(・・・つづき)
ひとりの人間
一番に食べ終えた叔父さんが、ポッキーをつまみながら私の知らない父と祖父母、曽祖父母たちの話を聞かせてくれた。
父が高校生の時、初めてもらったお給料でまだ小学生だった自分におもちゃを買ってくれ、父は喜んで自転車の前と後ろにライトを取り付けたこと。 祖父母の出会いや戦争前後の暮らし・・・
そういうのを聞いていると、私の上に星が現れて空間が広がっていくような気分になる。 私たちはその中にひとりの人間として生まれ、親子となって巡り合った、不思議。
みんな振り子の糸のように祖先の歴史を身体に含んで今に在るんだなぁと思う。
愛をつないでいく、一時の旅人
あれから豆がひとつなくなった落花生の中にいるような気分だ。
たとえば父が好きで手入れしていた膨大な庭木や、少しずつ気に入った形の石を手に入れてきて造りあげた花壇、長年愛用していた鞄を感心するほど丁寧に修理した跡を見たりすると、そこに注がれた父らしい細やかな愛情が今も沁みつき生きているようで、なぜだか泣きたくなる。
紆余屈折を経たけれど、結局心に残るのは父が発した純粋な愛の光だけになっていく。 母のことも同じ。
蹉跌が集まるようにして。
本当にひとり
離れていても親が生きているというだけで、私のへその緒はまだ空の上の祖先とつながっていた気がする。
こうして両親をなくしてみると、一つの個体としての自分は、本当にひとりで生きているんだと思う。 これ以上削る余地がないくらい。
と同時に、他の命に今までとは違った普遍的な繋がりを感じる。 草原で共通の孤独を嗅ぎ分けてるみたいに。
おいしいものを見つけると父も食べたら喜ぶだろうなぁと思い、これから行きたいと話していた海外(次はベトナム!)や沖縄、白馬や博多、鳥羽の島々は私が少しずつ巡ってみようと思う。
そうして私の中で父も生きていく。
だからこの世界にいる間、自分に宿るものに素直に、それを慈しみ、もらってきた光をつないでいきたい。