むすんで ひらいて

YouTubeの童話朗読と、旅。悲しみの養生。
ひっそり..はかなく..無意識に..あるものを掬っていたい。

年を越して祝われる海外のクリスマス🎄

2024年12月29日 | 日記
こんばんは。 

いよいよ、今年もあと僅かとなりましたね! 

ソワソワとわくわくが入り混じるこの時期、バリ島の年末年始を思い出してサブチャンネル「ゆうか - Night Stories」で、つぶやきました。 

よかったら聞いてくださいね🎍

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パンダ時計、パンダの星に還る

2024年12月28日 | 日記
(今日は、日記です😌

昨日、時計の短針がぽろっともげました。

今年3月に亡くなったパンダくんが気に入っていた、コサインというメーカーの木の円い掛け時計で、引っ越しの時に外してから新しい家では飾り棚の上に立てかけていました。

この時計を見る度にわたしの頭の片隅には、元気な頃のパンダくんが、ある時これをダイニングテーブル越しに、満足気に、じっと見上げていた左の横顔がありました。
この人は余程この時計が気に入ってるんだなぁ。と、印象的だったのです。

🕐

ここ数日、年が変わったら、パンダくんのいない年が始まるな。。と思い、24日は3年前のことも思い出していました。

あの日は、わたしの住んでいた横浜の家の近くのニューグランドホテルのレストランで待ち合わせをしていて、20時に山下町の高速を下りたパンダくんが、渋滞してたけどもう着くとかけてくれた電話から、「今花火が上がってる!」と弾んだ声が聞こえました。

わたしは、ちょうど出かけようとしたら鳴り始めた花火の音に、居間に引き返したところでした。
そして窓と、電話を通して、5分くらい上がる港の花火を見ていました。

🎆

今年、その20時が近づいて、今も同じレストランでクリスマスのコースが振舞われているのを想うと、なんだかじわっと涙が滲みました。

25日の明け方の夢には、円い二人用のテーブルに赤と白のギンガムチェックのテーブルクロスがかけられていて(今のわたしの部屋着の柄)、そこに空っぽの洋食器とフォークとナイフが並べられていて。
そのお皿の隣に、こっちを向いた、小さな白いうさぎのような犬が座っている、イラストが出てきました。

その長い耳は、両肩に向かってゆる~く垂れていて、その線と並んで、つむった両目からは水色の涙が二粒ずつ弾けていました。

テーブルの向こう半分はグラデーションになってぼやけていて、手前の籐の椅子(これは今の居間で、座面に母の描いた絵を立てかけて飾っている)だけ、右側が少しこちらに向けて引かれていました。

🍴🐰

時計の話に戻ると、片付けの延長にこの時計もソファーの上の壁に掛けようと思って手にとったら、短針が斜めに傾いているように見えたので、盤と並行に戻そうと少しねじったところでした。

ほんの少しの力加減だったつもりが、根本からあっけなく、ぽろっと零れ落ちてしまい、その時ふと、目の前の時間(秒針と長針が刻む)は流れているけれど、大元の深くにある時間は止まったな。パンダくんが好きだった時計だから、パンダくんと一緒に今年で時を刻むのを止めたんだなって、思いました。

そう言えば前の日に、ある配信で年末の大掃除の知恵として、「物には使っていた人のエネルギーがこもっているから煙を潜らせるのも浄化の一つ」と語られているのを聞き、この時は時計のことは気にしていなかったけど、ロクシタンのローズのお香を近くで焚いていたのも、関係あるやなしや。

針を回していたパンダくんの愛も抜けて、時計の肝?を別次元に連れていったのかもしれない。


その後、わたしは電池を外しました。
一瞬アロンアルファで短針をくっつけようかとも思いましたが、それも止めました。

今、机の上に寝かせてある、こげ茶の木目に鮮やかな赤い秒針が妙に目を引くその円時計は、なんとなし役目を終えてほっとしているように見えます。

窓から西日が差してきたので、この冬の、柔らかな陽の当るところに持っていってみようと思います。
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夢のお言葉

2024年10月15日 | 日記
つぶやき日記です。

いつもカラーの、映画のような夢を見ます。
そこには、日々感じていることが、
象徴的な短編ストーリーになって表れます。
3日前の朝、それが一通り終わって、
目覚める直前に言葉が聞こえました。

「青いボールを選んだら、赤いボールが唸りだす。
 赤いボールを掴んだら、青いボールが忍びだす。」

そこで、えッと目が覚めました。
なぜボール?と思いながら、
なにか大事なことのような気がしたので、
忘れないうちに書き留めました。

目の前にまだ、青と赤のテカテカした
やわらかいゴムボールが見えていて、
掴んだ時の弾力まで感じられました。

これはきっと、近いうちにゴムボールを見るかも。
と、思いました。


昨日、電気屋さんにスマホを見に行きました。
入口でキャンペーンをやっていて、
ガラガラくじをひかせてもらいました。

150センチくらいある大きなガラガラの、
玉の出口の受け皿に、
白が二つと、黄が一つ転がっていました。
そのテカテカ具合も大きさも、
あのゴムポールそっくりでした。

なんだか、白が出そうな気がしました。

出てきたのは、やっぱり白でした。
取り上げてみると、
あの、夢と同じ弾力のゴムボールだったので、
心の中で「おぉ。。。」と思い、
懐かしいような気さえしました。

お兄さんが、「はずれだけど、何か・・」と言って、
景品の中からフリーザーバッグを選んで
手渡してくれました。

白を引いたら、なんですか。
外れ。
それも、中庸で、平和で…いいような気がしました。

たわいないけど、ちょっとたのしい午後でした。

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はじめてのYouTube

2022年08月11日 | 日記
1週間前にYouTubeをはじめました🐣

わたしは電子書籍より紙の本が、パソコンの前より海の見えるベンチの方が心地いいので、動画編集の基礎や、YouTubeのしくみを独学で覚えていくのに、もどかしい日々を過ごしていました。

また、録音も友人とならおしゃべりは尽きないのですが、ひとりで話すと留守番電話に伝言を吹き込んでいるような所在なさがあって、何度もやり直しをしました。

画像は、できるだけ自分で撮った写真を使いたいので(サクッとスマホですが)、綺麗なものを見ると、「これをこんな風に表現したい」とイメージがたくさん湧いてきます。
でも、実際にそれを完成させるまでの手順はたくさんあって、圧倒されてしまいます。

それでもなんとか、今夜2作目ができました。

視聴して下さった方に、少しでもホッとしてもらえるような動画になるよう、少しずつ改善をしていきたいと思っています。

明日の17時に、ブログの記事を朗読する動画を上げますので、お時間の許す時にまた聞いていただけたら、うれしいです😌💗

後ほど、リンクを載せる予定です。
よろしくお願いします🌝🌟





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これは 奇跡だよ

2022年06月26日 | 日記
佳奈さんは、いつも行っているカフェの店員さんだった。
彼女は普段、逞しかったり、まったりしてるけど、お店にいる時は柔らかい笑顔と歌うような声でもてなしてくれる、お日さまのようだった。

彼女が半年前に転職した後も、わたしたちはLINEで連絡を取り合っていて、先週ランチとお茶をしながら近況を話すことになった。
これまでも何度かそうだったけど、お腹が満たされて食後のコーヒーの頃になると、どちらかから、結局はそれにつられてふたりとも、これまで抱えていた想いが解けていって涙ぐんでしまうことがよくあった。
レストランでも、カフェでも。

40代後半になった彼女は、一年半前から、やっぱりカフェ時代に常連のお客さんだった25才年上の彼と、先のない(年齢的なことではなくて、 二人の事情で結婚し生活を共という意味合いでは…)ゆえに純粋な、おつき合いをしている。

馴れ初めは、彼女がテニスを始めたがっていた時に、長年レッスンを続けている徹さんがコートに誘ったことだった。
二人ともかつての結婚相手と上手くいかなくて、何十年も一人の、時々は子供さんと過ごす生活に馴染んでいた。

数か月後、恋愛の気配を感じてわたしが聞いた時には、まだ、
「そんなんじゃないよー」
と、ケラケラ笑っていた彼女だったけど、ある時、急に彼と連絡がつかなくなって、ひどく取り乱していた。

年齢と独り暮らしのこともあって、何かあったんじゃないかと思った彼女の、
「新聞とってない?」
と、わたしに聞いた目は真剣で、それはもう家族を案じる緊迫感だった。

死亡欄を気にしていたのだ。
結局は、忘れっぽい徹さんが携帯の電源を2日間切りっぱなしにしていて、そのことに気づいていなかった、という落ちだった。
でもそれを機に、彼女は自分の恋愛感情を公開した。

この前、彼が、
「この出会いは奇跡だ。こんなに長く女性と向き合ったことはなかったから」
と言ったそうだ。
学生の頃、7年おつき合いをしたことのある彼女にしてみれば、1年半はまだ短いものだから、少しおどろいた。
徹さんには40代の息子さんもいて、若い頃は一般的な家庭生活を送っていたのに、それはカタチばかりで、奥さんと話すことはほとんどなくなっていったという。

世の中にそういうご夫婦はたくさんあるにしても、71才になって、ありのままを見せて、ただ、今を共にしていられる異性と巡り会えたことは、わたしにも人生捨てたもんじゃないなと思わせてくれる。
だから、彼にとって、
「生きててよかったな、って思えるんじゃないかな。最後にそんな人と出会えるなんて。徹さん、幸せよね」
と言ったら、佳奈さんは、
「そうかな」
と、マックのテラスでたちまち目を潤ませた。

奇跡と言った徹さんだけど、彼女の話を聞いていると、彼はそんなに思われてることを普段なんでもなく思ってるみたいだ。
真っ只中にいる時、わたしたちはそのことの貴重さに気づくとあんまり苦しくなってしまうから、少し焦点をぼかしているのかもしれない。
だから、他人にはわかったり、それが続かなくなった時の本人が初めて実感する、なんてことが多いのかも。

間接的に、やさしい翻訳者を通して、今置かれてる状況をおしえてくれる誰かがいたら、もっとわたしたちは、爽やかな喜びの内にいられるのだけど。






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