大晦日。実家には、惜しみなく陽射しが降り注いでいます。
今、久々に腰を落ち着けてこれを書いている窓の外では、どんぐりの木の、冬のこわばった葉たちが一身に光を浴び、時々くすぐったそうにフルル。と、揺れています。
今年は、東北の震災時、東京にいて、お店から品物がなくなったり、電気や原子炉の問題を目の当たりに生活するなかで、多くを学び、考えることのできた一年でした。
津波で家族を失ったひと、建てて間もない家を流されたひと、出会った人々の話は、同時にわたしたちの身に起こった話でもあり、あらためて、今まで築いてきた大切なものを失くした時、どうしたらいいかと考えてきました。
そうして、答えはわからないままですが、わたしの場合は、やはりパンチには呆然として、しばし途方に暮れ、それでも思いつめる前によく寝ることを心がけ、また日が昇ったら話せるひとに話す。そのうち、心が静まってきたら全体の流れに耳を澄ませ、小雨が土に浸透していくように、ちょっとずつ出来事と自分の感情を受け留めていく。というパターンのある気がしました。
それから、うんとストレッチした心で聞き取ったものを行動に移していけば、大きくて動かなそうに見える壁も、なんだか少しずつ崩れていくもの。と。
ふと、そんな時支えになってくれる人のありがたさと共に思い出したのは、子供の頃、居間のカーペットを海に、その上に並べた座布団を小島に見立て、「波が荒れ狂ったとしても、このちっちゃなスペースだけは何があっても安全な場所よ」と、空想して遊んだひとときのことでした。
たいてい、夕飯の時刻がきて座布団は引き上げられましたが、その、心から「ほ~っ」とした感覚は残り、毎日の現実を元気に生きる力になっていました。
来年、わたしたちが、よき味方と、心にそんな安全地帯を持って、ちいさくてもぽこぽこと新しいものを生み出し続けられる、平和な年になればいいな。と思います。
今年、出会った人たちにありがとう。
どうぞ、あなたもよいお年を。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/
今、久々に腰を落ち着けてこれを書いている窓の外では、どんぐりの木の、冬のこわばった葉たちが一身に光を浴び、時々くすぐったそうにフルル。と、揺れています。
今年は、東北の震災時、東京にいて、お店から品物がなくなったり、電気や原子炉の問題を目の当たりに生活するなかで、多くを学び、考えることのできた一年でした。
津波で家族を失ったひと、建てて間もない家を流されたひと、出会った人々の話は、同時にわたしたちの身に起こった話でもあり、あらためて、今まで築いてきた大切なものを失くした時、どうしたらいいかと考えてきました。
そうして、答えはわからないままですが、わたしの場合は、やはりパンチには呆然として、しばし途方に暮れ、それでも思いつめる前によく寝ることを心がけ、また日が昇ったら話せるひとに話す。そのうち、心が静まってきたら全体の流れに耳を澄ませ、小雨が土に浸透していくように、ちょっとずつ出来事と自分の感情を受け留めていく。というパターンのある気がしました。
それから、うんとストレッチした心で聞き取ったものを行動に移していけば、大きくて動かなそうに見える壁も、なんだか少しずつ崩れていくもの。と。
ふと、そんな時支えになってくれる人のありがたさと共に思い出したのは、子供の頃、居間のカーペットを海に、その上に並べた座布団を小島に見立て、「波が荒れ狂ったとしても、このちっちゃなスペースだけは何があっても安全な場所よ」と、空想して遊んだひとときのことでした。
たいてい、夕飯の時刻がきて座布団は引き上げられましたが、その、心から「ほ~っ」とした感覚は残り、毎日の現実を元気に生きる力になっていました。
来年、わたしたちが、よき味方と、心にそんな安全地帯を持って、ちいさくてもぽこぽこと新しいものを生み出し続けられる、平和な年になればいいな。と思います。
今年、出会った人たちにありがとう。
どうぞ、あなたもよいお年を。
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