質問者:ハイル禅師 邪道な知識であっても持っていた方が
良いのでしょうか?
私:巷では邪道な知識も溢れていますが私自身は俯瞰的な
教養の範疇であると考えております
現実的にも人は綺麗事で性格が改善されることは少なく
自分の背丈に見合った悟りが必要です
一時は低俗な書籍やゲーム等に夢中になっても
自身が精神的に向上すると興味が消えます
逆を言えば私のハイル禅師語録が好きな人は精神性が高い人
の特徴であり低い人ほど「下らん!」と言って熟読しません
私は「我が闘争」や「十字軍の黒歴史」も読み込んでおります
確かに精神性が低い人が低俗なモノや信義則に反する書物を
読むと常軌を逸して犯罪率が上がるリスクもありますが
人は学習して向上する生き物でもある
実際に悪逆三昧から正義の仏様になった存在も多いし
戦国大名も前世は高名な僧侶ばかりです
邪道な知識を蓄えても己次第で知恵や叡智を発掘する踏み台や
肥やしにもなり複雑な人間関係を乗り越えていく土壌にもなる
ただ時間が貴重なので「駄本は読むな」と神から注意される事
があり神仕組を担う深見東州氏がそうであります
だが一般人は色々ピンキリの書物を読むことで
多様な人間の性格や考えを窺い知る利点もあり
要は自分の人生に対してプラス材料に変えれば良いのです
何か、“踏み台”という言葉が気になりましたが…。自分ではそのつもりは無くても、知らぬ間に、その様な事をしている場合もあるかもしれないですね。(反省…)
・先生の場合は違うのかもしれないですが、一見、無駄と思われるものを見聞きしたりする事で、自分の見識が広まったり、笑ったりする事で、心が豊になるという事もあるかもしれないと思います。
・そうですねぇ、確かに人の性格というものは、中々、変えるというのは、難しい所があるかもしれませんねぇ…。
ただ、愛情のあるコミュニケーションというものが、人の心を溶かすということが、あるんじゃないかと思います。
傷つけると分かっていても、やらなければいけないとか、言わなければいけない等といった事が終わった後に、相手の気持ちを思いやったり、理解しようとしたり、何処までも寄り添う気持ちを持つ事が大切になってくるかなぁと思います。
やはり人間関係は特に、ポイントは、“愛” “心” “思いやり” ですかねぇ…。(私が出来ているとは限りませんが…。(笑))
・先程、土曜神業録、少し見せて頂きました。
先生の学生時代のご苦労が書かれてましたよ。
先生も純粋だったんだなぁ…(失礼しました笑)と感じましたよ。
たまには、一休みされて笑って下さいよ。
幸せが近付きますよ!
自分が幸せな気分だと、人にも優しくなれますからねぇ…。それではまた…。】