Life Support 【毎日元気】健康生活  

『何はともあれ身体が資本』 新陳代謝を良くして心も体もリフレッシュ。
364.5日元気に働ける身体に・・・

チャリ通

2010-01-29 08:37:04 | チャリンコ生活
気温4℃の暖かい朝です。通勤用チャリの修理も終わり「チャリ通」復活です今回はペダルとペダルの中心にあるフレームの中のベアリング交換とチェーンの交換をしましたチェーン付近の異音やペダリングの違和感も無くなり快適になったのですが・・・強く踏み込むとギア抜けを起こすので時機を見てスプロケットの交換もしようと思っています。あちこち部品の寿命がきていて修理代ばかりかかる旧車になってしまいました。乗り換えた方が?とも思いますが、愛着があるのでとことん乗ります。チャリ通DATA:31.8㌔・1時間46分・時速17.9㌔

<今日の雑学>

2010-01-29 08:30:46 | 今日の雑学
ペンギンはなぜ北極にいないのか?
1957年1月29日、日本の南極観測隊がオングル島上陸に成功、昭和基地を設営した。さて、南極といえばペンギンだが、ペンギンが棲息しているのは南極だけではない。探検家のマゼラン一行はペンギンを食べながら進んだというが、ペンギンはオーストラリアやニュージーランドの近く、南アメリカのガパゴス諸島や南アフリカの南端にまで棲んでいる。ところが南極と同じように寒くても、北極にはペンギンがいない。これはもともと南極に棲んでいたペンギンが、フンボルト寒流によって他の地へ運ばれたためと考えられている。フンボルト寒流の範囲は南半球のみで、北極までは届かないのだ。そのかわり南極には白熊(ホッキョクグマ)はいない。ちなみにペンギンの翼が退化してしまっているのは、南極には敵が少ないので、空を飛ぶ必要がなくなったからだという説もある。

今日の一語

2010-01-29 08:28:14 | 一日一語
『笛(ふえ)吹けども踊(おど)らず』
人に何かをさせるつもりで、様々に手立てを整えて誘っても、相手が動かないこと。先に立って扇動しても、まったく応じず、動き出そうとしないこと。参考:「新約聖書-マタイ伝福音書第11章」 「われら笛ふけどもなんじら踊らず」
出典:新約聖書(しんやくせいしょ) キリスト教で、神が人間に与えたところの黙示。ユダヤ教から継承した旧約聖書に対し、初期キリスト教会に伝承されてきた文書を集成し、2~4世紀に次第に正典化したもの。イエス・キリストの生涯とその復活を記した福音書、弟子たちの宣教の記録、パウロの手紙、黙示録など27巻から成る。ギリシャ語(コイネー)で書かれた。「新約」・「新約全書」。
<松下幸之助一日一話> PHP研究所編
先憂後楽
「先憂後楽」ということは、天下の人びとに先んじて憂い、天下の人びとに後れて楽しむという、為政者の心構えを言った昔の中国の人の言葉だそうである。しかし私は、この先憂後楽ということは、単に為政者だけでなく、お互い企業の経営者としても、ぜひとも心がけなくてはならない大切なことだと考えている。もちろん経営者とて、ときに休養し、遊ぶこともあるが、そのようなときでも全く遊びに心を許してしまわず、心は常に先憂ということでなくてはならない。それは言いかえれば、人よりも先に考え、発意、発想することだとも言える。経営者というものはたえず何かを発想していなくてはいけないと思うのである。

チャリ通

2010-01-28 10:01:04 | チャリンコ生活
夜半頃からの雨は本降りで久しぶりのまとまった雨になりました。昨夜の帰りはママチャリで帰り、今朝はとことこ歩いて来ました。通勤用のチャリの修理が終わったようで、今から引き取りに行ってきます。チャリ通DATA:チャリで約5㌔・30分・時速19㌔約5㌔・だいたい45分・自足(早足)5㌔

<今日の雑学>

2010-01-28 09:34:40 | 今日の雑学
天正の少年遣欧使節の受難
1582年1月28日、大友・有馬・大村のキリシタン大名3氏の命を受け、イタリア人の耶蘇会宣教師ヴァリャーニに率いられた少年たちがローマへ向け旅立った。メンバーは12歳の正使の伊藤マンショ、副使の中浦ジュリアンと原マルチノ、千々石(ちぢわ)ミゲルの4人で、キリシタン大名の一族やセミナリオ(宗教学校)で学んだ者だった。マラッカ海峡、喜望峰を経てローマへ到着した彼らは、教皇グレゴリオ13世に謁見。90年に帰国したが、日本は禁教へと傾いていた。マンショは豊臣秀吉に地球儀、時計、測量器などを献上する名誉を得たが、ミゲルは帰国後まもなく棄教。ジュリアンとマルチノは布教活動や耶蘇会出版に従事したが、徳川家康のキリスト教禁止令により、マルチノは1916年にマカオへ追放、ミゲルは1633年に長崎で殉教している。

今日の一語

2010-01-28 09:30:55 | 一日一語
『風前(ふうぜん)の灯(とも)し火(び)』[=燈火]
風が吹き当たる場所に置かれた灯し火のことで、今にも消えようとするものの喩え。危険に直面し、生命が今にも絶えようとしている状態。類:●風口の蝋燭●朝日の前の霜柱●小水の魚●虫の息出典①:「倶舎論-疏」「寿命猶如、風前灯燭」 出典②:「法苑珠林-致敬」「命如風中灯、不知滅時節」出典:阿毘達磨倶舎論(あびだるまくしゃろん) インドの仏教論書。世親(ヴァスバンドゥ)著。5世紀頃。「倶舎」とは容れ物の意味で、「阿毘達磨」の教理の全てがこの中に納められているという意味。サンスクリット本、チベット訳、漢訳2種が現存している。漢訳では、真諦(しんだい)訳22巻(564年)、玄奘(げんじょう)訳30巻(651年)があり、主に玄奘訳が用いられる。略して「倶舎論」とも。出典:法苑珠林(ほうおんじゅりん) 唐の釈道世のが編纂(へんさん)した書で、120巻から成っている。これは仏教の故事古典を分類して収録したもので、仏典の訓話を知る好個の手引き書である。
<松下幸之助一日一話> PHP研究所編
衣食足りて礼節を知る
「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。これは今から二千年以上も昔の中国で言われたものだというが、今日なお広く使われているということは、そこに人間としての一つの真理があるからのように思える。ところが、今日のわが国については、「衣食足りて礼節を知る」どころか「衣食足りて礼節ますます乱る」と言わざるをえないことが多い。これはまさに異常な姿である。われわれはいま、この世の中を正常な姿に戻して社会の繁栄、人びとの幸福を生みだしていく必要がある。そのためには、まず自己中心のものの考え方、行動をみずから反省し、戒めあっていくことが肝要だと思う。