*モスクワの乗合いバスの話
バスの運転手は、これ又例外ではなく、太った中年女性が殆ど占めていた。しかも運転手一人で車掌が居ないバス、それが珍しかった。
東京含む関東ではまだ、運転手一人(ワンマン運転)による運行はなく、必ずバスガール(車掌)が乗車して、切符の発売・回収や停留場の案内をしていた。
乗客は車中の所定位置にある発券機にコインを入れて小さい切符(国鉄の乗車券位の大きさ)を買って自ら改札(入鋏)していた。前もって買ってある大き目の切符は乗車してから自ら鋏を入れていた。不正乗車する人は、モスクワにはいないのだ、と私はそう見た。皆、乗車マナーが良く、混んで切符を買えない時など、発券機の傍に居る人に頼んで切符を買って貰ったりしていた。私は、社会主義社会の一つの縮図を見た様な思いがした。
地下鉄もそんな感じであった。乗る人は、乗客ではなく、利用者である、と判断すべきなのだ。利用者であるので客面をしたり、横柄な態度をしたりはしないのだ。公共物は皆の物なのだ。従って、それらは自分達で、しかも出来る範囲内で協力し合い、権利と義務を行使しているのであった。だから、不正乗車、無賃乗車をする人は『非国民』と見なされるのではないか。従ってバス運転手は一切、乗車券・営業に関わる業務はしない、安全運転に集中していればそれで良い、と私はその様に見た。
置き去りにされたおかげで、20数分間のバス乗車であったが、資本主義国である日本とでは全く正反対な一面を垣間見た思いであった。
地下鉄もそんな感じであった。乗る人は、乗客ではなく、利用者である、と判断すべきなのだ。利用者であるので客面をしたり、横柄な態度をしたりはしないのだ。公共物は皆の物なのだ。従って、それらは自分達で、しかも出来る範囲内で協力し合い、権利と義務を行使しているのであった。だから、不正乗車、無賃乗車をする人は『非国民』と見なされるのではないか。従ってバス運転手は一切、乗車券・営業に関わる業務はしない、安全運転に集中していればそれで良い、と私はその様に見た。
置き去りにされたおかげで、20数分間のバス乗車であったが、資本主義国である日本とでは全く正反対な一面を垣間見た思いであった。
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