質問者:ハイル禅師 人はなぜ数十年で死んで生まれ
変わるのでしょうか そのまま何千年生き続けて
修行するのは駄目なのですか?
私:この世の万物である生き物や大自然には
山川草木国土悉有仏性と言うように すべて仏性があるが
生成化育進歩発展する条件として 進化の歴史に於いて
次のステップに進むには 新しいものを生み出すための
一時的な清算が必要なのであります
花が咲いて命が尽きれば 一年巡ってまた新しい芽が
出てくるが 一見 同じことの繰り返しのようでも
実は微妙に中身が進化しており 色とか寒さに強くなった
とか必ず変化があります
突然変異で新種が出るのも進化であり ウイルスや病原菌
もそうです
人間の歴史も一見繰り返しのようであっても進歩発展の道を
歩んできています
一度咲いた花は枯れなければ新しい芽を作らないのと同様
人間も死んで生まれ変わらなければ真に進んだ存在とは
成りえないのです
易経では還暦の61年で循環するというように
人の転生サイクルは60年を指標と考えます
この年齢までに来世の出生条件の徳と劫がほぼ決定される
のです
変わるのでしょうか そのまま何千年生き続けて
修行するのは駄目なのですか?
私:この世の万物である生き物や大自然には
山川草木国土悉有仏性と言うように すべて仏性があるが
生成化育進歩発展する条件として 進化の歴史に於いて
次のステップに進むには 新しいものを生み出すための
一時的な清算が必要なのであります
花が咲いて命が尽きれば 一年巡ってまた新しい芽が
出てくるが 一見 同じことの繰り返しのようでも
実は微妙に中身が進化しており 色とか寒さに強くなった
とか必ず変化があります
突然変異で新種が出るのも進化であり ウイルスや病原菌
もそうです
人間の歴史も一見繰り返しのようであっても進歩発展の道を
歩んできています
一度咲いた花は枯れなければ新しい芽を作らないのと同様
人間も死んで生まれ変わらなければ真に進んだ存在とは
成りえないのです
易経では還暦の61年で循環するというように
人の転生サイクルは60年を指標と考えます
この年齢までに来世の出生条件の徳と劫がほぼ決定される
のです