立川です。
しくしく。
父が12月13日に永眠してしまいました。
大好きだったので本当に寂しくてたまりません。
亡くなる4日前から、ずっと父のそばにいて、
いろいろ世話をしてあげることができ幸せでした。
父のベッドの横に小さな簡易ベッドを病院に借りて、
寝泊りしたのですが、寝心地が悪く背中や腰が痛かったけど
文句は言えませんよねえ。
日増しに弱って行くけど意識だけは最後までしっかり
していたのですが、体中の痛みが辛そうで、意識がない方が
まだ良かったかもしれません。
だんだん目を開けている時間が少なくなって、・・・
でも、時々目を開くと目が濁っていたので
見えているのかなと思い「お父さん、私が見える?」
って声をかけるとうんとうなずき、私をじっと見て
それから、また、痛みで顔をゆがめていました。
基本的には看護師さん達が入れ替わり立ち替わりで
看護してくれるので、そんなに世話を焼くことはなかった
のですが、すぐに弱々しく手を伸ばしてくるので
ぎゅうっと握ってあげ、安心させてあげました。
夜中にウトウト眠っていると頭のほうでカタンという
音がしたので、起き上ってなんの音か探ってみると
なんと入れ歯が落ちていたんです。
ギョッとしました!
歯茎も痩せて入れ歯が合わなくなったみたいで
父の顔を見ると、ますますくしゃくしゃになっていて
切なかったです。
ここまでなると、さすがに本人はもう生きているのが
精いっぱいで世間体だの、羞恥心だの、欲など全くなくなり
元気なころの父とは全く別人でした。
父からきつく言われていたことは、絶対に延命処置は
するな。自然に死なせて欲しいとのことだったので
死ぬまで、ただ見守ることしかできなかったのです。
でもあまりに辛そうなので、「痛み止めの注射を打ってもらう?」
と聞くと、それだけはいつも頭を弱々しく振っていやがります。
でも私は見てられなくて、「注射を打ってもらって少し楽に
なろうよ!」と言ってしまい、父も辛さに負けたのか
うん。とうなずいたので、主治医もすぐにそのように
動いてくれました。
結局それから、すぐに眠りそのまま昏睡状態に入り12月13日に
息を引き取りました。
実は母の命日は14日で、父は母と同じ14日に死ぬつもり
だったのかもしれません。
それを、注射を打つことで父の寿命を一日早めてしまったのかも
しれません。ごめんね。
でも、昏睡状態になる前にはっきり聞き取れた言葉は
「お父さんはもう死ぬ。ありがと」でした。
私は我慢できなくて号泣してしまいました。
父の葬儀は雨にもかかわらず、それはそれはたくさんの人が
参列してくれ、式場内に座れず、外のエントランスにも
たくさんの人がいたそうです。
娘である私は、地元の名士でもない父の為にこんなに
多くの人に来てもらえることに感謝すると同時に本当に
たくさんの人に愛されていたんだなって実感させられました。
やはり、こんな時に生前の生き方が分るんですね。
父はいつもいつも人への思いやりを忘れたことが
なかったです。人の悪口を言っているのを聞いたことが
ありません。朗らかで普通のおじいちゃんだったけど、
本当に徳の高い人でした。
私は父には遠く及ばないけど、少しでも近付きたい。
心から尊敬しています。
父の娘で本当によかったです。
お母さんとやっと再会できてよかったね。