稽である。その見事な反骨と言い訳は崇高にさえ感じられることすらある。感じさせられることもたまにあると記されるべきか・・・。
ニーチェの高邁さに共通する何かがあると思っていたところ、ドストエフスキーがセルバンテスのキホーテを高く評価していたと解説にあった。意外である。ひとの精神や内面を深く掘り下げた思想家や作家ならば、現実や世俗と自分の理想とのギャップに気づいて暗澹とした気持ちになった経験があるのじゃないだろうか。「ドン・キホーテ」を読むことはこの暗澹とした気持に効くようだ。
われらが主人公ドン・キホーテの妄想と要領の悪さに同情している。そして我が身を振り返って戦慄してしまう。現実と世俗の中にあって何ものかを求めて名著・古典を漁りながら精神世界の旅を続ける自分の姿に・・・。
それにしても「ドン・キホーテ」はおもろい。騎士道というキホーテの信仰が世俗にまみれて俗の世界で打ちのめされてゆくにもかかわらず、騎士道を標榜し続ける老骨の意地は滑稽である。その見事な反骨と言い訳は崇高にさえ感じられることすらある。感じさせられることもたまにあると記されるべきか・・・。
ニーチェの高邁さに共通する何かがあると思っていたところ、ドストエフスキーがセルバンテスのキホーテを高く評価していたと解説にあった。意外である。ひとの精神や内面を深く掘り下げた思想家や作家ならば、現実や世俗と自分の理想とのギャップに気づいて暗澹とした気持ちになった経験があるのじゃないだろうか。「ドン・キホーテ」を読むことはこの暗澹とした気持に効くようだ。
われらが主人公ドン・キホーテの妄想と要領の悪さに同情している。そして我が身を振り返って戦慄してしまう。現実と世俗の中にあって何ものかを求めて名著・古典を漁りながら精神世界の旅を続ける自分の姿に・・・。