うづきつよしさんと、父親のベトナム旅行。ドキュメンタリ宣言が始まった。
今年、88歳を迎えたという。サイゴンの裁判でベトナム5年、日本の刑務所に3年、都合8年間収監されていたという。
2000年に続いて2007年、2度目のベトナム、周りの歩兵部隊が全滅させられているのに、生き残ったことはラッキーだったと語っていた。
玉音放送は、カンボジアで聞いたが、良く聞こえなかった。終わった戦争で、ほっとしたという。
国のために命をかけて闘うということを平気で口にする子ども達が今いる。
父親は、死んだら靖国に帰ると言っているそうだ。
ディレクターがうじきさんと衝突していた。はなせは話せってなんだと。強制的に父親に話させようとしていると、うじきさんに迫っていた。
息子は父親に戦争の本質を質問しまくった。
帰国してから父親とは疎遠になっていたという。
昨年母親の7回忌に、久しぶりには父親と再会したうじきさん。
2008年一人で、カンボジアに渡った。父親の足跡を辿って、何をしたいのかわからないうじきさんのお父さんは番組ディレクターに語っていた。
カンボジアに渡ったうじきさんに再びディレクターが、戦争が絶対やってはいけないことなのかと質問をぶつけていた。
ぜったいにやってはいけないと言ううじきさんに対して、侵略されても武器を取らないのかと詰め寄るディレクター。その質問はおかしい。戦争はやってはいけないと思っているのに武器を取って戦うということは、戦争をやることだと、うじきさん。
うじきさんが、自分の父親に、戦争のことを聞き始めたのは、母親がなくなってからだと言っていました。
なぜそこまで質問するのか、彼の父親は職業軍人だったからだという。
ベトナムでも戦争は悪いことだと結論できている父親に、ベトナム戦争の写真をさして、この写真をどう思うと聞いていた。
父親とへの質問は今後も続けられると言っていた。
私の父は、陸軍に徴兵され、満州の飛行隊にいた。父がいた部隊は南方戦線に抜かれたが、父は満州に残れといわれて残ったそうだ。ラバウルに行った部隊は、ほとんど全滅に近い状態だったという。
満州の病院の警備に三八銃しかなく、逃げ回ったと言っていた。戦後は、シベリアに抑留されていた。
父と同じ房に外語大卒の人がいて、ソ連人よりうまくロシア語が話せたので、スパイかと、相当尋問されたそうだ。
父は、私が戦争映画や、戦争漫画に夢中になっていたことを、快く思っていなかったと思う。
今年、88歳を迎えたという。サイゴンの裁判でベトナム5年、日本の刑務所に3年、都合8年間収監されていたという。
2000年に続いて2007年、2度目のベトナム、周りの歩兵部隊が全滅させられているのに、生き残ったことはラッキーだったと語っていた。
玉音放送は、カンボジアで聞いたが、良く聞こえなかった。終わった戦争で、ほっとしたという。
国のために命をかけて闘うということを平気で口にする子ども達が今いる。
父親は、死んだら靖国に帰ると言っているそうだ。
ディレクターがうじきさんと衝突していた。はなせは話せってなんだと。強制的に父親に話させようとしていると、うじきさんに迫っていた。
息子は父親に戦争の本質を質問しまくった。
帰国してから父親とは疎遠になっていたという。
昨年母親の7回忌に、久しぶりには父親と再会したうじきさん。
2008年一人で、カンボジアに渡った。父親の足跡を辿って、何をしたいのかわからないうじきさんのお父さんは番組ディレクターに語っていた。
カンボジアに渡ったうじきさんに再びディレクターが、戦争が絶対やってはいけないことなのかと質問をぶつけていた。
ぜったいにやってはいけないと言ううじきさんに対して、侵略されても武器を取らないのかと詰め寄るディレクター。その質問はおかしい。戦争はやってはいけないと思っているのに武器を取って戦うということは、戦争をやることだと、うじきさん。
うじきさんが、自分の父親に、戦争のことを聞き始めたのは、母親がなくなってからだと言っていました。
なぜそこまで質問するのか、彼の父親は職業軍人だったからだという。
ベトナムでも戦争は悪いことだと結論できている父親に、ベトナム戦争の写真をさして、この写真をどう思うと聞いていた。
父親とへの質問は今後も続けられると言っていた。
私の父は、陸軍に徴兵され、満州の飛行隊にいた。父がいた部隊は南方戦線に抜かれたが、父は満州に残れといわれて残ったそうだ。ラバウルに行った部隊は、ほとんど全滅に近い状態だったという。
満州の病院の警備に三八銃しかなく、逃げ回ったと言っていた。戦後は、シベリアに抑留されていた。
父と同じ房に外語大卒の人がいて、ソ連人よりうまくロシア語が話せたので、スパイかと、相当尋問されたそうだ。
父は、私が戦争映画や、戦争漫画に夢中になっていたことを、快く思っていなかったと思う。