ハイル禅師語録

ハイル禅師語録で奇跡の開運

駅前に立つ托鉢僧侶の修行

2021年03月06日 | 教え
質問者:ハイル禅師 駅前で立っている托鉢僧侶は
修行の一環なのでしょうか?

私:最近はあまり見られませんが駅前や商店街などに
托鉢をする僧侶がお椀を持って経文を唱えている姿を
私も何度か観てきました

僧侶の持つ托鉢のお椀は木製で紫色の布が敷かれている
ことが多いが それは私が覗き込むように目の前で
見たから知っているのです

私の場合は最低100円 次に500円 稀に千円の
布施を行いますが 中を覗くと1円・5円・10円と
いう小銭ばかりで気の毒に感じたこともある

なぜ私が100円以上の布施なのかと言えば
母から100円あればパンでも買えるという言葉を
聞かされていた教訓からです

当然ながら托鉢をする僧侶も修行なのだが 
布施をする施主も単純に布施行という修行になります

また日本には馴染みがないですが「福田思想」が
インド仏教にあり布施をした者も回向などの修行に
なる訳です

さらに子孫が布施で徳を積むことで先祖供養の助けになる

僧侶への布施の相場は100円以上を目安にすべきか
と思います

布施行や献金の際 たとえ僧侶がお礼を言わなくても
それは一般人に徳を積まさせる修行だという名目が
あるからです