欲の塊り!

50代でもまだ「欲深オヤジ」、の徒然日記。

やさい自転車。

2014-05-24 22:08:11 | 日記

暖かくなると、野菜たちがどんどん大きくなります。
ブロッコリーはいつの間にかハンドボールくらいの大きさ。
(よくわかんない例え)

 

にんじん。細いながらもしっかりニンジンらしくなってきました。
束子でゴシゴシ洗って軽く茹で、マヨネーズで食べるのも良し、
そのままポリポリかじっても。

 

茎ブロッコリーは長く延びた茎ごと食べます。
ブロッコリーは茎が一番おいしいと僕は思っています。

 

にんにくの収穫もしましたよ。一皮むくと、まっ白いにんにくが現れます。

 

ブロッコリー、キャベツ、山東菜・・・
今日も僕の自転車のカゴはやさいたちでいっぱいです。

 

 

 

 

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エサレン。

2014-05-20 22:20:23 | 日記

皆さんは『エサレン』って聞いたことがありますか?

僕も詳しいことは分からないんですけど、とりあえず「オイルマッサージ」をイメージしていただければ“当たらずとも遠からじ”、といったところです。

 

状況が変わり、今は少し自分を見つめ落ち着いた生活ができるようになりましたが、僕はとてもストレスをため込みやすい性格で、心身ともに疲れ切っていた時期がありました。

そんな時出合ったのが加藤さんと『エサレン』です。

 

もし、あなたが精神的にも肉体的にもかなりの疲労を抱えているとしたら、彼の施術を一度体験してみることをお勧めします。

 

今回、久しぶりに加藤さんの『エサレン』を受けましたが、さらに違った印象を受けたので、ぜひ皆さんにお伝えしたいと思いました。あくまで僕の感想ですので参考程度にしてください。

 

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まず、ハッとするのが身体に触れられた瞬間。何かが入り込んでくる感覚。波動というのか身体の奥深くまで手を突っ込まれるというのか。

その後の、手が何本もあるような、いや、手ではなく木や草、風や波が身体をすり抜け、また包み込むような不思議な動き。

自分が大地に根を伸ばす大木や、波の一部になって大きなうねりの中にいるようなドラマチックな感覚。

手指から腕、体幹、脚部からつま先までの一気に流れるダイナミックな動きは、おそらく身体を部分でなく全体でとらえるエサレンの考え方からきているのでしょう。また左右シンメトリーでない動きも含め、心地よさと同時に自分が自然や地球という生命体の一部であり、「自分の身体が何であるのか」、「どのような存在であるのか」改めて自覚し、自分を客観的に俯瞰して見ることができる気がしてきます。

 

受け手の身体を窓口にして施術者と受け手との「会話の無い対話」が進行し、深層心理に訴えかけ自己開放を促し、自然治癒力の支援を行う。

これは単なるオイルマッサージやリラクゼーションの域を超えて、施術者と受け手が一緒に作りだしていく「作業」なのではないでしょうか?

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自分の未熟さや、未だ開放しきれない固い殻や緊張感も含め、今のすべてを認め受け入れてくれる加藤さんの優しさも伝わってきます。

加藤さんは意欲的に研修に参加されているようで、行くたびに新鮮な驚きがあります。僕はいつも散漫で一つに集中できないので、彼の探究心とか向上心には頭が下がります。

 

きっと僕の変化や加藤さんのレベルアップにより今後さらなる展開がある気がしています。

男性の施術者なので、男性でも気負わずに受けられる点が神経質な僕には有難いです。

もちろん女性でもOKです。

 

 

 

「てあてや」

http://teateya.jp/

 

 

 

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ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ

2014-05-18 22:33:05 | 日記

すごい!僕の考えていたこととほとんど一致します!!
皆さんは本当に幸せになりたいのでしのょうか?
ではハチドリになりましょう!
ムヒカさんや未熟な僕と一緒に。

http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/

 

 

 

ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)

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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません

ありがとうございました。

 

 

 

 

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ニラにスプーン。

2014-05-17 22:44:21 | 日記

今日は朝から混みこみスケジュール。
焼きそばで夕食、と思ってニラの収穫。
とはいってもニラなんて畑の隅っこに雑草同然。

でも、かき集めると、この程度。

スーパーで買う1把ぶんは楽に集まります。 あとは、キャベツ 。

もやしは、買います汗

10時から轡田(くつわだ)隆史さん
http://www.nikkeibook.com/writer/468/
「今、世界はどう動いているのか 日本の現実を読む」
~原発問題、秘密保護法、集団的自衛権、憲法の問題、教科書問題・・・・を私たちはどう考えなければならないのか・・~
う~ん、いまいち、消化不足。
一線を退いたから仕方ないとはいえ、同じさいたま市民として、もう少しオピニオンリーダー的に牽引していただきたい感残り。

昼食後すぐに木工クラフト講習。
スプーンは、かえで(白)と桜(赤)の2本をほぼ完成。
あとは細め200番くらいのやすりをかけて、くるみオイルで仕上げ。


小林先生に褒められ嬉し恥ずかし(^^ゞ
次回はお皿。ノミでバンバン削っていきます!

途中早退して地元の寺社講「下山講」の寄合。
御岳山http://www.mt-mitake.gr.jp/
榛名山http://www.haruna.or.jp/
古峯山http://www.furumine-jinjya.jp/syuhen.html
の各神社に詣でた代参者(代表参拝者)の報告会というか慰労会というか、飲み会。
僕は古峯神社に参拝(5月8日)してきました。

 


信仰してるわけでなく、昔の娯楽の一つですね。伊勢詣みたいな感じ。
古峯神社の代参者は宴会の当番でもあるので、酒や肴の手配や式進行もあり・・・
この地域には珍しく、古くからのしきたりも残る地区なのでお付き合いも大変です。

結局焼きそばまでたどり着けず、
宴会の残り物で終わった夕食でしたとさ。
おやすみなさ~い

 

 

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導かれ小浜へ。

2014-05-16 14:10:25 | 日記

同郷の誼で亡父の鋳物工場を手伝ってくれた恩人Fさんが末期の食道がんと知り、

母を連れて小浜行き。

ゆっくりしたい気持ちもあるが「泊まりでもすれば気を遣わせる人がいるから」

と無茶を承知で日帰りの行程を選ぶ。

父の故郷である小浜には世話になった親類や知人がいるものの、
葬儀のお礼にもなかなか伺えずにいたけれど、

予期せぬ形で親類縁者へ挨拶回りも兼ねてのお見舞い道中。

どこを訪ねても、母と同じくあと幾ばくかの面々ばかり。
既に旅立たれた方々に手を合わせ、最後になるかもしれぬ再会に
残った者同士で固く手を握り合い、短い時間を確かめ合う。

別れを惜しみようやく着いた病室には「面会謝絶」の札。
ナースに頼み込み母だけ何とか面会させてもらう。
最期の別れが何とか叶い、ホッとした半面、

幼かった僕自身もさんざ面倒を見てもらったFさんに直接お別れが言えず正直すこし心残り。
待合で母を待ちながら僕はあの頃を思い出していた。
遠路はるばる訪ねて行ったのに最後の別れも言えぬまま。
それでもどこか安堵していた。大きな区切りがついた気がした。

最終に近い電車で帰りつくと、母の付き添いを無事に済ませることができた安心感からか

どっと疲れが押し寄せる。

おそらく父や、目に見えない力によって導かれ手を引かれた今回の小浜行き。

全てのことに感謝し、合掌。




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