Life Support 【毎日元気】健康生活  

『何はともあれ身体が資本』 新陳代謝を良くして心も体もリフレッシュ。
364.5日元気に働ける身体に・・・

お昼です

2009-01-26 12:04:49 | 何はともあれ 体が資本
冷たいこの季節、食事の時には温かい汁物を食べて身体の中から活力をそして昼からの仕事に備えましょう。食後には時間があれば軽いストレッチをして全身ポカポカ気持ちもリラックスさせましょう。

チャリ通

2009-01-26 10:45:22 | チャリンコ生活
寒さ覚悟の朝でしたが、気温は1℃・冷たい北風がやや吹いて・雪からが覗いていました。時折パラパラと白い物が降っていました。北の方の山々は雪雲に覆われていました。体はポカポカですが指先だけが冷たいペダリングでした。チャリ通DATA:23.4㌔・1時間12分・時速19.1㌔

<今日の雑学>・今日(京)ことば

2009-01-26 09:54:11 | 今日の雑学
ジェンナーのワクチン発明
1823年1月26日、種痘法(ワクチン)の発明者エドワード・ジェンナーが死去した。1749年5月17日、イギリスのバークリーに生まれた彼は、ロンドンで学び、故郷に戻って病院を開業。農場を回診するうち、牛痘(牛の天然痘で、人間は軽い症状で済む)に1度かかった人々は人痘(人間の天然痘)にはかからないことを知り、天然痘の予防法の研究に没頭した。1796年5月14日、彼は牛痘の膿汁をジェームズ・フィップス少年に接種。6週間後に人痘の膿汁を接種したが、少年は天然痘にはかからなかった。ジェンナーの発見はアメリカにも伝わり、ジェファーソン大統領やその家族も種痘を受けた。1802年にはイギリス議会から賞金1万ポンド(のち2万ポンドをプラス)が贈られ、ロシア皇帝はフィップス少年にワクチノフという名を贈った。
今日(京)ことば
あほかいな・・・・・何いってんの。 「あほかいな、そないなこといわれへんで。」

今日の一語

2009-01-26 09:30:56 | 一日一語
『一寸(いっすん)の光陰(こういん)軽(かろ)んずべからず』 
僅かな時間も無駄にしてはいけない。
出典:朱熹「偶成詩」 「少年易老学難成、一寸光陰不可軽」
作者:朱熹(しゅき)=朱子(しゅし) 中国南宋の儒者。1130~1200。名は熹。字は元晦・仲晦。号は晦庵、晦翁、雲谷老人など。宋学の大成者。その学は、宋の周敦頤、程明道、程伊川、羅予章、李延平らの学と道、仏の学を総合大成したもの。日本では江戸時代に幕府の御用学となる。主著に「近思録」「資治通鑑綱目」「四書集注」「朱子語類」など。私自身、一年中5~6時間の睡眠時間以外は働き続けていて、無駄なく時間を使っているつもりですが、効率良くという処にはまだまだ改善の余地ありです。時間は全ての生き物に平等に与えられていて、それをどう使うかはその人次第ですが、よく「時間が無い」と云う人がいますが、時間は「無駄な時間」を省いて作るものだと思います。今の時間はもう返りません「生きた」時間を使って「生きて」行き(生き)ましょう。
<松下幸之助一日一話> PHP研究所編
短所四分、長所六分
人間というものは、誰でも長所と短所を持っている。だから、大勢の人を擁して仕事をしているのであれば、それぞれに多種多様な長所と短所が見られる。その場合、部下の短所ばかりを見たのでは、なかなか思い切って使えないし、部下にしても面白くない。その点、長所を見ると、その長所に従って生かし方が考えられ、ある程度大胆に使える。部下も自分の長所が認めてもらえれば嬉しいし、知らず識らず一生懸命に働く。しかし、もちろん長所ばかりを見て、短所を全く見ないということではいけない。私は短所四分、長所六分ぐらいに見るのがよいのではないかと思うのである。

毎日が記念日

2009-01-26 08:12:13 | 何かと役立つ「四字熟語」
文化財防火デー
1949年1月26日、国宝の法隆寺金堂から出火し、世界有数の壁画が焼失。これをきっかけに1955年から文化財防火デーが設けられ、消防庁・文化財保護委員会・都道府県・市町村などの指導のもと、文化財愛護思想の高揚とともに防火、防災への意識拡充を図っている。この火災を契機に1950年5月には文化財保護法も成立した。
有料駐車場の日,パーキングメーターの日
1959(昭和34)年、東京都が日比谷と丸の内に日本の公共駐車場初のパーキングメーターを設置しました。料金は15分単位で10円でした。今では街のあちこちに10分単位の「タイムズ」なる便利な24時間いつでも好きなだけ止められる駐車スペースがあります
帝銀事件の日
1948(昭和23)年、東京・豊島の帝国銀行椎名町支店で帝銀事件が起こりました。東京都の衛生課員と名乗る男が、「近くで赤痢が発生したので予防薬を飲んでもらう」と偽り行員16人に青酸化合物を飲ませて殺害し、現金16万円と小切手を奪って逃走しました。当初は青酸化合物の扱いに熟知した旧陸軍細菌部隊関係者を中心に捜査されていましたが、その年の8月に画家・平沢貞通を北海道小樽で逮捕、1955(昭和30)年8月に死刑が確定しました。しかし、審理に不審な点が多く、冤罪であるとしてその後何度も再審請求が出されました。平沢貞通は刑を執行されないまま1987(昭和62)年に獄中で病死しましたが、現在でも支援者が名誉回復の為の再審請求を続けています。この事件にもとに、横溝正史の『悪魔が来たりて笛を吹く』等多くの推理小説が書かれました。