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『爪(つめ)の垢(あか)を煎(せん)じて飲(の)む』
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優れた人の爪の垢を貰って薬として飲むという意味で、その人に肖(あやか)ろうとすること。
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<松下幸之助一日一話> PHP研究所編
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原因は自分にある
人間というものは他人の欠点は目につきやすいものだ。往々にしてなにか問題が起こると、それはすべて他人のせいで、自分には関係がない、と考えがちである。実際に他人のせいであって、自分は無関係な場合もある。しかし、それをそう判定するのは、あくまでも人間である。他人のせいではあるけれども、実は自分のせいでもある、というように、自分は全く関係がないとは言いきれない場合も少なくないのではなかろうか。少なくとも、問題が起こった際には、他人のせいだと考える前に、まず自分のせいではないか、ということを一度考え直してみることが非常に大切ではないかと思うのである。