むすんで ひらいて

YouTubeの童話朗読と、旅。悲しみの養生。
ひっそり..はかなく..無意識に..あるものを掬っていたい。

サイン かな。

2012年03月31日 | こころ
昨日からゴウゴウうなっていた春の嵐が、今ピタッとやみ、灰色の雲の向こうに、なつかしい黄色の光がぼわっと広がっています。
季節の変わり目って、犬や水鳥がバタバタっと身ぶるいするのに、なんだか似てる。


先日、滋賀県の琵琶湖のほとり、ガラス作りの体験工房に、ステンドグラスのランプ作りに行ってきました。

その前日、下調べに、「滋賀県てどんなとこだろう?」と、ネットで郷土の民話や歴史を調べていたら、ちょうどその時、久しく連絡のあいていた友人から、「この春、滋賀に引っ越すの。」というメールが届きました。

なんということもなく、ふと二、三日前から、その友人のことを「そういえば、どうしてるかなぁ。」と思っていたところだったので、なにか通じたのかも
さっそく来週、二年ぶりに食事をすることになりました。

すると昨日、いつものお米屋さんに行ったら、初入荷の滋賀県米をお勧めしてもらい、わたしも初めて彼の地のご飯を「またまた滋賀なのねぇ。」と、愉快な気分で炊きました


こういうシンクロはよくあって、いつも「ふしぎだなぁ。」と思っていましたが、これから意識的にメッセージとして受け取ってみよう。と、思いました。
そこに、自分がしようとしていることへの確信を持てたり、いい意味づけができたら、見えないちからに後押ししてもらって進めそう


今日は、Amazonから「信州おやき」詰め合わせが届きました。
これは一昨日、友人お勧めの絵本二冊と、気になった本二冊を注文している時に、たまたま目についたもので、その前日の夕食時、家族が
「お正月に諏訪湖サービスエリアで買った野沢菜のおやき、おいしかったね~。」
と話していたばかりだったので、追加注文してみました。

今、届きたてをいただいて、思いがけないモチモチ感に、これもシンクロ二シティとインスピレーションのたまものかしら。。 としたら、やっぱりいいことありそうと、たんのうしています。



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夜の みずうみ

2012年03月26日 | 旅行
「ほけ、け。 きょ。 ほけ。きょ」
かしの木から、今年、庭で初めてのうぐいすの声が聞こえてきました。
まだ練習中だけど、春です

その向かいのアプリコットの枝にも、紅のつぼみから「ぽぽ、ぽん」と、ふわふわの淡い桃色の花びらがのぞいています。

そんな、きらきらなお昼下がり、いつも高速道路のサービスエリアに立ち寄るだけだった静岡県の浜名湖へ、ふらり一泊旅に行ってきました

お部屋のテラスから、海のような眺め。




1498年に起きた大地震で、それまで淡水だった浜名湖と海を隔てていた部分が決壊し、 海水が流入して、現在のような、海水と混ざる「汽水湖(きすいこ)」となったそうです。



太平洋の遠州灘とつながっています。
その浜辺。
風が強くて、立っているのに精一杯。
無我夢中でパシャ。


この日、心のざわざわを感じていたので、夜、対岸のホテルに灯ったあかりと、じぶんの内側を、深呼吸して眺めていました。

と、そこに、いつからか無意識のうちに繰り返している「せつなさを感じるパターン」が見えてきました。

それは、いくつかの条件が重なった誰かに、自分が過去に見覚えのある「しんどかろう」思考回路を察すると、みょ~な哀愁が重なり、なにか言いたくなってしまう。けれど、それを相手にうまく受け取ってもらえそうにないと、もどかしい気持ちになる。というもの。

あぁ。それで、ざわざわなのね。
相手に重要性を置いていて、状況に作用したいわたしのエゴが身もだえしてるんだなぁ。

変えられるのは、自分だけ。
提案する以上の選択肢は、自由に反応する対象をありのまま受け入れるか、手放すか、どちらか。
手放すのは、突き放しやあきらめと違って、コントロールせずに関与すること、にも言える。
で、これらも、ほんとは、どっちでもいいことなんだろう。
目を向けるべきは、他人ではなく、自分が「今にどう在るか」だから。

けれど、このパターン。
今まで、知らないうちにお化け屋敷に入って
「うわっ、わぁ~!」と、はらはらしながら進んで、突然明るい日差しの中に出てくる。
ようなサイクルで、何度も再演されてきたドラマでした。
今度からはもう、地図を持って、コーヒーカップか大きな観覧車に乗ろう

そういえば子供の頃、こうして何かを外に求めるでもない、内にひたひた満ちてくる神秘的な充足感を感じていたなぁ
あの悦びに、戻れるだけ、戻ってみよう。


あいかわらず、湖は闇の中に静まっていましたが、一台の車の光が、湖畔のゆるいカーブを流れていくのが見えました。



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ふくらまなかった パンケーキ

2012年03月12日 | 日記
11年前の誕生日にもらった、かえるキャンドル。
白いバスタブに、水色のろうそくのお風呂。
かえるくんは、そこに胸まで浸かっています。

しまっている時期もありましたが、最近は洗面所に飾っていて、それを見ると、そろそろお風呂から出してあげたい気分になることもありました。
だけど、燃え残ったところに、カチコチにはまっているもの、ムリ。と、思っていました。

それがさっき、わたしもお風呂に入ったついでに、はじめてお湯でかえるくんを洗っていると。。
ペロン。と底がとれ、タブと、「ロウ+かえる」が分かれました。

これはもしや。。と、足元のロウに力を入れると、パキンと折れて、足がぴょこん。
続いて、背中からスポンとはがれて、全身が。
あっけなく、湯船から、つるんつるんのかえるくんが上がりました。

そっか。ロウって、温まれば柔らかくなるよね。
と、後から思ってみたものの、ずっと「これは、こういうもの」と、当たり前にしていたわたしにとっては、小さな頃よく感じていた、「おどろき」と「こうふん」の瞬間でした。


     

お風呂上りの記念撮影。


話かわって、先日、友人の家に遊びに行った時のこと。
彼女は、朝のうちにバナナパンケーキを焼いてくれていました。

ところが、白いお皿に、一口大にスクエアカットされていたのは、洋羹みたいにしっとり、どっしり。
バナナの皮に包まれた、バリ島の米菓子みたいでした。

オーブンを開けた彼女は、とたんに
「ベーキングパウダー、入れ忘れた!」
と気づき、
「しっぱいした~」
って、あわてたそうです。

でも、待ち合わせの駅まで歩いているうちに、こんなふうに思い直してみたんですって。
「おや。なんだか、ぺしゃんこのものが出てきた。なんだろう?」
そう、とらえたら。。

焼き上がったものからは既成概念が取り去られ、あるがままの。。ばなな洋羹?になり、キュッとなっていた心も解かれて、楽になった。と言い、にっこりしました。

「しっぱいしたけど、これはこれで。。」
と、むりに肯定するわけでもなく、はなから期待や固定観念をすて、無心に、その都度目の前に現れてくるものを眺める。
きっと、そういうところに、どこからか楽しいアイディアや、Happyな展開が生まれてくるのね。

味も話題も、おいしいお茶うけになってくれた「膨らまなかったパンケーキ」が、よろこんで見えました。
日常は、まだまだ深くて、ほんとうはシンプルで。


3月11日を経た、今日ここから、まだ揺れの残る人々のこころに、温い風がなでていきますように。



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ぐるり 早春の旅

2012年03月01日 | 旅行
三重県の伊勢神宮から車で二十分ほど行くと、世界で初めて養殖真珠を育んだ海辺のまちがあります。

この間からハワイのことを思っていたら、きれいな海が見たくなり、ちいさな頃に度々家族と訪れた岬のホテルへ出かけました。

おととしの十月に改装されたモダンな雰囲気のお部屋に入ると。。
正面の窓一面に広がる湾の先に、水平線。
離島を行き交うフェリー。

夜明け前、その光景を携帯で一枚。
すこおし窓を開けたら、ひんやりした風に潮騒が聞こえてきました。





ちっちゃなわたしが、エントランスまで祖母に手を引いてもらい、「えんしょ、えんしょ。」と山道を登ったのが昨日のようです。
あの時も、ようやく上がった部屋の窓の向こうから、広大な海に張り出す崖っぷちの木々や、眼下の青いプールが迫ってくるように感じられて、やっぱり、「わぁー!」と見入ってしまいました。

でも、ここでおどろいたのは、「どこまで続くんだろ~」と息を切らした急な山の斜面が、今行ってみたら、それほどでもない、ちょっとした坂だったこと。
見る人によって、世界の印象はすっかり変わるんだなぁ


翌日は、もう一軒、高校時代に夏休みを過ごしたホテルに立ち寄って、お茶をしました。
ここでも、泳いだプールが三段階に分かれて深くなっていく感覚や、ロビーの噴水の前で交わした会話、吹き抜けの二階から見下ろす人の流れ、ほっこりムードの木彫りのカモや、ダイナミックなシャンデリア、ビーチとプールをつなぐ芝生の丘に座り、花火を楽しんだやさしい夏の夜。などが、次々とよみがえりました。

と、庭のやしの木から、「ほー、ほけきょ。」の一声。
くらん。と、春が転がり落ちたみたいで、胸いっぱいに磯の香りを吸い込むと、さあて、伊勢神宮へと向かいました。


門前町の中ほどで、江戸から明治期の伊勢路の街並みを再現した「おかげ横丁」には、地元の名産店が軒を連ね、おひな祭りの飾りつけも華やかにあしらわれて、満開の桜並木に集うような人々の賑わいでした。

先ほどの山道と同じで、かつて川幅の広さに圧倒された、神宮内の五十鈴川の流れで手を清め、一番奥のご正殿へと続く参道の玉砂利を踏み、両脇に佇むおおきな木の精気に触れ、以前と変わらぬお茶屋さんでお菓子をいただき、日が沈む頃、三重のほうじ茶をお土産に買って、家路に着きました。


この日は、友人のお店で開かれたランチ演奏会も盛況で、また別の友人が挑んだ、サッカーの入魂試合も見事勝利!

思い立って、ひさかたぶりに出かけた鳥羽と伊勢への旅でしたが、今も楽しく生かされていることへの「おかげ参り」になったような気がします。

今日から3月ですね。
身近な人たちが、笑って暮らしているイメージを持って、生活したいと思います。
あなたも、うららかな春を 



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