※使用素材 thanks for ORIGIN Designer's Site『Kigen様』
遥か昔。
地上に人が社会という集団を作り棲まふより、更に昔の物語。
真水を求め、獣を求め、人はその姿を進化させながら自らの星に棲まふ。
地上界。人の世を、ほんの少し覗いて視れば、そこには純粋な生への執着が見て取れた。
此処は、龍族の統べる天上界。
龍族といっても普段は人型をとって生活し、そして地上界への『水の脈(みち)』を通り往き来する。
そして龍の館にある水鏡は、地上界の水を通し星の多くを見ることができた。更に長の部屋の水鏡では、互いの力が強い者であるならば交信することも可能であった。
そのなかの星の、たかが人であるその男は、しかし全てのことに長けていた。狩猟にしても人望にしても、彼を取り巻く全てが恵まれているように映った。
やがて一人から二人、三人、そして五人、十人へと仲間を増やし、いつしか集落を形作っていた。獣を追い移動し続ける暮らしではなく、人たちは狩猟をしながらも土地に居つくことを選ぶようになっていた。
一方天上界には、地上界との縁を結ぶ龍が在った。
龍族の中に在り皆より慕われ可愛がられたアジャンは、龍族の長の許可を得て長く地上界に暮らした一人である。そして地上界に暮らす時の長さと同じ分だけ、彼女はその男を見ていた。
愛おしいという感情が有る。アジャンの男への眼差しは、いつしかその想いを含むものとなっていった。
本能、という性。
獣は子孫を遺すことでその死を受け入れ、子孫の顔を見る毎に感情の育つ種族があった。
人は何故、立ち上がったのか。人は何故、獣と一線を引こうとしているのか。
死して尚、子孫の繁栄を願い、将来種族ではなく個々の感情を優先させるようになってゆく人。
アジャンの姿は人には見えぬ。それは龍の力でもあったし、龍族の防衛本能でもあった。
しかし男には、ある時はっきりとアジャンの姿が見えた――。
それが何故かは分からない。
でも男はアジャンを手に入れたいと思い、アジャンもまた、男の許に暮らしたいと願った。
いつしかアジャンの姿は集落で暮らす全ての者に認識され、男はアジャンをただ一人の番いとした。
多くの者にとって、対を意味する番いは子を産む為には良しとはされていない。強い男の子を宿したいという女の本能を、男は止めることもできない。誰の子でも、子が生まれることの方が重要であり、個体の意思は繁殖という括りのなかでは無意味だった。
この頃、女は子孫を残すために、男よりも遙かに重要な位置に在った。
獣としての、人の本能。
それは龍族としても変わらないのだろう。やがて、アジャンは仔を宿す。
龍族の長が、龍水の力を使って嫌がるアジャンを地上界より、強制的に連れ戻した――。
人の命など、龍のそれに比べたら、瞬きほどのものでしかない。
長は、大事過ぎるからこそアジャンの我が侭ともいえる地上界での長逗留を許した。いつか必ず、自らの許に帰ってくることを疑わなかった。
しかし長のその想いは裏切られ、アジャンは人との仔を宿し帰館した。
連れ戻され、日々泣き暮らすアジャンの許に多くの龍が足を運ぶ。
人とは近く暮らさねば、忘れてしまう種族であるとアジャンを説いた。腹の仔を地上界に送り、この後天上界を出ることを許さぬと長が命じた。
アジャンは、男に忘れられる自分を想像するだけで消えてしまいそうな程嘆き苦しみ、そして精気を失ってゆく。
誰の言葉もその耳には届かず、その心に住まふは人の子である男だけであった。
月満ちる前に、アジャンの命が、魂が消滅してしまうのではないかと案じた龍たちはアジャンと共に男を受け入れる決心をする。アジャンはそれほど皆に愛された、龍の中の美しい誰にも代わりのない、たった一人の姫であった。
しかし男は、この選ばれたと自負する龍たちにあって、何処よりも美しいと誇りに思う龍族の治める天上界に暮らすことを拒否したのだった――。
それを知ったアジャンは、共に地上界へ往くことを選んだ。
龍族は、最早それを許すことしか彼女を生かす道がないことを知っていた。
生れ落ちた赤子は、生れ落ちたその瞬間より父と母を持たず、生れ落ちたその瞬間よりアジャンを奪った人の血を呪われ怨まれ忌み嫌われた。
それでも、その否定された中にあって尚、美しい肢体に目を奪われる。
赤子は“リューシャン”と名付けられた。
そしてその世話をする者として、ひとりの龍が名乗りを上げた。誰もが憎んだ、人の血の流れる赤子でありながら、一目見たその瞬間より虜にされたことを自覚し受け入れた者である。
やがて彼は、リューシャンと次代の長との交流を深める仲立ちもし、その後の全ての魂を共に生きることとなる。
その名をザキーレ。リューシャンがただ一人、片時もそばから離さなかった龍である。
一方、地上界に下りたアジャンは、人の中に紛れ龍であることを忘れ暮らした。愛する男と。
産み落とした赤子リューシャンの名も知らず、すぐさま地上界への脈を通った。
しかし赤子を忘れたわけではない。
それでも男を愛する自分の気持ちに、アジャンは全てをかけた。
命の長さを削っても、共に人の世に繋がる水の脈を守りながら生きた。いつの日か会えると信じ、手離した娘との対面を夢見て、やがて地上界の土に葬られることとなった――。
男はアジャンを喪ったことを嘆き、自らが作った集落を一人去った。
その後、彼が何処で生き、そして逝ったのか。誰ひとりとして、知る者はない。
未知。
永き時を経て、リューシャンの生まれ変わりである迦楼羅という女が土地を守る者より知らされるまで、男は弔いの言葉もないままに土に眠り続けている。
【了】
著作:紫草
Blog「孤悲物語り」にて、『草紙』の再連載始めました。
HP「孤悲物語り」内『草紙』表紙はこちらから
遥か昔。
地上に人が社会という集団を作り棲まふより、更に昔の物語。
真水を求め、獣を求め、人はその姿を進化させながら自らの星に棲まふ。
地上界。人の世を、ほんの少し覗いて視れば、そこには純粋な生への執着が見て取れた。
此処は、龍族の統べる天上界。
龍族といっても普段は人型をとって生活し、そして地上界への『水の脈(みち)』を通り往き来する。
そして龍の館にある水鏡は、地上界の水を通し星の多くを見ることができた。更に長の部屋の水鏡では、互いの力が強い者であるならば交信することも可能であった。
そのなかの星の、たかが人であるその男は、しかし全てのことに長けていた。狩猟にしても人望にしても、彼を取り巻く全てが恵まれているように映った。
やがて一人から二人、三人、そして五人、十人へと仲間を増やし、いつしか集落を形作っていた。獣を追い移動し続ける暮らしではなく、人たちは狩猟をしながらも土地に居つくことを選ぶようになっていた。
一方天上界には、地上界との縁を結ぶ龍が在った。
龍族の中に在り皆より慕われ可愛がられたアジャンは、龍族の長の許可を得て長く地上界に暮らした一人である。そして地上界に暮らす時の長さと同じ分だけ、彼女はその男を見ていた。
愛おしいという感情が有る。アジャンの男への眼差しは、いつしかその想いを含むものとなっていった。
本能、という性。
獣は子孫を遺すことでその死を受け入れ、子孫の顔を見る毎に感情の育つ種族があった。
人は何故、立ち上がったのか。人は何故、獣と一線を引こうとしているのか。
死して尚、子孫の繁栄を願い、将来種族ではなく個々の感情を優先させるようになってゆく人。
アジャンの姿は人には見えぬ。それは龍の力でもあったし、龍族の防衛本能でもあった。
しかし男には、ある時はっきりとアジャンの姿が見えた――。
それが何故かは分からない。
でも男はアジャンを手に入れたいと思い、アジャンもまた、男の許に暮らしたいと願った。
いつしかアジャンの姿は集落で暮らす全ての者に認識され、男はアジャンをただ一人の番いとした。
多くの者にとって、対を意味する番いは子を産む為には良しとはされていない。強い男の子を宿したいという女の本能を、男は止めることもできない。誰の子でも、子が生まれることの方が重要であり、個体の意思は繁殖という括りのなかでは無意味だった。
この頃、女は子孫を残すために、男よりも遙かに重要な位置に在った。
獣としての、人の本能。
それは龍族としても変わらないのだろう。やがて、アジャンは仔を宿す。
龍族の長が、龍水の力を使って嫌がるアジャンを地上界より、強制的に連れ戻した――。
人の命など、龍のそれに比べたら、瞬きほどのものでしかない。
長は、大事過ぎるからこそアジャンの我が侭ともいえる地上界での長逗留を許した。いつか必ず、自らの許に帰ってくることを疑わなかった。
しかし長のその想いは裏切られ、アジャンは人との仔を宿し帰館した。
連れ戻され、日々泣き暮らすアジャンの許に多くの龍が足を運ぶ。
人とは近く暮らさねば、忘れてしまう種族であるとアジャンを説いた。腹の仔を地上界に送り、この後天上界を出ることを許さぬと長が命じた。
アジャンは、男に忘れられる自分を想像するだけで消えてしまいそうな程嘆き苦しみ、そして精気を失ってゆく。
誰の言葉もその耳には届かず、その心に住まふは人の子である男だけであった。
月満ちる前に、アジャンの命が、魂が消滅してしまうのではないかと案じた龍たちはアジャンと共に男を受け入れる決心をする。アジャンはそれほど皆に愛された、龍の中の美しい誰にも代わりのない、たった一人の姫であった。
しかし男は、この選ばれたと自負する龍たちにあって、何処よりも美しいと誇りに思う龍族の治める天上界に暮らすことを拒否したのだった――。
それを知ったアジャンは、共に地上界へ往くことを選んだ。
龍族は、最早それを許すことしか彼女を生かす道がないことを知っていた。
生れ落ちた赤子は、生れ落ちたその瞬間より父と母を持たず、生れ落ちたその瞬間よりアジャンを奪った人の血を呪われ怨まれ忌み嫌われた。
それでも、その否定された中にあって尚、美しい肢体に目を奪われる。
赤子は“リューシャン”と名付けられた。
そしてその世話をする者として、ひとりの龍が名乗りを上げた。誰もが憎んだ、人の血の流れる赤子でありながら、一目見たその瞬間より虜にされたことを自覚し受け入れた者である。
やがて彼は、リューシャンと次代の長との交流を深める仲立ちもし、その後の全ての魂を共に生きることとなる。
その名をザキーレ。リューシャンがただ一人、片時もそばから離さなかった龍である。
一方、地上界に下りたアジャンは、人の中に紛れ龍であることを忘れ暮らした。愛する男と。
産み落とした赤子リューシャンの名も知らず、すぐさま地上界への脈を通った。
しかし赤子を忘れたわけではない。
それでも男を愛する自分の気持ちに、アジャンは全てをかけた。
命の長さを削っても、共に人の世に繋がる水の脈を守りながら生きた。いつの日か会えると信じ、手離した娘との対面を夢見て、やがて地上界の土に葬られることとなった――。
男はアジャンを喪ったことを嘆き、自らが作った集落を一人去った。
その後、彼が何処で生き、そして逝ったのか。誰ひとりとして、知る者はない。
未知。
永き時を経て、リューシャンの生まれ変わりである迦楼羅という女が土地を守る者より知らされるまで、男は弔いの言葉もないままに土に眠り続けている。
【了】
著作:紫草
Blog「孤悲物語り」にて、『草紙』の再連載始めました。
HP「孤悲物語り」内『草紙』表紙はこちらから