2016.2.14
2月に入って節分も過ぎ、そろそろ新しい風が吹いてもよさそうな時期。
少しの好調を喜んでいたが数日前からまたユラユラする脳ミソ。
左耳からは臭い耳垂れ。
耳鳴り、失聴。
耳の悪化でこうなっているのか、薬の副作用離脱症状の後遺症か。
判断はできない。
こんな逡巡を何度も何度も繰り返している。
耳の悪化ならいずれ脳もいけないことになって全身状態も悪くなる。
寝返りで眩暈が起きるので気になって熟睡できない。
体もカチカチになっている。
それでも去年よりはずっといい。
去年の気分の悪さはとてもじゃないが耐えられなかった。
断薬直後よりずっとよかったが。
そう思えば異常な体の状態も少しは数年間でましになってはいる。
でもやっぱり苦しいことに変わりはない。
普通に苦しまずに生きてみたい。
好調が来てからの元の木阿弥状態は精神的に厳しい。
しかし去年の不調の原因は分からずだけれど
断薬して3年経って急に起き上がれないくらいの症状に見舞われる人もいるし
私は去年断薬6年経ったけれど
あれも離脱症状、副作用後遺症の急なぶり返しだろうと思っている。
自分の状態について 離脱症状 副作用 後遺症と 言葉を複数使っているけれど
断薬から数年は 薬を止めた離脱症状と呼べると思うが
いまこの状態はもう後遺症の域かとも思う。ただ状態が多少とも変化するので固定された後遺症ではないと期待を持っている。
副作用については服薬時から様々な心身症状は出ていたし、断薬後もそれが直ぐに消えたとは言い難い。薬の影響は服薬を中止したからといってすぐには消えない。
薬が身体から出ていくというのもどういう過程を経るのかよくわからないし
かのお茶の水クリニックの博士は70過ぎて抗生物質が身体から出てきたといっているとか。
もちろん若い時に飲んだ薬が。。。
10年経っても全部は出て行かないということだって考えられる。
そうすると薬の影響はまだまだ直に体に残っていることになる。
この状態が離脱症状か 副作用か 後遺症か わからない所以
でも臓器や血液やリンパや機能に大きく作用するところに不具合があれば
身体はもっと大きくどういうふうなりとも変化をすると思う。
心身の苦しさの割に致命的な状態になって行かないのが
この薬の害なのかと思う。
facebookでの投稿を続けていたけれど、この薬害の記事はアップするときにストレスを感じる。
まったく私個人の資質の問題なのだけれど。
fbを開けると、様々な情報が山のように入ってくる。
それは非常に興味深いのだけれど、読んでいるうちに膨大な時間が費やされ気がつけばいつもチェックしている自分。
これ依存症に近い。
薬害で苦しんでいると日常的に気分を逸らして少しでも楽な時間を作ろうとするので
なにかに集中するのは良いことだと思うけれど、この時間的な浪費感はもうまずいと思う。
fbの中にはゲームもあるし、友達とのチャットもできる。
youtubeへのリンクも沢山あって 時間つぶしに事欠かない。
身体の状態を事細かに書きながら薬害仲間に読んでもらったり、見知らぬ人の薬害への理解を得たりと
当初の目的から横道に逸れてるのは否めない。
ここはコメント欄が当時はチャット状態になるくらい仲間が行き来していた。
回復した人たち。日常に支障がないくらいになった人もいれば、なかなか思うように回復しない人も。
リアルで会った人、メールだけずっと続いてる人、時々会う人、励ましのエールを送ってくれる人、いろんな人と出会ったここの場所。
みんな薬害で苦しんでいる仲間だった。
だから記事も安心して書いていたんだなあと思う。
fbは不特定多数へ向けて書いているし、それでなければ意味もない。
でも正直言うと、記事への反応に臆する自分がいる。
心配だけされててもしょうがないって感じ。
なんか不調晒して情けない気分になってくるのは自滅かな笑
皆様がhappyになって波動がよい記事が良いらしい。
まぁ大きなお世話だからいいんだけど、ちょい疲れたからfb覗くの控えようと思う。
これって自分がこんなに依存するって思わなかったのでビックリ。
人生の時間がもったいない。
折角TV見なくなったのに。
2月に入って節分も過ぎ、そろそろ新しい風が吹いてもよさそうな時期。
少しの好調を喜んでいたが数日前からまたユラユラする脳ミソ。
左耳からは臭い耳垂れ。
耳鳴り、失聴。
耳の悪化でこうなっているのか、薬の副作用離脱症状の後遺症か。
判断はできない。
こんな逡巡を何度も何度も繰り返している。
耳の悪化ならいずれ脳もいけないことになって全身状態も悪くなる。
寝返りで眩暈が起きるので気になって熟睡できない。
体もカチカチになっている。
それでも去年よりはずっといい。
去年の気分の悪さはとてもじゃないが耐えられなかった。
断薬直後よりずっとよかったが。
そう思えば異常な体の状態も少しは数年間でましになってはいる。
でもやっぱり苦しいことに変わりはない。
普通に苦しまずに生きてみたい。
好調が来てからの元の木阿弥状態は精神的に厳しい。
しかし去年の不調の原因は分からずだけれど
断薬して3年経って急に起き上がれないくらいの症状に見舞われる人もいるし
私は去年断薬6年経ったけれど
あれも離脱症状、副作用後遺症の急なぶり返しだろうと思っている。
自分の状態について 離脱症状 副作用 後遺症と 言葉を複数使っているけれど
断薬から数年は 薬を止めた離脱症状と呼べると思うが
いまこの状態はもう後遺症の域かとも思う。ただ状態が多少とも変化するので固定された後遺症ではないと期待を持っている。
副作用については服薬時から様々な心身症状は出ていたし、断薬後もそれが直ぐに消えたとは言い難い。薬の影響は服薬を中止したからといってすぐには消えない。
薬が身体から出ていくというのもどういう過程を経るのかよくわからないし
かのお茶の水クリニックの博士は70過ぎて抗生物質が身体から出てきたといっているとか。
もちろん若い時に飲んだ薬が。。。
10年経っても全部は出て行かないということだって考えられる。
そうすると薬の影響はまだまだ直に体に残っていることになる。
この状態が離脱症状か 副作用か 後遺症か わからない所以
でも臓器や血液やリンパや機能に大きく作用するところに不具合があれば
身体はもっと大きくどういうふうなりとも変化をすると思う。
心身の苦しさの割に致命的な状態になって行かないのが
この薬の害なのかと思う。
facebookでの投稿を続けていたけれど、この薬害の記事はアップするときにストレスを感じる。
まったく私個人の資質の問題なのだけれど。
fbを開けると、様々な情報が山のように入ってくる。
それは非常に興味深いのだけれど、読んでいるうちに膨大な時間が費やされ気がつけばいつもチェックしている自分。
これ依存症に近い。
薬害で苦しんでいると日常的に気分を逸らして少しでも楽な時間を作ろうとするので
なにかに集中するのは良いことだと思うけれど、この時間的な浪費感はもうまずいと思う。
fbの中にはゲームもあるし、友達とのチャットもできる。
youtubeへのリンクも沢山あって 時間つぶしに事欠かない。
身体の状態を事細かに書きながら薬害仲間に読んでもらったり、見知らぬ人の薬害への理解を得たりと
当初の目的から横道に逸れてるのは否めない。
ここはコメント欄が当時はチャット状態になるくらい仲間が行き来していた。
回復した人たち。日常に支障がないくらいになった人もいれば、なかなか思うように回復しない人も。
リアルで会った人、メールだけずっと続いてる人、時々会う人、励ましのエールを送ってくれる人、いろんな人と出会ったここの場所。
みんな薬害で苦しんでいる仲間だった。
だから記事も安心して書いていたんだなあと思う。
fbは不特定多数へ向けて書いているし、それでなければ意味もない。
でも正直言うと、記事への反応に臆する自分がいる。
心配だけされててもしょうがないって感じ。
なんか不調晒して情けない気分になってくるのは自滅かな笑
皆様がhappyになって波動がよい記事が良いらしい。
まぁ大きなお世話だからいいんだけど、ちょい疲れたからfb覗くの控えようと思う。
これって自分がこんなに依存するって思わなかったのでビックリ。
人生の時間がもったいない。
折角TV見なくなったのに。