先週の週末、ご縁あって増上寺の徳川家墓所(徳川家ご霊廟)を参拝させていただきました。
台徳院霊廟惣門 【国重要文化財】
↑はおなじみ三解脱門より少し手前にある御門です。
戦災で焼失した旧徳川家霊廟は、もともとは現在の増上寺の左右の敷地にあって、
(今そこにはプリンスホテルがで~んと建っています)
戦後に発掘されて、現在の場所に移築されました。
そして2代・秀忠公。6代家宣公。7代家継公。9代家重公。12代家慶公。
14代家茂公と和宮公。など、徳川将軍の約半分が埋葬されています。
どうしてかというと、明治維新時の政策で廃仏毀釈
~仏さんとかを排して天皇を中心とした神道を敬うようにという政策~
の際に、分けられたのだとか。
(さあさらに何故なのか?どうしてそのようなことをしたか考えましょう~。
考えることは必要です。テレビ・新聞のみならず、インターネットで検索もしてみましょう。)
約半分は日光東照宮(初代家康公。3代家光公)と、上野東照宮
(東照宮とは、徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社)と、
寛永寺【寛永寺の御霊廟には六名の将軍
(4代家綱公、5代綱吉公、8代吉宗公、10代家治(いえはる)公、11代家斉(いえなり)公、13代家定(いえさだ)公)が
埋葬されています。】に埋葬されています。
今回改めて気づいたことは、「日本を取り戻す」ならぬ
「日本を破壊する」ための政治は、明治維新からだったのぉ~?
(あ。こんなこと書いたら、今話題の「特定秘密法」に触れちゃう~?
だって、現政権に都合の悪いことは「特定秘密にできる」し、それが何であるかは知らせてもらえないってねぇ。そこの奥さんってばっ。
知らない間に息子や旦那は戦場送り~。もおおありってわけなのよねぇ~。)
ここからだったの?と超実感!
最近少々オコ(怒)気味(いいかげんにせ~!)なTomoでした。
台徳院霊廟惣門 【国重要文化財】
↑はおなじみ三解脱門より少し手前にある御門です。
戦災で焼失した旧徳川家霊廟は、もともとは現在の増上寺の左右の敷地にあって、
(今そこにはプリンスホテルがで~んと建っています)
戦後に発掘されて、現在の場所に移築されました。
そして2代・秀忠公。6代家宣公。7代家継公。9代家重公。12代家慶公。
14代家茂公と和宮公。など、徳川将軍の約半分が埋葬されています。
どうしてかというと、明治維新時の政策で廃仏毀釈
~仏さんとかを排して天皇を中心とした神道を敬うようにという政策~
の際に、分けられたのだとか。
(さあさらに何故なのか?どうしてそのようなことをしたか考えましょう~。
考えることは必要です。テレビ・新聞のみならず、インターネットで検索もしてみましょう。)
約半分は日光東照宮(初代家康公。3代家光公)と、上野東照宮
(東照宮とは、徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社)と、
寛永寺【寛永寺の御霊廟には六名の将軍
(4代家綱公、5代綱吉公、8代吉宗公、10代家治(いえはる)公、11代家斉(いえなり)公、13代家定(いえさだ)公)が
埋葬されています。】に埋葬されています。
今回改めて気づいたことは、「日本を取り戻す」ならぬ
「日本を破壊する」ための政治は、明治維新からだったのぉ~?
(あ。こんなこと書いたら、今話題の「特定秘密法」に触れちゃう~?
だって、現政権に都合の悪いことは「特定秘密にできる」し、それが何であるかは知らせてもらえないってねぇ。そこの奥さんってばっ。
知らない間に息子や旦那は戦場送り~。もおおありってわけなのよねぇ~。)
ここからだったの?と超実感!
最近少々オコ(怒)気味(いいかげんにせ~!)なTomoでした。