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『敵(てき)は本能寺(ほんのうじ)に在(あ)り』
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本当の目的は、表面に掲(かか)げたものではなくて、実は別のところにあるということ。人々の目を欺(あざむ)いて、他の目的を狙(ねら)うこと。
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故事:天正10年(1582)、明智光秀が備中国の毛利勢を攻める途中、俄かに進路を変え、「わが敵は本能寺にあり」といって、京都本能寺に宿泊中の織田信長を襲った。
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<松下幸之助一日一話> PHP研究所編
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使命感半分、給料半分
人間には、“欲と二人連れ”という言葉もあるように、自分の利によって動くという面と、使命に殉ずるというか、世のため人のために尽すところに喜びを感ずるといった面がある。だから人を使うにしても、給料だけを高くすればいいというのでなく、やはり使命感というものも持たせるようにしなくてはほんとうには人は動かない。もちろん使命感だけで、給料は低いというのでも、これはよほど立派な人でない限り不満を持つだろう。普通の人間であれば、使命感半分、給料半分というところだと思う。そのようなあるがままの人間性に則した処遇をしていくところに、適切な人の使い方があると言えよう。