この時期になると毎年、脚立に上った父が庭の夏みかんをもぎ、私が下で受け取って段ボールに詰めるという収穫が恒例だった。小学校の入学祝いに植えてもらったこの木は、今では中くらいの段ボール4箱を越える実をつけてくれる。
そのおすそ分けを持って行くと、その場で房の皮を上手にとって果肉の蜂蜜漬けをカウンター越しに出してくれるのが父の弟の奥さんだ。
叔父夫婦は和食のお店を経営していて、葬儀の後二度、私は閉店後にお二人とその息子さんの奥さん(息子さんは仕事で帰りが遅い)の4人で夕食のテーブルを囲んだ。
お店の入っているビルとその隣の家が父の実家でもあり、叔父の奥さんから聞くところ私の母がなくなってから14年間、父は空いてそうな時を見計らい、にこにこしながら暖簾をくぐって来ては、「ここに来るとほっとするわぁ~」とおしゃべりと食事を楽しんでいたんだという。
亡くなる一週間前、あまり体調の優れない中で行った定期健診後の、なんとも言えないやるせなさを吹き飛ばしたくて、私はそれまで叔父さんたちに外では会っていてもお店には子供の頃以来初めて、父と夕食をとりに来た。
驚いたことに、一週間ほど前から食のうんと細くなっていた父が、その時はすっかり溌剌とした子供に戻ったようで、うな丼とカキフライとお刺身を少しずつだけれど本当においしそうに平らげていった。
帰りも力が出たと言って、しゃきしゃきウォーキングしていた姿からはまさか一週間後に亡くなってしまうなんて思いもよらず、まるで赤い折り紙で作った飛行機がビュンと飛んで、急に視界の向こうに消えてしまったみたいだった。
その会食からほぼ一月ごとに、私は父の通っていたように叔父さんを訪ね、暖簾の仕舞われた店内で父と同じ椅子に座り、キムチ鍋やおでんやカキフライをいただいている。
あの日一度でも父の大好きな実家で、話しが出ると顔をほころばせるのが常だった仲良しな弟さんと、たまたまその日中に籍を入れお店の上の階に引っ越し作業中だった息子さん夫婦も交え、みんなで寛いでいる光景を見ておけてよかった。あの楽しい雰囲気は今もそこに息づいているから、と思う。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/