違うのか…
「絢ちゃんが一人目。そして乳飲み子が一人。おっきいおばあちゃんが居て、お舅さんも常に家にいる状態で、トイレに行く時間もなかったんです」
俺の親と祖母…
「妊娠中毒症って知ってますか。和希ちゃんは、もう長い間腎臓を悪くしていたんです。なのに、和樹君は二人目を産むことが当たり前のように喜んだ。幸樹ちゃんを産むことに、命の危険があるとは言えなかったんです」
紗和ちゃんの話は、いったい誰の話になったんだ。それは誰だ。命の危険って。
「和樹さん、口止めされてました。もう何年も透析をするしないでお医者さんと揉めているんです。かずちゃんが本当に悪妻ですか。貴方のお祖母さんやお父さんに懸命に尽くしている彼女が、腎臓病をかかえて高齢出産をして、何も言わない彼女が悪いですか」
奥さんが泣くのを、娘が抱き寄せた。
「私も知ってる。おばちゃん、具合悪そうな時、いつも化粧直しにトイレに行くから」
「今日のパーティも、最初彼女は断わりました。私たちが座っているだけでいいからと押しかけたんです。今日こそ、圭介に話をしてもらおうと思っていたから」
圭介…!?
どうして、ここに圭介が出てくるの。
「彼が最初に気付いたんです。流石に見る所が違うんでしょうね。でも和希ちゃんに口止めされた。和樹君に話したら自殺するとまで言われてしまったら、もう助けていくしかありません」
そこにいる皆が泣いていた。
「最初から同居して親がいて何も変化のない和樹さんには、妻の苦労は死んでも分かりません」
奥さんの強い言葉に、胸を突かれた。
「規一は理解していると」
「当然です。嫌なことがあれば、全部ぶちまけて聞いてもらいます。たとえ親の悪口でも、吐き出せば楽になりますから。でも和希ちゃんは何も言わない。耐えていましたから」
俺は自分のことを棚にあげ、あら探しを続けた結果がこれか。
「で、俺はどうしたらいいのかな…」
「何も。今まで通りにするも良し。心入れ替えて彼女を支えてゆくもよし、だ」
背から規一の声がした。
「どんだけ良い女房もらったか。お前が一番自覚がなかったな」
振り返ると、規一が言う。
そうだったんだな。
全然知らなかったよ。
「俺が、実家で同居を決めたのも和希ちゃんのことを聞いたからだ。もし何かあれば助け合えると思ったから」
嘘だ。
「じゃ、五年前にはもう和希は病気だったのか」
規一は、俺はそう聞いてるけど、と答えた。そして奥さんの肩を抱くと、娘三人と出ていった。
今更、どんな顔して会えばいい。
思い起こせば、文句を言い続けたのは俺の方か。
あいつは何も言わない。
「自分を背負ってみてって。あれは…」
「もし、どこかで突然倒れたら和樹君が困る。だから自分は重いから、すぐに救急車を呼ぶことができるように知っていてもらわないとって」
少し落ち着いた紗和ちゃんが、そう言った。
「あいつの言葉に無駄なことって、ないのかな」
「乳飲み子の育児って、きっとそんなに暇じゃないです。二十四時間体制。和樹君が起きてしまうからと寝室も別だから、貴方は夜鳴きで起きるなんてこともない。当然、手伝ってくれることもない。本当なら、和樹君には自分の親の面倒くらい自分で見て欲しいと、私は言いたい」
「親の面倒?」
「おじさん。最近、認知症の症状が出ています。でも恥かしいからって貴方には秘密です」
「その後始末は全部和希ちゃん。おばあちゃんは和希ちゃんの名前を呼ぶだけ」
紗和ちゃんは、ごめんなさいと泣いた。
それを責める権利なんてないよ。
これから、だ。全ては…
「和樹君」
和希が幸樹を抱いて立っていた。入れ替わりに紗和ちゃんが出て行く。
乳飲み子を抱く腕はぱんぱんに肥っていて、醜いとまで思っていた。それが病気のせいだなんて、思いもしなかった。何て、馬鹿だったんだろう。
「気にしないでね。私は大丈夫だから」
「そう言って、いつも誤魔化していたわけだ。ほら、おいで」
幸樹を受け取ると、椅子に座るように言う。
「明日、休みを取る。病院へ行こう」
問題は山積みなんだろう。ただ全てが手遅れになる前でよかった。
「まだ間に合うさ」
驚いている和希を見る。
「ごめん。無いものねだりをしていたのは、俺の方だった」
不思議なものでも見るように俺の顔を見ていた和希が、視線を外し窓の方を見る。
「あ」
和希の視線の先を見ると、コップに挿したコスモスに蝶が翅を休めている。
「これからは、お前の作るコスモスを一番好きになるよ」
【了】
著作:紫草
「絢ちゃんが一人目。そして乳飲み子が一人。おっきいおばあちゃんが居て、お舅さんも常に家にいる状態で、トイレに行く時間もなかったんです」
俺の親と祖母…
「妊娠中毒症って知ってますか。和希ちゃんは、もう長い間腎臓を悪くしていたんです。なのに、和樹君は二人目を産むことが当たり前のように喜んだ。幸樹ちゃんを産むことに、命の危険があるとは言えなかったんです」
紗和ちゃんの話は、いったい誰の話になったんだ。それは誰だ。命の危険って。
「和樹さん、口止めされてました。もう何年も透析をするしないでお医者さんと揉めているんです。かずちゃんが本当に悪妻ですか。貴方のお祖母さんやお父さんに懸命に尽くしている彼女が、腎臓病をかかえて高齢出産をして、何も言わない彼女が悪いですか」
奥さんが泣くのを、娘が抱き寄せた。
「私も知ってる。おばちゃん、具合悪そうな時、いつも化粧直しにトイレに行くから」
「今日のパーティも、最初彼女は断わりました。私たちが座っているだけでいいからと押しかけたんです。今日こそ、圭介に話をしてもらおうと思っていたから」
圭介…!?
どうして、ここに圭介が出てくるの。
「彼が最初に気付いたんです。流石に見る所が違うんでしょうね。でも和希ちゃんに口止めされた。和樹君に話したら自殺するとまで言われてしまったら、もう助けていくしかありません」
そこにいる皆が泣いていた。
「最初から同居して親がいて何も変化のない和樹さんには、妻の苦労は死んでも分かりません」
奥さんの強い言葉に、胸を突かれた。
「規一は理解していると」
「当然です。嫌なことがあれば、全部ぶちまけて聞いてもらいます。たとえ親の悪口でも、吐き出せば楽になりますから。でも和希ちゃんは何も言わない。耐えていましたから」
俺は自分のことを棚にあげ、あら探しを続けた結果がこれか。
「で、俺はどうしたらいいのかな…」
「何も。今まで通りにするも良し。心入れ替えて彼女を支えてゆくもよし、だ」
背から規一の声がした。
「どんだけ良い女房もらったか。お前が一番自覚がなかったな」
振り返ると、規一が言う。
そうだったんだな。
全然知らなかったよ。
「俺が、実家で同居を決めたのも和希ちゃんのことを聞いたからだ。もし何かあれば助け合えると思ったから」
嘘だ。
「じゃ、五年前にはもう和希は病気だったのか」
規一は、俺はそう聞いてるけど、と答えた。そして奥さんの肩を抱くと、娘三人と出ていった。
今更、どんな顔して会えばいい。
思い起こせば、文句を言い続けたのは俺の方か。
あいつは何も言わない。
「自分を背負ってみてって。あれは…」
「もし、どこかで突然倒れたら和樹君が困る。だから自分は重いから、すぐに救急車を呼ぶことができるように知っていてもらわないとって」
少し落ち着いた紗和ちゃんが、そう言った。
「あいつの言葉に無駄なことって、ないのかな」
「乳飲み子の育児って、きっとそんなに暇じゃないです。二十四時間体制。和樹君が起きてしまうからと寝室も別だから、貴方は夜鳴きで起きるなんてこともない。当然、手伝ってくれることもない。本当なら、和樹君には自分の親の面倒くらい自分で見て欲しいと、私は言いたい」
「親の面倒?」
「おじさん。最近、認知症の症状が出ています。でも恥かしいからって貴方には秘密です」
「その後始末は全部和希ちゃん。おばあちゃんは和希ちゃんの名前を呼ぶだけ」
紗和ちゃんは、ごめんなさいと泣いた。
それを責める権利なんてないよ。
これから、だ。全ては…
「和樹君」
和希が幸樹を抱いて立っていた。入れ替わりに紗和ちゃんが出て行く。
乳飲み子を抱く腕はぱんぱんに肥っていて、醜いとまで思っていた。それが病気のせいだなんて、思いもしなかった。何て、馬鹿だったんだろう。
「気にしないでね。私は大丈夫だから」
「そう言って、いつも誤魔化していたわけだ。ほら、おいで」
幸樹を受け取ると、椅子に座るように言う。
「明日、休みを取る。病院へ行こう」
問題は山積みなんだろう。ただ全てが手遅れになる前でよかった。
「まだ間に合うさ」
驚いている和希を見る。
「ごめん。無いものねだりをしていたのは、俺の方だった」
不思議なものでも見るように俺の顔を見ていた和希が、視線を外し窓の方を見る。
「あ」
和希の視線の先を見ると、コップに挿したコスモスに蝶が翅を休めている。
「これからは、お前の作るコスモスを一番好きになるよ」
【了】
著作:紫草