11月から3月のバリ島は雨季なので、日中じっとりと蒸し暑くて、日が暮れるとほっとしてしまう。
なかでも陽ざしの柔らかな朝と夕方、ビーチサイドで開かれているヨガクラスは、潮風を受けてとても気持ちがいい。
ライさんが、空色のベスパ(「ローマの休日」でオードリー・ヘプバーンが二人乗りしていたスクーター)に乗って現れたのは、カンカン照りの午後12:00だった。
大通りの渋滞をすり抜け、住宅街のでこぼこ路地をワルン(地元の人向けの食堂)へと走る。
以前、二度目にイタリアを巡った時、トレビの泉の前で
「僕のベスパでローマを案内しよう」
と、声をかけるイタリア人がいた。
一瞬想像し、あんまりできすぎなセッティングがちょっとおかしくも気恥ずかしくもなって、その場を離れた。
あれ以来やってきた機会だけど、実際乗ってみると二人には座席が少し短い。
30分くらいならいけそうだが、誘われた片道5時間のツーリングに同行するなら、ベスパかライさんをこよなく愛してる必要がありそうだ。
植木を眺める奥の席で、たっぷり野菜にチキンを添えた200円ほどの家庭的な昼食をとった。
ちょうどコーヒーを頼もうとしていると、キッチンからややしかつめらしいおじさんが顔を出し、ライさんが笑顔で立ち上がった。
彼は、このお店のオーナーだった。
しばし、おしゃべり好きなライさんが、こんなふうにして知り合ったんだよと、弾んだ紹介をしてくれて、その後急に二人は真剣な顔つきで話し始めた。
どうやらオーナーの彼は、こちらのブラックマジックという呪術にかかり、誰かが彼をしっとして具合を悪くさせているために、長いことお腹が痛んでいるという。
「それは、病院で検査してもらったほうが!」
という瞬間の思いを引っ込めて、耳を傾ける。
そもそもライさんは、バリカースト制度の司祭(ブラフマナ)に当たり、ブラックマジックというどろどろ魔術を解くホワイトマジックの使い手でもある。
( ※ バリのカースト制度は、バリヒンドゥーに基づき、インドより緩やかな4つの階層がある。
ブラフマナ/ Brahmana (司祭・祈祷師)
クシャトリア / Ksatria (王族)
ウェイシャ/ Wesia (騎士・軍人・村長)
スードラ / Sudra (一般の人・村人) → バリ島人口の90%以上 )
おじさんは、メガネを鼻にかけ顎を持ち上げ気味に、ライさんの話を一心に聞いている。
ライさんは、コーヒーカップやライターを場所や人に見立てて、彼の置かれている現状を説明していく。
話しが終わると、おじさんがいそいそとキッチンに戻り、中から丸ごとヤシの実をお皿に載せて出てきた。
デザート?
ではなかった。
共通言語の足りない分、彼は目で合図を交わし、足早に一番端のテーブルに移動した。
ライさんが椅子に片足をのせ、張り切った様子で実の上部を包丁で切り落とし、あとに3本のお線香を挿す。
二人はそれを挟んで向き合い、煙が立ち上ってくると、ライさんが手を合わせお祈りを始めた。
おじさんは、真剣な眼差しで見守っている。
お祈りの最後に目を開けて、短髪の頭の後ろに一束、ポロシャツの白い襟の下に垂らしてあったお下げ髪を取り出すと、ライさんはそれを右手で三度なで下ろし、ヤシの実からお線香を抜いた。
おじさんはうなずき、中のジュースを一息に飲みほす。
ほっ。 それが、かかった負の呪術を解き、かけた相手にお戻しする一連の儀式だった。(戻ってくるから、かける方も命がけらしい。なんとも。)
二人でわたしの前の席に戻ってくると、おじさんが初めて笑った。
それぞれ飲みかけのコーヒーカップにはハエがとまっていて、お代わりを勧められたわたしは、普段飲む習慣のない冷えたセブンアップを飲んでみたくなった。
ゴクン。 それは、蒸し暑さと、立て続けに起こる見知らぬ出来事たちへの戸惑いをスカッと吹き飛ばしてくれるようだった。
帰りがけに、裏庭の神殿に立ち寄って、そこでもライさんがお祈りをした。
ライさん。
色違いに揃えた6台のベスパを、カフェのテーブルで
「そのメモ用紙、ちょっと貸して」
と、ボールペンで精密に描いてくれる。
頭の後ろのお下げは、なにか神聖なアンテナかもしれない。
いつもは、バリ島のカフェやレストランの設計をして、ベスパで依頼主を訪ねている。
電話の声が、マシュマロのようにやわらかく、甘い。
信じている、愛しているものがある。
今日が大晦日なんてまるで思えない、お蕎麦も紅白も初詣もない永遠の夏日にもニューイヤーはやって来るようすで、いつもより街のあちこちがにぎわって、打ち上げ花火が上がりだした。
それは、日本より一時間後にやってくる。
みなさんにとって、新年が心の平和と豊かさに富む時間となりますように。
2014年、お会いできてうれしかったです。
お読みいただいて、ありがとうございました。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/