ミュウタントのブログ

日本国憲法第9条は地球人類の宝、それを改悪するための日本国憲法第96条の改正に反対!

64年目の8月、今晩は、吉永小百合ですを聴いて

2009-08-09 23:46:00 | インポート
 TBSラジオ夜10時半からの番組は、戦後64回目の8月を迎えて思うことは、憲法第9条があったから日本は新たな戦争に参加せずに来たこと、そして9条が変えられたら大変だという思いを強くすることですという語りから始まった。
 今日はハンセン病で隔離された塔和子さんの詩を紹介しながら、大島の療養所に隔離されて、ここにも弱い者にしわ寄せられて、戦争の被害者達がいたということを、皆さん考えてくださいと語っていました。

 塔和子さんの詩集『希望』から2編朗読された。・・と涙。

 広島の原爆詩人 故峠三吉さんの詩

 おかあさん

 グノーのアベマリアを、バックに小百合さんの朗読が続く。

 としとったお母さん

逝(い)ってはいけない
としとったお母さん
このままいってはいけない

風にぎいぎいゆれる母子寮のかたすみ
四畳半のがらんどうの部屋
みかん箱の仏壇のまえ
たるんだ皮と筋だけの体をよこたえ
おもすぎるせんべい布団のなかで
終日なにか
呟(つぶや)いているお母さん

うそ寒い日が
西の方、己斐(こい)の山からやって来て
窓硝子にたまったくれがたの埃をうかし
あなたのこめかみの
しろい髪毛をかすかに光らせる

この冬近いあかるみのなか
あなたはまた
かわいい息子と嫁と
孫との乾いた面輪(おもわ)をこちらに向かせ
話しつづけているのではないだろうか
仏壇のいろあせた写真が
かすかにひわって
ほほえんで

きのう会社のひとが
ちょうどあなたの
息子の席があったあたりから
金冠のついた前歯を掘り出したと
もって来た
お嫁さんと坊やとは
なんでも土橋のあたりで
隣組の人たちとみんな全身やけどして
ちかくの天満川(てんまがわ)へ這い降り
つぎつぎ水に流されてしまったそうな
あの照りつけるまいにちを
杖ついたあなたの手をひき
さがし歩いた影のないひろしま
瓦の山をこえ崩れた橋をつたい
西から東、南から北
死人を集めていたという噂の四つ角から
町はずれの寺や学校
ちいさな島の収容所まで
半ばやぶれた負傷者名簿をめくり
呻きつづけるひとたちのあいだを
のぞいてたずね廻り
ほんに七日め
ふときいた山奥の村の病院へむけて
また焼跡をよこぎっていたとき
いままで
頑固なほど気丈だったあなたが
根もとだけになった電柱が
ぶすぶすくすぶっているそばで
急にしゃがみこんだまま
「ああもうええ
もうたくさんじゃ
どうしてわしらあこのような
つらいめにあわにゃぁならんのか」
おいおい声をあげて
泣きだし
灰のなかに傘が倒れて
ちいさな埃がたって
ばかみたいな青い空に
なんにも
なんにもなく
ひと筋しろい煙だけが
ながながとあがっていたが……

若いとき亭主に死なれ
さいほう、洗いはり
よなきうどん屋までして育てたひとり息子
大学を出て胸の病気の五、六年
やっとなおって嫁をもらい
孫をつくって半年め
八月六日のあの朝に
いつものように笑って出かけ
嫁は孫をおんぶして
疎開作業につれ出され
そのまんま
かえってこない
あなたひとりを家にのこして
かえって来なかった三人

ああお母さん
としとったお母さん
このまま逝ってはいけない
焼跡をさがし歩いた疲れからか
のこった毒気にあてられたのか
だるがって
やがて寝ついて
いまはじぶんの呟くことばも
はっきり分らぬお母さん

かなしみならぬあなたの悲しみ
うらみともないあなたの恨みは
あの戦争でみよりをなくした
みんなの人の思いとつながり
二度とこんな目を
人の世におこさせぬちからとなるんだ

その呟き
その涙のあとを
ひからびた肋(あばら)にだけつづりながら
このまま逝ってしまってはいけない
いってしまっては
いけない

故原民喜

原爆小景から

原爆小景
原民喜


  コレガ人間ナノデス

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス


  燃エガラ

夢ノナカデ
頭ヲナグリツケラレタノデハナク
メノマヘニオチテキタ
クラヤミノナカヲ
モガキ モガキ
ミンナ モガキナガラ
サケンデ ソトヘイデユク
シユポツ ト 音ガシテ
ザザザザ ト ヒツクリカヘリ
ヒツクリカヘツタ家ノチカク
ケムリガ紅クイロヅイテ

河岸ニニゲテキタ人間ノ
アタマノウヘニ アメガフリ
火ハムカフ岸ニ燃エサカル
ナニカイツタリ
ナニカサケンダリ
ソノクセ ヒツソリトシテ
川ノミヅハ満潮
カイモク ワケノワカラヌ
顔ツキデ 男ト女ガ
フラフラト水ヲナガメテヰル

ムクレアガツタ貌ニ
胸ノハウマデ焦ケタダレタ娘ニ
赤ト黄ノオモヒキリ派手ナ
ボロキレヲスツポリカブセ
ヨチヨチアルカセテユクト
ソノ手首ハブランブラント揺レ
漫画ノ国ノ化ケモノノ
ウラメシヤアノ恰好ダガ
ハテシモナイ ハテシモナイ
苦患ノミチガヒカリカガヤク

原民喜 絶筆

遠き日の石に刻み
砂影おち
崩れ墜つ
天地のまなか
一輪の花の幻

広島城址近くに友人らが石碑を建て、そこに絶筆の詩が刻んであります。これを小百合さんが最後に朗読して番組は終わりました。

海軍軍令部、当事者達の告白記録

2009-08-09 22:12:00 | インポート
 昨年、旧海軍元将校の遺品の中から、たくさんの録音テープが見つかったという。海軍反省会という題が、付いていた。
 旧海軍関係者で作った水公会で行われた反省会。月1回行われた反省会で、議論は一回3時間以上に及んだという。毎回40人近く延べ400人近くが、参加していたといいます。
 昭和55年3月から始まって、平成3年に終わったといいます。
 最初に参加したのは9人、軍令部にいたかつての中佐や少将たちでした。以後11年130回以上、議論が積み重ねられたという。
 カセットで225巻。海軍の実権を握っていたのは、軍令部。
 海軍省、軍令部、連合艦隊からなっていた海軍ですが、統帥権を楯に軍令部が一番実権を握っていました。
 軍令部作戦室、一部一課、ここでわずか10人ほどの参謀が、太平洋の海戦の実質の指揮を握っていました。
 蛹元参謀は、軍令部配属の時中佐でした。なし崩し的に、中国との戦争で疲弊していたにも拘わらず、米国との戦争の準備が進められていたといいます。
 米国は、日本は中国から手を引くべきだと圧力をかけて来ました。
 保科善四郎元中将は海軍省にいて、戦争はできないと軍令部に一緒に海軍大臣に進言することを説いていたといいます。
 しかし、永野軍令部総長は、米国との戦争止むなしと開戦を主張していました。
 油がなくなると飛行機、軍艦が動かせなくなる。その焦りがあったといいます。
 当時それが是とされた自存自衛を、元参謀達が語ることはなかったという。陸軍の内乱によって海軍が押さえ込まれてしまうことを恐れたという。
 強大な権力をどう押さえていったのでしょうか。野元元少将が、軍令部と皇族との関係を問いただしたといいます。
 皇族にブレーキをかける空気がなかったのが、遺憾だと語っていた。伏見宮総長の名前を出したことで、家族が心配したといいます。
 野元為輝元少将が、軍令部の謀略によって通した法令によって、暴走を始めたと指摘していました。
 海軍軍縮会議の戦艦の数に軍令部は不満を持っていたことから、海軍省から建艦の権限を奪うことで、軍艦建造計画を軍令部が握ることになったといいます。
 法令の改訂が軍令部の権限拡張に天皇は懸念を示し、改訂を渋ったといいますが、伏見宮総長が、軍縮会議からの撤退を上奏し、軍艦建造拡大に走ったといいます。
 軍令部は、皇族を総長に迎え政治への介入を図り、巨大な権力を手にしていました。
 東南アジアに進出すべきは、自存自衛のためという第1委員会の思惑通り進めたといいます。
 平成に入り軍令部と海軍省のエリート7人からなっていた第1委員会の検証に入りました。
 総長の副官が少佐や中佐という小僧に、国の重大な決定事項をやらせたこと自体間違いだったと言っています。
 第1委員会の報告を鵜呑みにし、永野軍令部総長が強気な発言をして、戦争に突入していったといいます。
 第1委員会、元メンバーの高田元少将は当時のことは、忘れてしまったと語っていました。当時のこと、あの時負けると分かっていたのか、負けるかもしれないと必死に止めなかったのは今言われても、結局は敗戦に突き進めたのだから、そんな言い訳はおかしいとも言っていました。実際メンバーであったことは事実だからと認めましたが、そこで何があったのか多くを語らず、1度しか出席しなかったといいます。メンバーに問い詰められることを、嫌ったのだと思います。
 当時の思惑、予算獲得、国策で決まれば自由に軍艦が作れる。米国との対立を煽り軍事予算を獲得し、その後米国と妥協することを目標としていたという。つまり自分達のウソの戦況報告によってしまった連合艦隊と同じ轍を繰り返していたということでしょう。誰も本気で米国と闘おうと思っていなかったけれど、始まってしまったアジア太平洋戦争。
 海軍が、先端を開いた日米戦争。軍令部は、長期的戦略をまったく立てていなかったと吐露しています。戦争が始まってしまったので、日常に追われ、長期戦略を立てるスタッフがいなかったとも語っていました。そこには、海軍はあっても、国家も国民もいませんでした。
 ミッドウェー海戦を立案したのは、連合艦隊でした。危険と感じながらも説得できなかった軍令部。
 海軍内部の人間関係で作戦が決まって言ったといいます。山本五十六がそう言うなら、やらせてみようということだったらしい。空母4隻、多くの優秀なパイロットを失った作戦が、負けるかもしれないけれど、負けても、その責任は我々にはないということです。
 現場からの進言を無視して、十分な準備期間もなしに作戦を遂行し、軍令部は何の対案もなかったという。本当に危険だということを誰も進言しなかったのは、何とかなるという思いからだったと指摘されていた。
 ミッドウェー作戦の失敗は、軍令部、連合艦隊司令部、誰も責任を取ろうとせず、ずるずると制海権を失って、太平洋の島々に友軍兵士を置き去りにして、餓死者を増やして行った戦争だった。
 軍令部は何を思って作戦を遂行させたのか、追及は当事者に鋭く向けられたが、後の祭りであった。
 この反省テープも公開されることはありませんでした。
 海軍元将校たちの隠蔽体質、そして自由に意見の言えないムードに流されてしまうのは、日本の状況ににていませんか。それは、今を生きる私たちの現実に繋がっています。
 二度と過ちを起こさないために反省会を始めたと、元将校たちは語っていました。
 
 この教訓を生かすために、今私達がやらなければならないことは、戦争を賛美する教科書を採択させないこと、北朝鮮の核武装ブラフをきちんと見極め、きちんと対処していくこと。核武装などという馬鹿な考えを吹聴する奴らを許さない、そして歴史ときちんと向き合わない人たちと対決していく姿勢だと思っています。

原爆忌前後の社説2

2009-08-09 17:33:00 | インポート
佐賀新聞

原爆の日 「核なき世界」実現を(8月9日付)
 広島、長崎への原爆投下から64年。究極の目標だと思われていた「核なき世界」への道程が、国際的な影響力を持つ政治家らによって現実味をもって語られている。鎮魂の夏に、被爆地では一筋の光明に期待を寄せる。この好機を生かし、核廃絶へ向け、唯一の被爆国としての誓いを新たにして政府も市民も行動すべき時期に来ている。

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中国新聞8月7日

核のない世界へ 探そう私にできること '09/8/7

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 「Yes we can(絶対にできます)」。広島市の平和記念式典で初めて英語を交えた秋葉忠利市長の平和宣言は、オバマ米大統領の演説でおなじみのフレーズで結ばれた。

 核兵器のない世界を目指す、という米国からの追い風がある。そして原爆症認定訴訟の原告全員を救う、という政府の決断もあった。被爆から64年を数える今年は、ヒロシマにとって大きな節目の年となった。

 宣言は「私たちは世界の多数派」とも言う。「2020年までの核兵器廃絶」を掲げる平和市長会議の目標は世界の潮流、との確信が伝わる。4月のプラハ演説に展望と勇気をもらった証しだろう。市議会議長や広島県知事のあいさつもまた、共感を織り込んだ内容だった。

 「私たちにはできる」という言葉は、人々がその立場や環境でできることを考え、足並みをそろえれば道は太く確かなものになる、と気づかせてくれる。

 例えば小学生にもできることがあろう。こども代表の誓いに、それが示されている。けんかなど身の回りの争いごとを自分のこととして考える。平和を学ぶだけでなく、絵や音楽の表現で海外に伝えていく…。

 中高生の間には具体的な動きも広がっていた。平和記念公園で核兵器廃絶を求める署名を集めたのは広島、沖縄の生徒だ。

 広島市内の公私立高7校の放送部員は、原爆詩の朗読で欧米やアジアの同世代と交流した。互いの言葉で峠三吉の「にんげんをかえせ」などを読み合い、作者の思いを分かち合った。

 私だって何か貢献できるかもしれない。若い世代をその気にさせる風は心強い。

 国連総会のデスコト議長もまた、核兵器を使った米国の「道義的責任」に触れたプラハ演説に刺激された一人だろう。

 自分と同じカトリック信者だったエノラ・ゲイの機長が原爆を投下したことを許してほしい。会場の被爆者ら約5万人に、そう許しを請うた。

 親米とはいえないニカラグア出身ということもあってか「この世で最大の残虐行為」という思い切った言葉まで口にした。深い謝罪に、被爆者や遺族は胸のわだかまりが、いくらかでも晴れたのではなかろうか。

 議長である前に、一人の人間としてぜひ言いたい。そんな迫力が演説を印象強いものにした。

 もちろん「オバマ頼み」で世界が一挙に変わるわけではない。核なき世界への宣言を、額面通りには受け止めきれない人々もいる。「被爆地に立って宣言してこそ本物」と、広島来訪を望む参列者の声もあった。

 仲間と手を取り合い、共に訴える「We can」は、底知れない力を秘める。しかしその始まりは、平和への強い願いを持つ一人一人の動きであるはずだ。まず「I can(私にはできる)」と言えることから見つけていきたい。

・・・・・
沖縄タイムス

[広島・原爆の日]
核なき世界の先導役に


 広島、長崎に原爆が投下されてから64年を迎えることし、かつてない核兵器廃絶の追い風が吹いている。オバマ米大統領が4月、チェコの首都プラハで「核兵器のない世界」を目指す歴史的な演説を行ったからだ。

 世界に配備された核弾頭のうち米ロが約9割を占めるが、両国は7月、核弾頭数と運搬手段の上限で合意するなど滑り出しは上々だ。

 秋葉忠利広島市長、田上富久長崎市長は「平和宣言」で演説を高く評価し、国際社会に支持を呼び掛ける考えだ。

 冷戦崩壊から20年。核兵器廃絶をめぐって世界的に大きな変化が生まれている。唯一の被爆国である日本はこの時期を逃さず、主導権をとって行動を起こすときだ。

 オバマ大統領は演説で「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある」と強い決意を示した。

 核抑止論は冷戦の思考の産物である。核拡散と核テロが懸念されるいまの時代にはもう通用しない。

 ただ、核廃絶交渉が容易でないのは、大統領自身がよく知っている。演説で「私の生きているうちには達成されないでしょう」と語っていることからも分かる。現実的立場を踏まえた廃絶の呼び掛けが、プラハ宣言なのだ。

 演説の日に北朝鮮がミサイルを発射した。核兵器廃絶を理想主義として冷ややかにとらえる人がいるかもしれない。冷笑するのは簡単だが、理想のない現実主義は、現状追認に堕してしまうだけではないのか。

 課題は多い。国内ではいまなお核武装論や、将来の核持ち込みを想定し「非核三原則」の見直しを唱える一部政治家がいる。専守防衛の国是からも、国際潮流からも逆行しているといわざるを得ない。

 国際的には核兵器開発を続ける北朝鮮やイランのように核兵器を最大の外交カードにしたり、体制維持に使ったりする動きがある。核不拡散体制がほころびはじめている事実こそ、核問題をめぐる最大の危機だと言っていい。

 米ロ中英仏など5カ国に核保有を認め、それ以外には保有を禁じる核拡散防止条約(NPT)は「持たざる国」にとって本質的な不平等性を帯びている。条約の実効性を確保するためには、保有国が核軍縮の取り組みをする必要がある。

 NPT体制維持・強化のための運用検討会議が2010年に開かれるが、日本は核軍縮に向け議論をリードしてほしい。

 被爆体験は戦後日本の原点である。自身も被爆した広島市出身の小説家、原民喜(1905―51年)はこう記す。

 ギラギラノ破片ヤ/灰白色ノ燃エガラガ/ヒロビロトシタ パノラマノヨウニ/アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキミョウナリズム/スベテアッタコトカ アリエタコトナノカ/パット剥ギトッテシマッタ アトノセカイ/(『夏の花』)

 惨状の記憶を共有し、核なき世界へ、日本は米国とともに、イニシアチブを取り、存在感を示してもらいたい。

・・・・・
熊本日日新聞

原爆忌 核廃絶へ日本こそリードを 2009年08月06日
 人類史上初の被爆地となった広島市はきょう6日、長崎市は9日、64回目の「原爆の日」を迎える。

 原爆死没者名簿に記された犠牲者は両市で40万人を超えた。そしてなお苦しみ続ける被爆者がいる。このような非人道的惨劇が2度と繰り返されないよう、国民一人一人が核廃絶への決意を新たにしたい。

●米国に道義的責任

 核兵器をめぐる世界の情勢が大きく変わるのではないか。そんな期待の中で今年の原爆忌を迎えることができることをまずは喜びたい。言うまでもない、核廃絶を掲げたオバマ米大統領の誕生である。冷戦が過去の歴史となり、核兵器の存在そのものが問われる時代が来た。

 4月5日、チェコの首都プラハ。オバマ大統領は「核兵器を使用したことがある唯一の国として米国には道義的な責任がある」と言明。「核兵器のない世界」を追求すると宣言した。いわゆる「プラハ演説」である。難しい課題も多々あろうが、その言葉を信じ協調していきたい。

 演説を受け、広島市出身の世界的デザイナー三宅一生氏は沈黙を破って原爆体験を明らかにし、大統領に広島訪問を促した。勇気あるさわやかな行動だった。大統領にはぜひ被爆地を訪問してほしい。田上富久長崎市長は9日に読み上げる平和宣言で、世界の人々にプラハ演説への支持を呼び掛ける予定だ。

 7月には米ロが核軍縮で合意した。12月に失効する第1次戦略兵器削減条約(START1)の後継条約で、発効後7年以内に戦略核弾頭数を最低1500に減らす内容だ。

●理念より現実主義

 核軍縮に消極的だったブッシュ前政権から一転、オバマ政権が大きくかじを切った背景には、米国の安全保障のためには巨大な核戦力を維持することが必ずしも利益にはならないとの冷静な現状分析がある。経済危機で困窮する財政事情も重なる。

 米国が怖いのは敵視する国やテロリストが核兵器を手に入れることだ。既に核拡散防止条約(NPT)も形骸[けいがい]化している。

 長崎への原爆投下以来、米国は核兵器の配備を進める半面、歴代大統領は「核のボタン」を押さねばならない事態の到来を絶えず恐れてきた。米軍の通常兵力が圧倒的な破壊力を見せつけた湾岸戦争以降、「核は使えない」との発想はますます強まったとされる。オバマ大統領が目指す核廃絶は理念だけではなく、むしろ米国をより安全にするための現実主義との見方は説得力がある。

 日本は米国の「核の傘」の下にある。しかし、核抑止論がもはや通用しなくなってきたことを米国自身が認め始めたのも事実だ。日本政府には「核の傘」からの脱却に向け、新たな平和の枠組みをつくる戦略的外交を展開してもらいたい。

 こうした中、「核の番人」ともいわれる国際原子力機関(IAEA)の次期事務局長に、アジアから初めて天野之弥[ゆきや]氏が選ばれたのは大きい。IAEAの前には国際社会の警告を無視して核開発を進める北朝鮮とイランが立ちふさがる。被爆国出身の事務局長の手腕に注目したい。

●訴訟で国が19連敗

 一方、国内に目を向けると、原爆症の認定申請を国が却下したのは不当として県内の被爆者13人の処分取り消しなどを求めた熊本訴訟2陣判決で熊本地裁は3日、新基準で認定された3人を除く10人全員を原爆症と認定した。集団訴訟で国は実に19連敗を喫した。

 これを受けて政府は一審で勝訴した原告を認定、敗訴原告も議員立法による基金で救済する解決策を決定。麻生太郎首相が6日、正式表明する。国の認定基準の不備は明らかで被爆者は高齢化している。一刻も早く救済に乗り出すべきである。

 唯一の被爆国日本には世界に核廃絶の風が吹き始めた今こそ、その実現を世界に働き掛けるリーダーシップが求められる。行動の時だ。

 「核なき世界」を求める国際世論の火付け役は、米国の「四賢者」だ。現実主義者のキッシンジャー、シュルツ両元国務長官、北朝鮮問題に奔走したペリー元国防長官、世界の核物質防護を進めるナン元上院議員。2年半前に米紙に「核兵器のない世界」との論文を寄稿し、核廃絶への具体的措置を取るよう訴えたことが出発点となった。

 「冷戦の闘士」である4人の呼び掛けは、同じ思いを抱く政治家らの心に響いた。その一人がオバマ米大統領だ。今年4月、チェコのプラハで「核兵器を使った唯一の国として米国は行動する道義的責任がある」として、核のない世界の平和と安全を追求すると宣言した。米大統領が原爆投下の責任に触れたのは初めてのことで、大きな反響を呼んだ。

 6日の広島原爆の日に、秋葉忠利広島市長は平和宣言でオバマ大統領を強く支持。大統領の構想に共鳴する多数派(マジョリティー)を「オバマジョリティー」と呼び、次世代のために活動する責任があると強調した。日本政府には核廃絶運動で世界をリードするよう求めた。長崎市の田上富久市長も、きょうの平和祈念式典で大統領の演説を評価し、核兵器保有国の指導者に長崎訪問を呼び掛ける。

 オバマ氏の宣言で、核廃絶を目指す動きは「傍流」から「主流」へと性格を変えた。キッシンジャー氏ら4人とオバマ氏に共通するのは、核拡散と核テロへの現実的な脅威の認識だ。今、北朝鮮やイランの核開発動向から目が離せない。国際テロ組織が核兵器を持てばどうなるか。核テロこそが最大の脅威だと指摘するシュルツ氏は「原爆の日」を前に「核が拡散し、抑止力の概念がとらえどころのないものとなった」と力説した。

 敵の戦力状況の把握に努め、相手の出方や行動様式を外交やスパイ活動を通じて探り合った米ソ両国。自分たちのリスクの範囲をある一部に限定しようと導き出された理論が、大量の核を背景に互いが核を先に使えないようけん制する核抑止論だった。

 核テロと核拡散の脅威に象徴される「第2次核時代」の現在、従来の核抑止論はもはや通用しないという脱冷戦の発想がシュルツ氏を「核なき世界」へと突き動かした。

 この好機を逃してはならない。国内では、米核艦船の通過・寄港を容認する日米核密約が最近話題となったのを契機に、一部の政治家らが将来の核持ち込みを念頭に「非核三原則」の見直しを主張しているが、核廃絶の流れに逆行する考えである。ここで道を誤ってはならない。

 被爆国である日本には特別の義務と役割がある。「核なき世界」の実現へ向け行動すべき時期にきている。政府は核に依存しない安全保障の在り方を模索すべきだし、市民一人一人も被爆者の苦しみを心に刻み、核廃絶の実現を訴えていきたい。(横尾章)

・・・・・

宮崎日日新聞8月6日

核なき世界を実現する好機

 広島、長崎への原爆投下から64年になる。

 米ソ軍拡競争の時代以降、実現は難しいと考えられていた核廃絶の道。

 それが、にわかに現実味を帯びてきた。今年4月、原爆投下国の道義的責任に触れながら、「核兵器のない世界の平和と安全」を追求すると宣言したオバマ米大統領の影響は大きい。

 筆舌に尽くし難い被爆者の苦しみと無念。

 それらをしっかりと胸に刻み、核のない世界を現実のものとするため、被爆国の誓いを新たにし、行動したい。この機会を生かし、歴史的転換点にすべきだ。

■危機感が米国動かす■

 「核のない世界」を求める国際的世論の火付け役となった人物がいる。

 米国のキッシンジャー、シュルツ両元国務長官、北朝鮮核問題にかかわったペリー元国防長官、世界の核物質防護を進めるナン元上院議員。

 米紙で「核兵器のない世界」と題した論文を発表し、核廃絶への具体的措置を取るように訴えたことが大きな潮流を生み出した。

 オバマ大統領による宣言は、この4人の呼び掛けに触発されたものだ。

 キッシンジャー氏らとオバマ大統領の考えに共通するのは、核拡散と核テロに対する脅威認識である。

 シュルツ氏は「原爆の日」を前に「核が拡散し、抑止の概念がとらえどころのないものになった」と核テロ脅威論を展開した。

 核抑止論だけでは核の脅威を完全に排除できない、という危機感が米国を動かしている。

■被爆地の訴えが力に■

 「核の傘」からの脱却は被爆者たちの願いである。

 そして、長年にわたって求めてきたことだ。

 核が使用された場合の結末が、どれだけ非人間的で非人道的であるかをヒロシマ、ナガサキは長きにわたって訴え続けてきた。

 ノーベル経済学賞受賞のトーマス・シェリング博士による「核使用のタブー」という規範の源流はヒロシマ、ナガサキの訴えにあり、キッシンジャー氏ら4人やオバマ大統領が主唱する「核なき世界」の土台を醸成してきた。

 米物理学者、シドニー・ドレル博士も「(64年間、核が使われなかったのは)核保有国の指導者が核使用の結末をあまりに危惧(きぐ)したからだ」と述べている。

 世界はようやく気付きつつある。この絶好のチャンスを生かさねばならない。

 米核艦船の通過・寄港を容認する日米核密約が問題になったことをきっかけに、将来の核持ち込みを念頭に「非核三原則」の見直しを主張している一部政治家がいるが、核廃絶へと向かう流れに逆行する考えだ。

 重大な局面だ。決して道を誤ってはならない。

・・・・・

愛媛新聞

特集社説2009年08月06日(木)付 愛媛新聞
原爆の日 核廃絶へ被爆国の責務果たせ
 広島はきょう、長崎は9日に被爆64年を迎える。無差別に大勢の人々を殺傷し、後遺症で苦しめる原爆被害の悲惨さを胸に刻み、核兵器廃絶への思いを新たにしたい。
 おりしも核軍縮の動きに追い風が吹いている。ことし4月「核なき世界」への決意を表明した、オバマ米大統領のプラハ演説だ。
 核兵器を「冷戦が残した最も危険な遺産」と位置付け、不拡散やテロ防止に向けてのビジョンを示した。
 日本は世界的に高まった核軍縮の機運を逃すことなく、実現に向けて行動をともにすべきだ。
 広島、長崎の両市長は、平和記念式典で読み上げる「平和宣言」でオバマ氏への支持を表明し、核廃絶を世界に呼びかける。
 オバマ氏演説の内容は次第に成果として現れている。
 核不拡散防止条約(NPT)の再検討会議に向けて、5月に開かれた準備委員会は早々に議題を採択、来春の会議成功へ弾みをつけた。
 軍縮の流れが、形骸化しているNPT体制の強化へつながることを期待したい。
 米国とロシアは7月、戦略核と運搬手段の大幅削減で合意した。年内に第1次戦略兵器削減条約(START1)の後継条約締結を目指す。
 世界の9割を超す核兵器を有する両国が、率先して軍縮姿勢を示すことは当然だ。ただ不平等感を持つ非保有国への説得力が増すかどうかは不透明だ。核をめぐる情勢は楽観できない。
 ことし5月には北朝鮮が2度目の核実験を強行し、先立つ4月には長距離弾道ミサイルの発射実験を行った。
 断固とした抗議姿勢を続けるべきだ。ただ、北朝鮮の強硬姿勢は瀬戸際作戦の延長上にある。挑発に乗った対応はさらなる核増強の口実を与えることにもなり、難しいかじ取りが求められよう。
 米艦船の日本への通過・寄港を容認する「核持ち込み」の密約が明白になったこととあわせ、一部の政治家から、核武装論や「非核三原則」の見直し論が浮上している。
 米国の軍縮方針を懸念し、いまだに「核の傘」が抑止力になるとの発想だ。
 米国は核兵器が存在する間は抑止力を維持するとしている。が、この際日本は、核廃絶を訴えながら核に頼るという矛盾を解消する姿勢を鮮明にし、核依存の安全保障から脱却するときに来ている。
 非政府組織(NGO)が提唱する北東アジア地域非核兵器地帯構想―日韓と北朝鮮の非核化―などが一つの答えになるはずだ。
 「唯一の被爆国」として、日本が国際社会で指導的役割を果たす立場にあることを再確認したい。

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信濃毎日新聞

原爆の日に 被爆体験を抑止の力に
8月6日(木)

 被爆者の証言収録に生涯をささげたジャーナリスト、故伊藤明彦さんの言葉に、核抑止とは何か、ということを考えさせられた。

 3年前のことだ。被爆者の証言を収録したCDを持って信濃毎日新聞を訪ねてきた。長野県でも平和教育に使ってもらいたいので紙面で紹介してほしい、との依頼だった。

 伊藤さん自身被爆者だ。収録のため放送記者の仕事を辞め、アルバイトをしながら全国の被爆者を訪ねて回った。集めた証言は1000人以上。カセットなどに収め、長野県内を含む全国の学校や図書館に送った。この活動で吉川英治文化賞を受けている。



   <犠牲者に寄り添い>

 その後、伊藤さんの本を手にした。取材の時の穏やかな口調からは想像もできない熱い思いがちりばめられていた。

 〈核兵器がつくりだした地獄をありありと映し出すテレビ画像、その画像を見つめる幾億千万の人間の眼を、核兵器の再使用をくいとめ、廃絶させてゆくほんとうの「抑止の力」にしなければならない〉(「原(げん)子(し)野(や)の『ヨブ記』」径書房刊)

 核抑止とは、核兵器を持つことで敵対する国に武力攻撃を思いとどまらせる、という考え方だ。広島、長崎に原爆が落ちた後、そのすさまじい破壊力は政治的なカードとして利用され、世界で幅を利かせてきた。

 伊藤さんの考えは違った。核の惨禍を世界に向けて発信することで核兵器を使わせない環境をつくる、というのだ。被爆者と会い、一人一人異なる苦しみや悩みに寄り添ってきた伊藤さんだからこそ導き出せた発想なのではないか、と思わせられた。



   <オバマ演説の衝撃>

 今年4月、米国のオバマ大統領はチェコで歴史的な演説をした。「核兵器のない世界に向けた具体的な措置をとる」と宣言し、他の核保有国にも同調を求めた。米ロ間で核軍縮に向けた新条約をまとめ、「世界核安全サミット」を開くことなども表明した。日本を含め国際社会は拍手を送った。

 一方で、日韓両国や核兵器を持たない欧州諸国に対しては同盟国の立場から「核の傘」を引き続き提供すると強調している。

 核をこの世からなくすまでには時間がかかる。北朝鮮やイランなど核開発に積極的な国がある以上、核は当面持ち続けると言っているようにも解釈できる。

 事実、再核実験を強行した北朝鮮の動きに呼応して、日米は「核の傘」をより強固にするための話し合いを始めた。

 核廃絶に向けた動きに矛盾しないのか-。そんな疑問がよぎる。米国の姿勢とともに、唯一の被爆国として日本の立つ位置も問われている。

 前広島市長の平岡敬さんは「これまで米国が主張してきた核不拡散に力点があり、最後まで核兵器を手放さないと言っている。目標は正しいにせよ、自国がゼロにするということを明確にしない限り、説得力はない」と厳しく指摘している。

 さらに、「日本が『唯一の被爆国』と言うなら、先頭に立って行動する『道義的責任』がある」と日本の態度についても言及している。その通りである。

 心配な動きがある。北朝鮮が4月にミサイルを発射して以降、保守政治家や有識者の一部から敵基地への先制攻撃や核武装を論議すべき、との声が出たことだ。

 これでは、核廃絶の機運に水を差すようなものだ。日本では加えて、「国際平和協力活動」の名の下での自衛隊派遣など、既成事実の積み上げによるなし崩しの軍拡路線を目指そうとする空気も漂っている。

 ここは冷静に考えたい。日本が軍備を増強すればするほど、周辺諸国を刺激し、軍拡競争を招く。軍事費は膨れ上がり、そのつけは国民の暮らしに必ず回る。



   <日本の役割は重い>

 原爆は広島、長崎を壊滅させ、多くの命を一瞬にして奪った。生き延びることができた人も後遺症などで苦しめられている。

 3発目を世界のどこの都市にも落とさせてはいけない-。そのことを説得力を持って訴えられるのは、広島、長崎の人々であり、日本人である。その責任があることを肝に銘じたい。

 日本がなすべきことは、被爆国として「核なき世界」というオバマ演説の精神の具体化に力を尽くすことだ。手始めにオバマ大統領をはじめ、世界の指導者を広島、長崎に招き、原爆被害の実態を見てもらってはどうか。

 そして「核の傘」である。米国の核に国民の合意もなく自国の安全を委ね続けていいのか。国民的な論議を始めるべきだ。

 伊藤さんはオバマ演説の約1カ月前に亡くなった。もし、あの演説を聞いたらどう思っただろう。

 被爆の悲惨さを知り、核廃絶の必要性を心から理解することに勝る抑止の力はない。そんなことを言いそうな気がする。

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まだまだたくさんあるのだが、こちらで見てください。
http://www.news-pj.net/siryou/shasetsu/2009.html

 2009年の最近の社説リンクです。

  



原爆忌前後の新聞社説

2009-08-09 16:33:00 | インポート
 各新聞社の社説リンクをとも思いましたが、古くなると見られなくなるのでここに主だった新聞の社説を貼りました。
 一番最後に東京新聞の社説を貼りました。長文になりますが、どうぞ最後までお読みください。
感想もお聞かせください。



読売新聞8月6日

原爆忌 オバマ非核演説をどう生かす(8月6日付・読売社説)
 広島、長崎への原爆投下から64年がたつ。惨禍を経験した人々の核廃絶への切なる願いに、今年は一筋の光明が差しているようにみえる。

 オバマ米大統領による今年4月のプラハ演説である。

 大統領は、「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国」として、「核兵器のない世界」の実現に向けて「行動する道義的責任」があると明言した。

 むろん、当時、継戦能力を失っていた日本に対し、残虐兵器を使ったこと自体の責任を認めたわけではない。

 しかし、原爆投下を正当化する風潮が、なお根強く残る米国の大統領のこの発言が、ヒロシマ、ナガサキに感動と希望をもたらしたことは、疑いがない。

 オバマ大統領は、この気持ちを裏切ることなく、ロシアとの新核軍縮交渉推進や、米国の核実験全面禁止条約(CTBT)批准に、指導力を発揮してもらいたい。

 オバマ演説のもう一つの側面にも、目を向ける必要がある。

 大統領は演説で、核廃絶は「おそらく私の生きているうちには達成されない」と述べた。世界の核状況はそれだけ厳しい。

 米露英仏中の5か国以外の核保有を禁じた核拡散防止条約(NPT)体制は、インド、パキスタンの核保有以降、形骸(けいがい)化の一途だ。5か国の中でも、中国のように核軍拡を進めている国もある。

 テロリストの手に核兵器・関連物質が渡る危険も増している。

 核保有国のNPT上の責務である軍縮に、米国がようやく本腰を入れるのも、最も危惧(きぐ)している「核テロ」を阻止するため、と指摘されている。

 日本も、深刻な核の脅威の下にある。北朝鮮は先にミサイル発射や2度目の核実験を強行した。

 北朝鮮の核ミサイルなどに対して日本は、米国の「核の傘」に頼らざるを得ない。オバマ演説のあと、日本政府が、核抑止力の低下を懸念して「傘」の再確認に動いているのは当然のことだ。

 他方、民主党の岡田幹事長は、米国に核の先制不使用を宣言するよう主張すべきだと言う。

 敵国の先制使用に対して、米国の報復まで禁止するわけでないから、「核の傘」から半分外れると説明するが、これでは「傘」は役立たないのではないか。

 核廃絶を希求する一方で、核抑止力に依存せねばならぬ重い現実がある。核軍縮も、日本の平和と安全が損なわれないよう、着実に取り組むことが肝要だ。

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朝日新聞8月6日

 被爆64年―「非核の傘」を広げるとき 被爆地は今年、格別な夏を迎えた。「核兵器のない世界を目指して具体的な方策をとる」。米国のオバマ大統領がプラハ演説でそう宣言して、初めて迎える夏だからだ。

 大統領が、核を使った国として「行動する道義的責任がある」と語った意味はとても大きい。だが、プラハ演説の凄味(すごみ)は、そこにとどまらない。

 グローバル化した世界は、相互依存を強めている。世界のどの経済都市で核爆発が起きても、多くの犠牲者が出るだけでなく、世界の経済システムも破局のふちに追いやられる。核戦争でも核テロでも結果は同じことだ。

 核抑止を続けた方が世界は安定するとの考えが核兵器国や同盟国で根強い。だが、核抑止の魔力にひかれて、核拡散が進む恐れがある。テロ集団の手に核が渡る危険もある。それが現実になった時のリスクは計り知れない。

 どうすべきか。核のない世界に向けて動くことこそ、新たな安全保障戦略の基本ではないのか。オバマ大統領は、そこを問いかけている。

 大統領の音頭とりで、9月24日には核問題に関する国連安全保障理事会の首脳級会合を開くことも決まった。

■先制不使用を義務に

 核に頼らない安全保障体制を構築していくには、たくさんの政策の積み重ねがいる。核兵器国には山ほど注文したいが、ここでは特に、「非核の傘」を広げていくことを強く求めたい。

 核不拡散条約(NPT)に入った非核国には、核を使用しない。これを世界標準として確立すれば、NPT加盟の非核国は、核攻撃のリスクを大幅に減らせる。それが「非核の傘」だ。

 「非核の傘」を広げれば、核兵器の役割を縮小でき、保有数の減少にもつながる。オバマ大統領の任期のうちに、軍縮と安全保障の一挙両得を大きく前進させたい。

 「非核の傘」を広げる方法は、いくつもある。第一は、国連安保理で、NPTに入っている非核国への核使用は認められないと明確に決議することだ。潘基文・国連事務総長は、核保有国でもある国連安保理の常任理事国が非核国に核攻撃しないと保証するのは可能だろうと指摘している。一刻も早く、実現すべきである。

 第二の方法は、非核地帯条約の活用だ。ラテンアメリカ、南太平洋、アフリカ、東南アジア、中央アジアには非核地帯条約がある。アフリカだけが未発効だが、いずれの条約にも、核兵器国は条約加盟国を核攻撃しないことを約束する議定書がある。

 だが、米ロ英仏中の5核兵器国すべてが議定書を批准しているのはラテンアメリカだけ。アフリカでの条約発効を急ぎ、同時に核兵器国がすべての議定書を批准して、「非核の傘」を広く国際法上の義務とすべきだ。

 第三の方法は、核兵器国が核先制不使用を宣言し、核の役割を相手の核攻撃の抑止に限定することだ。非核国はもともと核先制使用などできないから、核兵器国が先制不使用を確約すれば、「非核の傘」は一気に拡大する。

■北東アジアに非核地帯

 日本政府は、米国による核先制不使用宣言には慎重だ。北朝鮮は核実験しただけでなく、生物・化学兵器も持っている可能性がある。その使用を抑えるために、核先制使用も選択肢として残すべきだ、という立場だ。

 だが、日本が核抑止を強調するあまり、核兵器の役割を減らし、核軍縮を進めようとするオバマ構想の障害になっては、日本の非核外交は台無しだ。当面、核抑止を残すにせよ、同時に「非核の傘」を広げていく政策を進めるべきだろう。

 一案は、北東アジアにも非核地帯条約をつくることだ。日韓だけでも先に締結して発効させ、米中ロなどが日韓に核攻撃しない議定書を批准して、「非核の傘」を築く。

 北朝鮮については、非核化してNPTに戻った段階で条約に加わり、「非核の傘」で守られるようにする。そうすれば北朝鮮が核放棄する利益は高まるし、地域の安定にも役立つだろう。

 軍事費を拡大させる中国への対応も欠かせない。オバマ大統領は7月の米中戦略対話で、東アジアでの核軍拡競争は両国の利益にそぐわないと明言し、北朝鮮の非核化などで協力していくことの重要性を強調した。「恐怖の均衡は続けられない」とも語った。

 米中は急速に経済の相互依存を強めている。たとえ相手の産業を破壊しても影響が少なかった冷戦期の米ソとはまったく異なる関係だ。

■中国も軍縮の輪に

 日本も米中の現実を認識し、北東アジアでの核の役割を減らしながら、地域の安定をはかる構想を示していく必要がある。核抑止でつながるだけでなく、「非核の傘」拡大や地域の軍備管理で連携していく。日米同盟をそんな形に進化させれば、中国を核軍縮の輪に加える、大きな力になるだろう。

 世界の核拡散問題には地域対立や宗教的対立がからんでいる。核実験をしたインド、パキスタン。事実上の核保有国とされるイスラエル。ウラン濃縮を続けるイラン。いずれの場合も、そうだ。これらの国を非核化へ向かわせるには、根気強く対立をほぐしつつ、核保有がむしろ国を危うくすることを説いていくしかない。

 唯一の被爆国として日本は、そうした外交でももっと知恵を絞りたい。

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毎日新聞8月6日

社説:広島・長崎、原爆の日 「核なき世界」へ弾みを 被爆者の救済を急げ
 広島の被爆者、田辺雅章さん(71)が、原爆投下前の爆心地の街並みを三次元コンピューターグラフィックスで再現する映画作りを始めて10年を超えた。その集大成が平和記念公園の地にあった繁華街の復元だ。

 「あの日」、人々の日常が一瞬にして奪われた。来年5月、国連本部で開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議で作品を上映し、そのことを訴えたいという。

 今年も「原爆の日」がめぐってきた。6日は広島で、9日は長崎で、人々は平和の祈りをささげる。原爆投下から64年たち、被爆者の高齢化が進む中、核兵器廃絶への道筋を私たちがどう描くかが試されている。

 ◇廃絶へ高いハードル
 今年4月、オバマ米大統領はプラハでの演説で核兵器を使用した唯一の国としての道義的責任に言及し、核のない世界を目指すと宣言した。

 田辺さんは国際世論の変化に期待を寄せる。同じように、著名なファッションデザイナーの三宅一生さんは先月、米ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿し、広島での被爆体験を初めて公にしたうえで、「世界中の人々がオバマ大統領に続いて声を上げなければならない」と訴えた。

 今年の広島平和宣言は、プラハ演説が「廃絶されることにしか意味のない核兵器」との位置付けを確固たるものにしたと指摘して、大統領を支持する。長崎平和宣言も演説を評価する。期待と共感の輪は、大きな広がりを見せている。

 しかし、大統領自身、「私が生きている間には達成できないだろう」と認めているように、核兵器廃絶の実現には極めて高いハードルが待ち受けている。

 大統領は包括的戦略の柱の一つにNPT体制強化を挙げている。だが、各国の国益と思惑がぶつかり合う場で十分な成果を上げることができるか予断を許さない。

 NPTに加盟していない核兵器保有国のインドとパキスタン、大量の核弾頭を持つとされるイスラエルへの対応も難題だ。北朝鮮がNPT脱退を宣言して核実験を行い、イランも国連安保理などの要求に従わずウラン濃縮を続けるなど、核拡散の懸念はむしろ高まっている。テロリストが核兵器を手にする脅威も現実味を帯びてきている。

 世界の核を取り巻く状況は複雑化し、米国など核大国だけで対処できなくなっている。核兵器を持たない非核国も加わって地球規模の核軍縮・不拡散体制を築く必要がある。

 日本は核廃絶を訴える一方で、米国の「核の傘」で守られる日米安保体制を基本としてきた。北朝鮮の核・ミサイルだけでなく中国の核軍備近代化など、近年、安保環境は厳しさを増している。米国の核軍縮が進めば、「核の傘」の有効性が低下すると懸念する声もある。

 だが、米国の「核の傘」に依存する構図は当面変わらないとしても、米国がグローバルな核軍縮・不拡散体制に軸足を移すのであれば、唯一の被爆国である日本はこれまで以上に積極的な役割を果たせるはずだ。

 ◇オバマジョリティー
 日本の安全保障政策は転換期を迎えている。元外務事務次官の日米密約証言などがきっかけで、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則見直しの議論が高まっているのも、そんな認識が強まっているからだろう。さまざまな要素を考慮し、新しい時代に合った安全保障政策を打ち出さねばならない。

 30日の総選挙に向け、政権選択をかけた選挙運動が事実上スタートしている。自民、民主をはじめ各政党はどのような安全保障政策を目指すのか明確に説明すべきだ。

 同時に被爆者救済も急がなければならない。政府は、原爆症認定集団訴訟の1審で国が敗訴しながら未認定の勝訴原告について一律に原爆症と認定する方針だ。集団訴訟は国敗訴が続いており、政治決断で速やかに解決を図るべきである。

 中曽根弘文外相は来年、日本で核軍縮・不拡散に関する国際会議を開く意向を表明した。川口順子元外相がエバンズ元豪外相と共同議長を務める「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」は10月の広島での会合を経て、核兵器廃絶への行程を盛り込んだ報告書をまとめる予定だ。

 広島市は、核兵器廃絶を願う世界の多数派を「オバマジョリティー」と呼び、市民がオバマ大統領支持を掲げて行動するキャンペーンを展開している。2020年までの核兵器廃絶に向けた道筋を定めた「ヒロシマ・ナガサキ議定書」をNPT再検討会議で採択させることが当面の目標だ。議定書は秋葉忠利市長が会長を務め、加盟都市が3000を超える平和市長会議が策定した。

 核兵器の悲惨さを知る国民として、国際社会の世論を盛り上げていきたい。「核なき世界」へ、人類が力強く歩み続けられるように。


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中国新聞8月6日

ヒロシマ64年 核廃絶 被爆国が先頭に '09/8/6

 核廃絶という究極のゴールをどう目指すか。行く手に立ち込めていた深い霧が晴れようとしている。

 米国が核軍縮にかじを切るという一条の光。足元の東アジアにはまだ暗雲も漂う。それでも、今度こそはと思わずにはいられない。広島はきょう、鎮魂の日を迎えた。

 64年前の8月6日朝、米軍のB29爆撃機が広島市のT字形の橋を照準にとらえた。原爆投下のレバーを引いた爆撃手。やがて視界に火の玉ときのこ雲が飛び込んできた。

 地上では、いつもと変わらぬ一日が始まっていた。

 人々は熱線に焼かれ、爆風で建物もろともなぎ倒された。水を求め、川の中で折り重なるように息絶えた。放射線は遺伝子を傷つけ、今なお被爆者を苦しめる。

 「核兵器を使った唯一の国として米国は行動する道義的責任がある」。オバマ大統領が4月にチェコのプラハで行った演説は画期的だった。

 米大統領が原爆投下の責任に触れたのは初めてのことだ。「核なき世界」を目指す決意を示し、時代の変わり目を強く印象づけた。

 ただ、米国内には異論もある。原爆投下について「戦争を早く終わらせるために必要だった」という正当化論がまだ支配的だ。プラハ演説は保守派からの手厳しい批判も呼び起こした。演説で表明した上院での包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准もめどが立たない。

 オバマ氏支援を

 理想主義的な言葉と現実的な対応を併せ持つオバマ大統領。核なき世界は「おそらく私が生きている間はできないだろう」とも述べた。

 当面の狙いは、米ロ間の戦略核削減など保有国が率先して核軍縮を進め、核の拡散やテロを防ぐことだろう。その先は忍耐強く取り組むというのが本意ではないか。それでも核の軍縮から廃絶へと向かう好機が訪れていることは間違いない。

 オバマ大統領が一歩でも前へ進めるよう、被爆国としてあらゆる協力と支援をしたい。

 プラハ演説は、日本政府が原爆投下の問題にどう向き合ってきたのかも考えさせる。

 米国に抗議したのは、戦中の一度きりだ。投下の4日後、「無差別かつ残虐性を持つ新爆弾の使用は人類文化に対する罪悪だ」と非難し、使用の放棄を求めた。しかし敗戦後は日米安保体制の下で、原爆投下の責任を問うたことはない。

 平和憲法を掲げる被爆国でありながら、安全保障は米国の核兵器に頼ってきた。核の傘の下から核兵器廃絶を叫ぶ。そんな矛盾は東西冷戦が終わっても続く。むしろ北朝鮮が「核武装」へ動き始めたのを機に、米国の核抑止力にこれまで以上にこだわっているようにも見える。

 まず先制不使用

 これに対し核兵器をめぐって国際的な論議になっているのが「先制不使用」の考え方だ。こちらから攻撃しないと宣言すれば、疑心暗鬼は薄まり、核の役割も限定される。

 原爆の惨禍を知る日本こそ、米国に先制不使用宣言を働きかけるべきだろう。しかし政府は、米国の核抑止力に影響が出るとして否定的だ。北朝鮮のミサイル攻撃が念頭にあるようだが、これでは核軍縮の流れに逆行しかねない。

 今、オバマ大統領を被爆地に呼ぼうという運動が盛り上がっている。

 原爆を投下した核大国のトップが核兵器の非人道性を目の当たりにし、被爆死した人々の無念に思いを致す。極めて意義深いことだが、訪問を待つだけですべてが解決するわけではない。迎える側にも、能動的な取り組みが欠かせない。

 一つは、あいまいにしてきた原爆投下責任の問題である。

 米大統領が「道義的責任」を越えて謝罪にまで踏み込めるだろうか。米国世論のハードルは高い。ただ若い世代になるほど原爆投下は間違っていたと考える人が増えているという。原爆が落とされて何が起きたかを米国民に正確に伝える努力がさらに要る。首相による真珠湾訪問も検討課題だ。真の和解にこぎ着けるための環境づくりが急がれる。

 核の傘から脱却

 もう一つは、日本が核の傘から抜け出す道筋をどうつくるかである。

 焦点は核の挑発を繰り返す北朝鮮。核実験やミサイル発射の理由について「米国の核の脅威があるから」と言う。その軍事力は日米の通常兵器だけで十分対応できるという専門家の指摘もあるが、日本では北朝鮮脅威論が高まるばかりだ。

 冷静な分析に基づく交渉によって双方が核に頼らない方向を追求すべきだろう。

 北東アジアの非核兵器地帯構想が既にある。日本、韓国、北朝鮮が核兵器を持たず、この3カ国を米国、中国、ロシアが核攻撃しないと約束する枠組み。核の傘を外すことは、日米安保条約とも矛盾しない。

 今年初め、ピースボートで地球を1周した被爆者の井口健さん(78)。「国内はさめているな」と感じた。被爆体験に熱心に耳を傾けた各国の人々からは、日本の核政策をただす声も出たという。

 世界の都市、市民と連帯して2020年までに核兵器廃絶を目指す「ヒロシマ・ナガサキ議定書」。平和市長会議が国内の自治体首長に署名を呼びかけるが、集まったのはまだ1割余り。井口さんら被爆者有志は、国内のキャラバンに乗り出す。

 「なんとか自治体、そして国を動かしたい」。いてもたってもおれない被爆者たちの思いを受け止め、もっと国内世論を盛り上げたい。

 その上で、政府は核兵器に依存しない安全保障の方向性を示すべきだ。核廃絶への長い道のりの先頭に立つのは被爆国の責務である。


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西日本新聞8月6日

核廃絶へ、世界が動きだした 広島原爆の日
2009年8月6日 10:16 カテゴリー:コラム > 社説
 広島に原爆が投下された夜。逃げ込んだ被爆者たちのうめき声で埋まった市内の壊れたビルの地下室で、自らも被爆して重傷を負った助産師が命を賭して、新しい生命を誕生させた。

 その逸話をもとにした原爆詩「生ましめんかな」で知られる広島市出身の詩人、栗原貞子さん(1913―2005)の未発表詩86編が、この夏、見つかった。その中のひとつに、こんな一節がある。

 「生きのこった私らは/あやまちをくりかえさせぬために/何を言えばよい/あやまちをくりかえさせぬため/何をすればよい」(広島女学院発行の小冊子から)

 1961年に書かれたとされる。核兵器がもたらす非人道を繰り返させないために「何をすればよい」。栗原さんの問いかけは、被爆から64年たった今日も私たちの胸に突き刺さる。

 ●「革命的な変化」の兆し

 核兵器による悲劇を繰り返さぬために「何をすればよいのか」。究極の答えは一つ、人類が核兵器を完全に廃棄することである。

 しかし、核廃絶論は「力の均衡」による安全保障論が支配する世界政治の中で、この半世紀、真剣に取り上げられることはほとんどなかった。

 「現実を見ない理想論。実現するはずがない」というわけである。私たちも、そんな先入観と悲観論にとらわれてきてはいなかったか。

 それがいま変わろうとしている。核廃絶が安全保障論として世界で語られ始めたのだ。ひと昔前には考えられなかった「革命的な変化」である。

 なにより「核兵器のない世界」の実現を目指すと宣言した米国のオバマ大統領の登場が大きい。

 「核兵器を使った唯一の国として、米国は行動する道義的責任がある」。そう言い切った4月の「プラハ演説」は、被爆地の広島、長崎だけでなく、核廃絶を願い続ける世界の多くの人々を勇気づけた。

 米国のキッシンジャー、シュルツ両元国務長官らが「核兵器のない世界」への政策転換を求め始めたことも、変化を促す大きな契機となった。

 冷戦時代に核超大国の核政策を担った有力政治家たちが、安全保障を核戦力に求める「核抑止論」を時代遅れとしたのである。反響は大きかった。

 英国やドイツの外相が直ちに核廃絶の必要性に言及し、ノルウェーでは地雷やクラスター弾の禁止条約と同様のプロセスで核廃絶を目指す国際枠組みづくりの模索が始まった。

 カーター元米大統領やゴルバチョフ元ソ連大統領ら有識者100人は世界規模の運動「グローバルゼロ」を立ち上げ、2035年を目標に段階的に核廃絶を目指す行動計画を発表した。

 ●究極から緊急の目標に

 核廃絶を目指す新たな潮流の背景には、核拡散や核テロへの脅威がある。核兵器への野心を捨てない北朝鮮やイラン。国際テロ組織が核兵器を手にする恐怖もつきまとう。

 キッシンジャー氏らの提言も、オバマ大統領が宣言した「核のない世界」も、安全保障論的には、そうした脅威を封じ込めるための核保有国側からの現実的な政策選択ではある。

 その意味では、未曾有の体験をもとにした広島、長崎の被爆者たちの訴えとは文脈が異なる。が、目指すゴールは一緒だ。核大国と被爆地が「核兵器廃絶に向かって進むというビジョン」を初めて共有したことになる。その意義は決して小さくない。

 核廃絶論を実現可能な現実論として国際的なうねりにする好機ととらえたい。そのためにも、被爆地から核兵器の非人道性を世界に告発し続けることが、より重要になってくる。

 被爆地の訴えも、いま国際社会で大きな潮流になろうとしている。広島と長崎が呼びかけて発足した平和市長会議への加盟都市は昨年から飛躍的に増え、この夏、3千を超えた。

 市長会議が昨年、国際社会に示した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」への賛同が、それだけ広がっているということだ。議定書は15年までに核兵器の取得や使用を禁じる条約を制定し、20年に核兵器を廃棄するとうたう。

 来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で議定書採択を目指すが「段階的で検証可能な廃絶」を求める点でカーター氏らの「グローバルゼロ」と考え方、到達目標は同じである。

 市民が都市を動かし、国際世論で各国政府を包囲し世界を変える。一方は国際的影響力を持つ人々が政治課題として各国に具体的行動を迫る。

 アプローチに違いはあっても、二つの流れが連携することで核廃絶への潮流は力を増すはずだ。それがオバマ氏の目指す「核のない世界」への道程を後押しすることにつながる。

 核廃絶を「究極の目標」でなく「緊急の目標」とするときが来た。

     ◇     ◇     

 冒頭の栗原さんの原爆詩「生ましめんかな」はこう結ばれている。「生ましめんかな/生ましめんかな/己が命捨つとも」

 「核のない世界」の誕生へ。被爆国である日本政府に、その「産婆役」を担う気概と覚悟がほしい。広島は、きょう64回目の原爆の日を迎えた。

8月9日

長崎原爆の日 君たちの声は、きっと届く
2009年8月9日 11:27 カテゴリー:コラム > 社説
 この夏、君たち長崎の「高校生一万人署名活動実行委員会」にとって、この上ない朗報が届いた。

 米国の高校から賛同の署名-。

 核兵器廃絶と平和な世界を求める活動の9年目、長崎に原爆を投下した核超大国の若者たちが初めて署名を集めてくれたのだ。

 君たちは1月、米国で核軍縮を唱えるオバマ大統領が誕生すると、全米50州の100校に手紙と署名用紙を送ろうと思い立った。郵送作業を始めた4月、大統領はプラハで「核兵器のない世界を目指す」と宣言した。

 署名に応じたのはいまのところ1校だが、送った用紙より16人分多い66人分だ。別の1校からは「これから署名を集める」とのメールが届いた。

 「これまで不安や疑問を抱きながら活動してきた。でも空気が変わった。いまは期待と希望に支えられています」。成瀬杏実(あんみ)さん(長崎西高3年)は実行委50人の思いを代弁する。

 それは「長崎を最後の被爆地に」と願って活動してきた大人たちの心境でもある。

 ●ずっしりと重い署名簿

 君たちの長崎は、きょう64回目の原爆の日を迎える。

 平和祈念式典で田上富久市長が読み上げる長崎平和宣言も潮流の変化をとらえて、核兵器保有国の指導者の長崎訪問を求め、オバマ大統領のプラハ演説への支持を世界に呼び掛ける。

 君たち実行委は既に、市民団体とともにオバマ大統領の長崎訪問を求めて署名活動を展開している。

 大統領が原爆資料館を訪れ、爆心地に立つことを君たちは願っている。かろうじて生き残った被爆者たちと少しでも向き合ってくれたなら、プラハ演説が実行段階に入ると信じている。

 長崎では4年に1度の平和市長会議総会が開かれている。世界3047都市が加盟し、今回の参加は142都市の約300人と過去最多。核兵器廃絶への機運の高まりを示すもので、長崎発の有効なアピールが期待される。

 「被爆地に生まれたからこそできること、言えることがある」

 かんかん照りの夏に帽子もかぶらず、寒風が吹く冬にコートも羽織らず、君たちは毎週末、長崎の街頭で署名活動をしている。

 大人の指示は受けず、活動内容は自分たちで決めてきた。活動開始以来、署名は50万人分に達した。

 被爆地の市民が一様に協力的とは限らない。「署名にどれだけの意味があるのか」「戦争のことを知っているのか」と叱責(しっせき)されたこともあった。

 しかし、署名をしながら平和への思いを語ってくれる人たちがいる。実行委メンバーの祖父母や、そのきょうだいの多くが被爆している。

 「署名簿は、その数の多さだけでなく、長崎の人たちの核兵器廃絶への願いが託されているからこそ、ずっしりと重い」。実行委の大渡ひかるさん(活水高3年)の言葉に共感する。

 大渡さんは第12代高校生平和大使の一人。この秋、ジュネーブの国連欧州本部に今年の署名簿を届ける。

 ●被爆地で「ノーモア」と

 長崎原爆の日のけさ、君たちは爆心地公園で若者の集いを開き、街頭署名活動や小学校での講話にも臨む。

 平和市長会議では非政府組織(NGO)との交流会に招かれて活動報告をする。内外の人々が、いまや長崎の核廃絶・平和活動の一翼を担う君たちの熱気に心動かされることだろう。

 署名活動は既に、韓国や南米に広がり、300人に近い先輩たちが日本各地や留学先で原爆展を開いたり、平和団体を結成したりしている。

 実行委発足時からのスローガン「微力だけど無力じゃない」は、まったく本質を突いた言葉だ。

 昨年は被爆者証言DVDを制作し、海外の指導者たちに送った。今年は大分県別府市の立命館アジア太平洋大(APU)の留学生たちと、平和について考える相互訪問交流をスタートさせた。留学生たちは長崎原爆のことを母国に伝え始めている。

 当面の目標はオバマ米大統領の長崎訪問だ。少し気になるのは、広島との連携が十分でないことだ。活動はそれぞれであっても、訪問の呼び掛けは共にする方が大きな力になる。

 高校生同士で共同アピールを出したらどうだろう。君たちの声は、きっと大統領に届くだろう。

 大統領に長崎と広島に来てもらい、「ノーモア・ナガサキ」「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ヒバクシャ」へ行動すると宣言してもらおう。

 わたしたちも志を強くして君たちを支援したい。

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南日本新聞8月8日

[有識者懇報告] 平和国家にそぐわない
( 8/8 付 )
 首相官邸に設置された有識者による「安全保障と防衛力に関する懇談会」が、2010~14年度の防衛力整備の基本方針を示す新「防衛計画の大綱」の策定に向けた報告書を提出した。

 集団的自衛権の行使を禁じた憲法の政府解釈を見直すことと、武器輸出三原則の一層の緩和を求めていることが特徴である。同盟国である米国の軍事的要求に応えられる日本を目指そうというのだろう。

 報告書が主張する内容は、憲法をはじめ専守防衛という戦後日本の国防方針を大きく変えるものだ。平和国家の根幹にかかわる問題であり、到底見過ごしにできない。

 報告書は北朝鮮の長距離弾道ミサイルの脅威に焦点を当て、米国に向かうミサイルの迎撃を可能にすべきと指摘し、その妨げとなる憲法解釈の変更を政府に迫っている。

 日本のミサイル防衛(MD)システムに対して、米政府から聞こえてくる不満と要求そのものである。だが、MDシステムは「専守防衛の理念に合致する」との官房長官談話を発表し、導入を決めた経緯がある。なし崩しに拡大すべきではない。

 そもそも集団的自衛権の行使は、「憲法上許されない」というのが政府の一貫した解釈である。自衛隊の活動範囲がイラクやソマリア沖などへ広がっても、憲法の枠内での活動という制約はついて回った。

 海外派兵につながる集団的自衛権行使は認めず、専守防衛に徹する。これが政府の従来の説明であり、先の大戦で悲惨な体験をした国民に共通する思いでもあったはずだ。

 報告書が求める武器輸出三原則の緩和も、平和国家を掲げた日本の姿にそぐわない。国際的な技術的発展に取り残されるとの危機感はわからなくもないし、技術が思わぬ武器に転用されるケースもあろう。それでも、最初から殺傷技術を競う国際共同研究開発・生産に日本が参加することが、国民多数の理解を得られるかは疑問である。

 有識者懇談会は、小泉純一郎元首相の私的諮問機関として発足した。形式上は官邸主導だが、実際は防衛官僚の意向が反映され、政府として正面から打ち出しにくい防衛政策の変更を後押ししてきた。

 国民を欺く手法と批判されても仕方あるまい。報告書を受けて、政府は年末に新大綱を閣議決定する予定だった。しかし、今年は衆院選が行われる。総選挙の争点として国民に堂々と問うべきである。

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琉球新報

防衛力懇報告 看過できない軍拡後押し
2009年8月5日 首相の私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」が、ミサイル防衛の対米協力を前提に、集団的自衛権の行使容認や武器輸出三原則の見直しを求める報告書を麻生太郎首相に提出した。このところの軍拡の方向性をさらに後押しするもので看過できない。
 政府が年内策定を目指す新「防衛計画大綱」(2010年~14年度)案は防衛予算の増額への転換や敵基地攻撃能力の検討など、軍拡と「専守防衛」見直しをにじませる。報告書はこの軍拡路線に沿って、日米の軍事強化・一体化のお先棒を担ぐものと言える。
 5年前の現防衛計画大綱の策定時にも懇談会報告は「武器輸出三原則の緩和」を提言し、これを受ける形で政府は外国への武器輸出禁止を見直し、ミサイル防衛システムの日本製関連部品の米国向け輸出に踏み切った経緯がある。
 今回の懇談会報告はその延長線上にあり、北朝鮮の長距離弾道ミサイルを想定し、日本のミサイル防衛システムによる「米国に向かうミサイルの迎撃」と、「ミサイルを警戒する米艦船の自衛隊による防護」をも踏み込んで提言するものだ。
 日本のミサイル防衛導入決定にあたっては「第三国の防衛には用いず集団的自衛権の問題は生じない」との官房長官談話(03年)があったはずだ。懇談会報告は「日米同盟の強化」を強調するが、集団的自衛権の行使へなし崩しに突き進むことは許されない。
 憲法の観点だけではない。北朝鮮はミサイル発射、核実験について一貫して「米国の北朝鮮への敵視政策に対抗するため」と主張している。北朝鮮の挑発行為に対し厳しく対処することは当然だ。しかし「核の脅威」を前面に押し出す北朝鮮に対し、ミサイルを無力化する「迎撃」戦略を日本側が打ち出すことは、いたずらに北朝鮮を刺激し“日本敵視”を助長することにはならないか。
 米軍の「核の傘」を頼み、「ミサイル防衛」に傾斜する日本政府の姿勢に対して、北朝鮮の矛先が北朝鮮をにらむ広大な米軍基地を抱える沖縄に向かいかねないことを危惧(きぐ)する。
 懇談会報告書は「日本、同盟国、国際」の協力による「多層協力的安全保障」をも提言する。日米軍事同盟一辺倒でない、アジア各国の包囲網を考え合わせるべきだ。

原爆の日 核の傘畳んで虹を見たい
2009年8月6日 人間を標的に米軍機から、史上初めて投下された原子爆弾は市街地の上空で爆発した。すさまじい爆風と4千度近い熱線、放射線で街は吹き飛び、人々の顔や手足が溶けていく。
 想像を絶する「地獄絵」から64年。広島と長崎に鎮魂の夏が巡り来た。広島市は6日、長崎市は9日に式典を催し、平和宣言で核兵器廃絶への誓いを新たにする。
 日本は唯一の被爆国だ。筆舌に尽くせない被爆体験の教訓を、世界に知らしめる大切な役割を担っている。広島、長崎両市は戦後この間、核廃絶を絶対に譲れない一線として訴え、その使命を果たしてきた。
 「核なき世界」の実現に強い決意を表明したオバマ米大統領の演説も、両市の訴えを抜きには語れない。核廃絶の世界的潮流は、被爆地がつくったともいえる。
 それに比べ、政府の対応はどうか。歴代首相の恒久平和の誓いが迫力や説得力を欠くのは、核廃絶を説きながら「核の傘」に頼るという自己矛盾があるからだろう。
 核を持たない日本の安全を、米国が自国の核で保障するという考え方は冷戦崩壊から20年を経て通用するだろうか。抑止力の核はもっともらしいが、核攻撃が始まれば巻き込まれる。被爆の惨劇が再来しない保障はどこにもない。
 首相諮問の安保・防衛力懇が提起した集団的自衛権の行使容認や武器輸出三原則の緩和も、被爆地の願いに逆行する。被爆国の政権トップは、核の傘を畳む時期に来ていることを認識すべきだ。
 核の傘を差す側はどうか。大統領の決意とは裏腹に、米国内では包括的核実験禁止条約(CTBT)批准に抵抗感が根強い。最近の世論調査でも、6割超が「原爆投下は正当」と答えている。
 救いは昨年、原爆開発に携わった米国人女性が罪悪感を抱き、広島で被爆者と面会したことなどだ。こうした動きをうねりとし、米世論の転換につなげたい。
 原爆忌は核廃絶へ結束して踏み出す契機となる。核の呪縛(じゅばく)が解けない人類を本来の営みに戻す出発点としたい。
 「武器所持者に平和を祈る資格はない」は、長崎被爆者が残した言葉だ。沖縄には「命(ぬち)どぅ宝(命こそ宝)」の言い伝えや、音楽家の「すべての武器を楽器に」というメッセージもある。核の傘を畳み、空を仰げば「人道」という名の虹が見えると信じたい。

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日経新聞8月6日

社説1「核のない世界」へ日本は主導的役割を(8/6)
 広島への原爆投下から64年。今年は米国のオバマ大統領が「核兵器のない世界」を唱え、核軍縮への新たな機運が出てきたが、一方で核拡散の脅威は広がり続けている。8月6日は唯一の被爆国である日本が自らの役割を再確認すべき日である。

 オバマ大統領は4月のプラハでの演説で「核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある」と語った。

 冷戦終結から20年を迎える今も、世界中で2万数千個の核弾頭が保有されているという。核軍縮の具体的方策として、オバマ政権はロシアとの間で戦略核兵器の弾頭数を大幅に減らす新たな核軍縮条約の年内締結を目指し、交渉を進めている。

 核保有国の核軍縮は、核兵器の拡散を抑える政治環境づくりとしても重要である。核大国の米ロが率先して核軍縮へ動くのは歓迎すべきことだ。米ロに続いて中国も核軍縮への明確な意思を示すべきである。

 米国は来年3月に核拡散防止を目的にした「世界核安全保障サミット」を主催する。米国はクリントン政権当時に包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名したものの、米議会が批准に反対した経緯がある。CTBTの発効を促すべく、米国には条約の早期批准を求めたい。

 日本の役割も問われる。その重要な時期に、「核の番人」と呼ばれ核物質の拡散防止を担う国際原子力機関(IAEA)の事務局長に日本の天野之弥氏が選出され、12月に就任する。日本は「ヒロシマ」「ナガサキ」の発信力も利用して核軍縮や核不拡散体制の強化を先導すべきだ。

 核兵器の保有を米ロ英仏中の5カ国に限定し、他国の保有を禁じた核拡散防止条約(NPT)の体制には矛盾も多いが、核拡散を食い止める有効な手だてはほかにない。インドやパキスタンなど事実上の核保有国にも、粘り強い外交努力でNPT加盟を求め続ける必要がある。

 テロ組織や小国への核兵器の流出という脅威を直視し、国際社会は核不拡散に全力をあげるべきだ。その意味でも、北朝鮮やイランの核兵器開発は阻止しなければならない。

 特に北朝鮮はミャンマーなどと核やミサイルの技術協力を進めているとの情報もある。経済制裁の徹底履行などを通じて、北朝鮮の野望と脅威の広がりを封じ込めるべきだ。

 北朝鮮の動きなどに対抗し日本でも核武装論が一部で出ているが、きわめて危険な議論だ。オバマ大統領に広島や長崎訪問を招請し、核廃絶への誓いを新たにすることこそ、日本の重要な使命である。

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北海道新聞8月6日

原爆の日 核廃絶を前進させたい(8月6日)
 原爆の日が巡ってきた。

64年前の8月6日、広島に、3日後の9日、長崎に、原爆が投下され、その年末までに21万人が死んだ。

 核兵器のむごさにあらためて思いをはせ、二度と繰り返されないよう祈る。

 重い使命を担う日である。

 ほのかな光が今年、二つの市にそそぐ。米国のオバマ大統領が提唱した「核なき世界」のともしびだ。

 オバマ氏は今年4月、チェコの首都プラハで演説し、「核を使用した国として行動する道義的責任」が米国にあるとし、「核のない平和で安全な世界を目指す」と宣言した。

 3カ月後、オバマ氏はロシアのメドベージェフ大統領との間で、新たな核削減に合意した。プラハ宣言に重みを加えたと言える。

 7月に相次いで開かれた主要国首脳会議(サミット)と非同盟諸国首脳会議は、オバマ氏の核軍縮に支持を表明した。

 核廃絶は望ましい。だが、実現は無理だ-。これまで支配的だった古い思考をオバマ氏は覆した。多くの国々が「核ゼロ」は成し遂げられるかもしれないと考え始めている。

 暴力団員に殺害された伊藤一長・前長崎市長は4年前の平和宣言で米国にこう呼びかけていた。「1万発の核兵器を保有し、新たな小型核兵器まで開発しようとする政策があなた方に平安をもたらすでしょうか」

 広島と長崎の市民は、核廃絶を求め続けてきたこの60年余りの努力が、オバマ氏の宣言で、ようやく実り始めたと感じたのではないか。

 広島市の秋葉忠利市長と長崎市の田上富久市長はそれぞれの式典で行う平和宣言で、オバマ氏の取り組みへの支持を表明する考えだ。

 ただ、現実の壁は厚い。核拡散に歯止めがかからず偶発的な事故や核テロの恐怖が現実味を帯びている。

 国際社会がまず取り組むべきは来年、5年ぶりに開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議で具体策をまとめることだろう。

 再検討会議は前回、核の非保有国と米国との溝が埋まらず事実上、決裂した。NPT体制は機能不全状態に陥っている。

 「核なき世界」の機運を核削減の具体行動に結びつけるため、再検討会議をなんとしても成功させたい。

 日本は、各国を合意に向けて動かすために、中心となって役割を果たすべきだろう。

 とりわけアジアの非核化に努力を注ぐ必要がある。

 核実験やミサイル発射を繰り返している北朝鮮や、NPTに加盟せず核実験を行ったパキスタンやインドなどの国々にとって、唯一の被爆国・日本の発言は重いはずだ。
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東京新聞8月6日

原爆忌に考える 自分自身のこととして
2009年8月6日

 平和記念公園のアオギリが、八月の風に揺れています。核廃絶の若芽があなたのように育つよう、あの夏を忘れません。私たち自身の未来のために。

 夕凪(ゆうなぎ)にたたずむ原爆ドームに、観光客がカメラを向けています。

 その意味を知ってか知らずか、ピースサインをつくって一緒に写真に納まる人も、少なくはありません。比類なき歴史の証人は黙って背景になっています。

 広島平和記念資料館でボランティアガイドを務める細川浩史さんには、世界遺産も巨大な墓標にしか映りません。丸い鉄骨の残骸(ざんがい)は、まるでいばらの冠です。

◆ごく普通の出来事だった
 細川さんは十七歳の時、爆心地から約一・四キロのビル内で被爆しました。たまたま柱の陰にいたので助かりました。

 妹の瑶子さんは十三歳。その春あこがれの広島第一県女に入学したばかり。爆心地から七百メートルの屋外で「建物疎開」の作業中に直撃を受け、その日のうちに亡くなりました。建物疎開というのは、空襲に備えて家屋を壊し、防火帯を造る作業です。十三、四歳の学徒に与えられた役割でした。

 最愛の妹が生きた証しを残すため、細川さんは“語り部”になりました。哲学や感情を極力排し、本当は思い出したくもない「実体験」を次世代へ正しく伝えていくよう、自らに課しながら。

 原爆忌を前に、平和記念資料館で開かれた「被爆証言講話会」。細川さんは「今から私が申し上げることは、当時の広島市民が体験したごく普通の出来事でした」と話を切り出しました。「ごく普通」という言葉を聞いて、背筋が寒くなりました。

 瑶子さんの生と死を中心に約一時間。「これを自分のこととして、真剣に考えてみてください。自分自身のこととして-」という呼び掛けで、細川さんの「証言」は結ばれました。

◆核廃絶への転機がきた
 オバマ米大統領は四月のプラハ演説で、唯一の核使用国としての道義的責任に言及し、核兵器のない世界を目指して具体的な方策をとるという、新しいメッセージを出しました。広島も長崎も、今度こそ核廃絶への転機が来たと、強い期待を寄せています。今日の「平和宣言」にも、大統領への支持を盛り込みます。

 でも、現状はどうでしょう。

 プラハ演説後の五月、北朝鮮の核実験強行を受け、「最後の核実験からの日数」を表示する、平和記念資料館ロビーの地球平和監視時計がリセットされました。九百六十日ぶりでした。

 米国議会は、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准に強い拒否反応を示しています。米国とロシアはいまだ、合わせて約一万発もの核弾頭を持っています。いったい何度地上を焼き尽くせば気が済むのか、という数です。

 「頭の上に三発目が落ちないと、正気には戻れないのでしょうか。だが、そうなってはもう遅い。私たちはそのことを、いやというほど知っています」と細川さん。

 もしオバマ氏が広島を訪れて、もし対話がかなうとしたら、「ヒロシマを自分のこととして考えてくださいと、いつものように言うだけです」。

 女優の山田昌さんは、仲間たちと「夏の会」を結成し、原爆詩と被爆体験記で構成する朗読劇の公演を二十四年間続けています。

 今夏のタイトルは「夏の雲は忘れない」。敗戦時、十五歳だった山田さんは「責任を持って戦争を語れる年齢としては、ぎりぎりのとこかしら」と言いながら、腹の底から声を絞り出しています。

 終演近く、原爆の犠牲になった子どもの写真を背景に投影し、女優たちはスクリーンを振り返りながら、彼らがのこした「最期の言葉」を読み上げます。毎回だれかを「あれが私の子」と決めて、本番に臨んでいます。

 「“わが子”を思い続けていれば、戦争なんて起きません。起こそうなんて思いませんよ」と山田さん。細川さんの気持ちとぴったり重なります。

 「兵隊さん、僕はまだ生きとるのですか」「お浄土はあるの、そこにはようかんもあるの」「水か氷ください、死んでもよかですけん」「母さん、戦争だものね」「今まで悪かったことを許してね、お母さん。よか場所はとっとくけんね」…。つらい、悲しい言葉です。でもこれが、忘れてはならない真実です。

◆だから、あなたも
 私たちは自分自身のこととして、この真実を受け止めなければなりません。過ちを三たび繰り返してはなりません。彼らの面影を直視して、過去からの声に耳をふさぎません。

 オバマさん、だから、あなたも-。

オバマプラハ宣言に期待できるのか

2009-08-09 14:55:00 | インポート
プラハ宣言抜粋
 Just as we stood for freedom in the 20th century, we must stand together for the right of people everywhere to live free from fear in the 21st century. (Applause.) And as nuclear power -- as a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it.

So today, I state clearly and with conviction America's commitment to seek the peace and security of a world without nuclear weapons. (Applause.) I'm not naive. This goal will not be reached quickly -- perhaps not in my lifetime. It will take patience and persistence. But now we, too, must ignore the voices who tell us that the world cannot change. We have to insist, "Yes, we can." (Applause.)

 自由に生きる権利を確認し、核のない世界をと言っているが、自分の代では達成できないだろうけれど、できないと言っている人たちに私たちはできると言い切ろうと言っているに過ぎない。
 ここには謝罪もなければ、アメリカが率先して核廃絶に動くことを宣言したものではないのだ。
 とにかく核廃絶はできるという、そしてスタートしようと言っているだけだ。まさに、共同幻想に浸ることは許されるのか。



全文訳

 米国は、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある。米国だけではうまくいかないが、米国は指導的役割を果たすことができる。

 今日、私は核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するという米国の約束を、明確に、かつ確信をもって表明する。この目標は、すぐに到達できるものではない。おそらく私が生きている間にはできないだろう。忍耐とねばり強さが必要だ。しかし我々は今、世界は変わることができないと我々に語りかける声を無視しなければならない。

 まず、米国は、核兵器のない世界を目指して具体的な方策を取る。

 冷戦思考に終止符を打つため、米国の安全保障戦略の中での核兵器の役割を減らすとともに、他の国にも同じ行動を取るよう要請する。ただし核兵器が存在する限り、敵を抑止するための、安全で、厳重に管理され、効果的な核戦力を維持する。そしてチェコを含む同盟国に対し、その戦力による防衛を保証する。一方で、米国の核戦力を削減する努力を始める。

 核弾頭と貯蔵核兵器の削減のため、今年ロシアと新たな戦略兵器削減条約を交渉する。メドベージェフ・ロシア大統領と私は、ロンドンでこのプロセスを始め、今年末までに、法的拘束力があり、かつ大胆な新合意を目指す。この合意は、さらなる削減への舞台となるものであり、他のすべての核兵器国の参加を促す。

 核実験の世界規模での禁止のため、私の政権は、直ちにかつ強力に、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を目指す。50年以上の協議を経た今、核実験はいよいよ禁止される時だ。

 核兵器に必要な材料を遮断するため、米国は、核兵器用の核分裂性物質の生産を検証可能な方法で禁止する新条約(カットオフ条約)を目指す。核兵器の拡散を本気で止めようとするなら、核兵器級に特化した物質生産に終止符を打つべきだ。

 次に、我々は核不拡散条約(NPT)を強化する。国際的な査察を強化するために(国際原子力機関〈IAEA〉に)さらなる資源と権限が必要だ。規則を破ったり、理由なくNPTから脱退しようとしたりする国に、すぐに実のある措置をとる必要がある。民生用原子力協力のため、国際的な核燃料バンクを含む、新たな枠組みを作り、核拡散の危険を増すことなしに原子力利用ができるようすべきだ。

 今朝我々は、核の脅威に対応するため、より厳しい新たな手法が必要なことを改めて思い起こした。北朝鮮が長距離ミサイルに利用できるロケットの実験を行い、再び規則を破った。

 この挑発は、午後の国連安全保障理事会の場のみならず、核拡散を防ぐという我々の決意の中でも、行動が必要であることを際立たせた。規則は拘束力のあるものでなければならない。違反は罰せられなければならない。言葉は何かを意味しなければならない。世界はこれらの兵器の拡散を防ぐために共に立ち上がらなければならない。今こそ厳しい国際対応をとる時だ。北朝鮮は脅しや違法な兵器によっては、安全と敬意への道は決して開かれないことを理解しなければならない。すべての国々は共に、より強力で世界的な体制を築かなければならない。

 イランはまだ核兵器を完成させていない。イランに対し、私の政権は相互の利益と尊敬に基づく関与を追求し、明快な選択を示す。我々はイランが世界で、政治的、経済的に正当な地位を占めることを望む。我々はイランが査察を条件に原子力エネルギーの平和的利用の権利を認める。あるいは一層の孤立や国際圧力、中東地域での核兵器競争の可能性につながる道を選ぶこともできる。
 はっきりさせよう。イランの核や弾道ミサイルをめぐる活動は、米国だけでなく、イランの近隣諸国や我々の同盟国の現実の脅威だ。チェコとポーランドは、これらのミサイルに対する防衛施設を自国に置くことに同意した。イランの脅威が続く限り、ミサイル防衛(MD)システム配備を進める。脅威が除かれれば、欧州にMDを構築する緊急性は失われるだろう。

 最後に、テロリストが決して核兵器を取得しないよう確保する必要がある。

 これは、世界の安全への最も差し迫った、大変な脅威だ。核兵器を持てば、テロリスト一人で大規模な破壊行為が可能になる。アルカイダは核爆弾を求めていると表明している。我々は、安全に保管されていない核物質が世界各地にあることを知っている。人々を守るためには、我々は目的意識を持って直ちに行動しなければならない。

 今日私は、テロリストなどに狙われうるあらゆる核物質を4年以内に安全な管理体制下に置くため、新たな国際的努力を始めることを発表する。これらの物質を厳重な管理下に置くため、新しい基準を制定し、ロシアとの協力関係を拡大し、また他の国との新たな協力関係も追求する。

 核物質の闇市場をつぶし、移送中の物質を探知・阻止し、財政手段を使ってこの危険な取引を妨害するといった取り組みも強化しなければならない。こういった脅威は継続的なものであるため、大量破壊兵器の拡散防止構想(PSI)や核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアチブ(GI)などを恒久的な国際機関に変えるべきだ。まずそのはじめとして、米国は1年以内に核管理に関する首脳会議を主催する。

 こんなに広範囲な課題を実現できるのか疑問に思う人もいるだろう。各国に違いがあることが避けられない中で、真に国際的な協力が可能か疑う人もいるだろう。核兵器のない世界という話を聴いて、そんな実現できそうもない目標を設けることの意味を疑う人もいるだろう。
 しかし誤ってはならない。我々は、そうした道がどこへ至るかを知っている。国々や人びとがそれぞれの違いによって定義されることを認めてしまうと、お互いの溝は広がっていく。我々が平和を追求しなければ、平和には永遠に手が届かない。協調への呼びかけを否定し、あきらめることは簡単で、そして臆病(おくびょう)なことだ。そうやって戦争が始まる。そうやって人類の進歩が終わる。

 我々の世界には、立ち向かわなければならない暴力と不正義がある。それに対し、我々は分裂によってではなく、自由な国々、自由な人々として共に立ち向かわなければならない。私は、武器に訴えようとする呼びかけが、それを置くよう呼びかけるよりも、人びとの気持ちを沸き立たせることができると知っている。しかしだからこそ、平和と進歩に向けた声は、共に上げられなければならない。

 その声こそが、今なおプラハの通りにこだましているものだ。それは68年の(プラハの春の)亡霊であり、ビロード革命の歓喜の声だ。それこそが一発の銃弾を撃つこともなく核武装した帝国を倒すことに力を貸したチェコの人びとだ。

 人類の運命は我々自身が作る。ここプラハで、よりよい未来を求めることで、我々の過去を称賛しよう。我々の分断に橋をかけ、我々の希望に基づいて建設し、世界を、我々が見いだした時よりも繁栄して平和なものにして去る責任を引き受けよう。共にならば、我々にはできるはずだ。

長崎平和宣言

2009-08-09 12:15:00 | インポート
ここに長崎市長の平和宣言を採録します。

 今、私たち人間の前にはふたつの道があります。

 ひとつは、「核兵器のない世界」への道であり、もうひとつは、64年前の広島と長崎の破壊をくりかえす滅亡の道です。

 今年4月、チェコのプラハで、アメリカのバラク・オバマ大統領が「核兵器のない世界」を目指すと明言しました。ロシアと戦略兵器削減条約(START)の交渉を再開し、空も、海も、地下も、宇宙空間でも、核実験をすべて禁止する「包括的核実験禁止条約」(CTBT)の批准を進め、核兵器に必要な高濃縮ウランやプルトニウムの生産を禁止する条約の締結に努めるなど、具体的な道筋を示したのです。「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」という強い決意に、被爆地でも感動がひろがりました。

 核超大国アメリカが、核兵器廃絶に向けてようやく一歩踏み出した歴史的な瞬間でした。

 しかし、翌5月には、国連安全保障理事会の決議に違反して、北朝鮮が2回目の核実験を強行しました。世界が核抑止力に頼り、核兵器が存在するかぎり、こうした危険な国家やテロリストが現れる可能性はなくなりません。北朝鮮の核兵器を国際社会は断固として廃棄させるとともに、核保有5カ国は、自らの核兵器の削減も進めるべきです。アメリカとロシアはもちろん、イギリス、フランス、中国も、核不拡散条約(NPT)の核軍縮の責務を誠実に果たすべきです。

 さらに徹底して廃絶を進めるために、昨年、潘基文国連事務総長が積極的な協議を訴えた「核兵器禁止条約」(NWC)への取り組みを求めます。インドやパキスタン、北朝鮮はもちろん、核兵器を保有するといわれるイスラエルや、核開発疑惑のイランにも参加を求め、核兵器を完全に廃棄させるのです。

 日本政府はプラハ演説を支持し、被爆国として、国際社会を導く役割を果たさなければなりません。また、憲法の不戦と平和の理念を国際社会に広げ、非核三原則をゆるぎない立場とするための法制化と、北朝鮮を組み込んだ「北東アジア非核兵器地帯」の実現の方策に着手すべきです。

 オバマ大統領、メドベージェフ・ロシア大統領、ブラウン・イギリス首相、サルコジ・フランス大統領、胡錦濤・中国国家主席、さらに、シン・インド首相、ザルダリ・パキスタン大統領、金正日・北朝鮮総書記、ネタニヤフ・イスラエル首相、アフマディネジャド・イラン大統領、そしてすべての世界の指導者に呼びかけます。

 被爆地・長崎へ来てください。

 原爆資料館を訪れ、今も多くの遺骨が埋もれている被爆の跡地に立ってみてください。1945年8月9日11時2分の長崎。強力な放射線と、数千度もの熱線と、猛烈な爆風で破壊され、凄まじい炎に焼き尽くされた廃墟の静寂。7万4千人の死者の沈黙の叫び。7万5千人もの負傷者の呻き。犠牲者の無念の思いに、だれもが心ふるえるでしょう。

 かろうじて生き残った被爆者にも、みなさんは出会うはずです。高齢となった今も、放射線の後障害に苦しみながら、自らの経験を語り伝えようとする彼らの声を聞くでしょう。被爆の経験は共有できなくても、核兵器廃絶を目指す意識は共有できると信じて活動する若い世代の熱意にも心うごかされることでしょう。

 今、長崎では「平和市長会議」を開催しています。来年2月には国内外のNGOが集まり、「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」も開催します。来年の核不拡散条約再検討会議に向けて、市民とNGOと都市が結束を強めていこうとしています。

 長崎市民は、オバマ大統領に、被爆地・長崎の訪問を求める署名活動に取り組んでいます。歴史をつくる主役は、私たちひとりひとりです。指導者や政府だけに任せておいてはいけません。

 世界のみなさん、今こそ、それぞれの場所で、それぞれの暮らしの中で、プラハ演説への支持を表明する取り組みを始め、「核兵器のない世界」への道を共に歩んでいこうではありませんか。

 原子爆弾が投下されて64年の歳月が流れました。被爆者は高齢化しています。被爆者救済の立場から、実態に即した援護を急ぐように、あらためて日本政府に要望します。

 原子爆弾で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、核兵器廃絶のための努力を誓い、ここに宣言します。

2009年(平成21年)8月9日  長崎市長  田上富久
        以上


 広島、長崎共にオバマ米国大統領のプラハ宣言を高く評価しています。
 しかし、オバマは、アフガニスタンに戦争の軸足を移し、核廃絶幻想を振りまいただけなのかもしれません。
 彼の核廃絶論理を実を結ばせるためにも、日本はスウェーデンの呼びかけに積極的に応えるべきだと思います。

何が写りこんでいるんだ?8月6日広島原爆慰霊碑前

2009-08-09 03:35:00 | インポート
 広島原爆忌の記事を拾い読みしていたら、読売新聞サイトの8月6日の広島原爆慰霊碑の写真に目が留まった。
 肩から下がっているかばんは写っているのに、顔がない、なんだろうこれは。女性みたいだけれど・・・・あっ、女性でした・・・でもショルダー鞄じゃないのかな

http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20090806-OYT9I00303.htm