質問者:ハイル禅師 徳を積む概念は仏教の因果応報から
来ているのでしょうか?
私:徳を積む概念自体は儒教や仏教から来ているのは
その通りであります
特に仏教には輪廻転生や因果応報という柱がありますが
人間が何度も死んで生まれ変わるのも真実であります
ただ人が死んで生まれ変わるにせよ前世に人助けをして
沢山の功徳を積んで死んだ人と大量殺人等をして沢山の劫を
積んだ人とでは次の転生の際に条件が大きく乖離します
要するに次の転生の際に「天の命数」が付与されますが
善徳を積んだ人は良い時代に良い両親の元に生まれて
幸福な結婚をして長い寿命を全うできます
悪業(劫)を沢山積んだ人は戦争や飢饉などの酷い時代に
生まれたり酷い親の元で虐待されたりして天寿を全う出来ずに
餓死したり殺害されたりするような応変死になります
これら上記の要素は徳が多いほど幸福度が増していき
劫が多いほど不幸度が増していくので余りにも劫が重く徳が
無さ過ぎると四方八方が敵だらけのような人生になります
このように因果応報は真理である為 人間は素直に前世の
罪障清算を行い徳を積み続ける人生に目覚める事こそが
本質的な幸せへの道であり開運の本義なのであります
ただ、そういう多くの業を積んできた人々にも、深く反省したのならば、救いのチャンスを少しでも、与えて頂きたいのです。
この世の中には、業や徳、生まれ変わりや死後の事を知らない人々が沢山いると思うのですよ。
そういう事を知らなくても、愛情を持ち、善行をし続ける事が出来ている方ならば、まだ問題が無いかもしれませんが、そういう事を知る事を避けたり、忌み嫌って否定し続けて、知ろうともせずに、悪行をし続ける(善行を行う傍ら)事は、問題がありますよね。第一その方本人の為にならないでしょうし、本人が、可哀想ですよね。
何とかしてあげたいと思っても、そういう事を拒絶し続ける人にそういう話をするのは、悲しい事に、人によってはとても大変な事なのです。
お互いの歩み寄りという事が重要となってくるのかもしれませんね。
あと、普段から、コミュニケーションをよくとり、少しでも心を通わせられており、話を聴くというのも大切になってくるかもしれませんね。何気ない会話だけでも良いと思うんですよ。毎日毎日の会話や何気ない行動などの積み上げによる信頼関係の構築の上に、そういう話にも、少しづつでも耳を傾けられるようになっていくものなのではないでしょうか?そう願いますよ。
それと、話をする側が、良いことがあったり、幸せになっている事が、説得力になるのではないでしょうか?どうでしょうかねぇ?
私は、ごく身近の人が(家族など)そういう人ばかりなので、(超現実主義)大変な思いをしておりますよ。(笑)主に現実面でお世話になっておりますし、助けて貰っているので、余り強い事は言えないのですが…。
持ちつ持たれつなのかもしれませんねぇ?
それでも、家族には感謝しているのですよ。
自分の大変な時に、助けて貰ってきたので…。
どうお過ごしですか?
ご体調は大丈夫ですか?
私は、少しゆっくりさせて頂いたお陰で、だいぶ体調が回復してきましたよ。私の場合、リラックスした格好でお昼寝というのが回復を助けてくれるようです。
先生もお出来になられる時に、ゆっくりとお休みくださいね!それではまた…。お休みなさ~い!!】 佐藤恭子より