ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

ふとした時に。

2011年09月27日 22時17分21秒 | 日々の症状
2011.9.27
土曜日にハードなスケジュールをこなしたせいか、昨日あたりからだるい。

それでもぼちぼち家事を終わらせて、TVのなんでも鑑*団を観ていたら急にめまい感。
自分の中心がずれていくようなパニック感に襲われて不安になる。

夕方から体中が痒い。ピリピリチリチリ痒くてたまらない。暑さが去ってから急に痒みが出始めた。
気温による刺激が離脱の痺れ痒みを誘発したのかもしれない。
顔から足の指先まで体中のあちこちがランダムに痒くなる。
虫が這っているよりもっと強烈に痒い。痒みが出る時は脳がふらふらする。
このかゆみ体表だけではなく体の中でも起こっているのではないかな。
脳も何がしかの変化を起こしているからふらつくんだと思う。
かなり前から痒みが出ると脳が突っ張るような変な感じがしていた。

そして眠気。2年近く眠れない日々を過ごしてきたがこのところ眠くて仕方が無い。
朝方まで眠れないこともあるが眠気の強さが断然違う。
頭がぼ~ッとして考えがまとまらない。一日中ぼ~っとしていたい。
この2年間お疲れ様だったもんね。やりたいように気持ちいい様に生活しよう。
ちょっとごめんなさいねぇ~!って言いながら、好きにしようっと!

かぜさん

2011年09月25日 13時58分38秒 | 日記
ハートのミサンガ2  赤と白で
2011.9.25
昨日は朝から都心まで出かけた。
前の晩ほとんど睡眠が取れない中、不安で仕方なかったがこの不安との葛藤自体が課題だと認識して出かけた。
本当に久しぶりに明治神宮へも。お参りはしなかったがスピリチュアルスポットと言われる場所を自然に感じてみた。
そして午後から急遽 かぜさんのお話会へ。
亀戸に着くと急に川風が吹いて心地がいい。 まだ始まるとも始まらないとも言えない柔らかな雰囲気の中へ気持ちよく迎え入れてもらって・・・初めての訪問なのに私が誰であるかも気に止めないですぐにご自分の腰の上辺りを押さえて”ココが苦しくなるわ~こういう人は正しいことがすきなのよね~~^、でももうすこしいい加減に生きたほうが楽よ~~!”
それから身体をさわってみてくれた。肩から首のつまりをしっかりピンポイントでほぐしてくれる。
空気が胸に入っていく。呼吸とはこういうものだったかと改めて実感する。
三々五々人が集まり始め、自分がかなり年が上なことに気がつく。
40歳前後から以下の私にしたらとても若い人たちが、こうやって人生とは、自分とはと苦しみの中から何かを見出そうとしている姿を見て居住まいを正す思いに駆られた。
そして自分がこの世の中にずいぶんおもねる生き方をしてきたことに気がついた。いつのまにか自分の思いとは裏腹な感性を装うことに慣れていた。
その輪の中、かぜさんが私への話に多くの時間を割いてくれていることに少し皆に悪いなぁ~・・・と感じ始めたとき”自分の話ばかりでみんなに悪いなぁと思っているでしょ?だから肩がまた硬くなっている”と指摘された。ふぅ・・・・。
昔私のマッサージをしてくれたりする友人がいた。彼女はわたしの傍に来るとすぐにおなかがゴロゴロし出して胸にガスが溜まり、げっぷの様な空気を口から出すような動作を繰り返していた。
ある出来事で彼女とは決別している。数年の間深い魂の傷を負った。
かぜさんの姿を見て彼女を思い出し複雑な心境になった。
かぜさんは突然ガスがおなかに溜まりだし、口からゲップのように空気を沢山吐き出す。そして誰かに反応して身体が硬直し激しい痛みに苦しむ。
きっと誰かの病気の波動を受けてそれを流すという役割では同じなのだと思う。
彼女のかぜさんとそっくりな姿と混乱したやり取りを思い出し少し不安になった。しかしあの混乱自体が私の混乱でもあったのかと思う瞬間があった。私が悪かったとは思わない。いい悪いではなくただの事実。傷つくかつかないかを選べた私が傷つくことを選んだ。
そうはっきり確認できた昨日。この問題に本当に終止符が打たれた日。
かぜさん、ありがとう。



9月の天候の不順

2011年09月21日 15時31分21秒 | 日々の症状
2011.9.21
この前YouTubeをみながらハートのミサンガを作ってみた。
留めはイタリアの市場で買った子供の手芸用のプラスチックビーズ。あまり出番がなかったけれどこれにはピッタリ。
友達が自分で作りたいと言うのでやり始めたが忙しいらしく頓挫している。その中途のミサンガを見ると編みたくなってウズウズするが止めておこう。

去年にも増して早くから暑かった今年の夏。気温の高さだけでなく上空から降り注ぐ太陽エネルギーの凄さが気になった。暑いだけでなく身体の芯から焼けるような・・・・遠赤やきいものようだ。
2012年アセンションに向けて地球規模でこれからも災害が起きるらしい。もう地球の状態は限界らしい。
鎮める方法はただひとつ。
内なる自己と繋がり宇宙と繋がる事。
次元上昇とパラレルワールド・・・・何が何やらというような話だが、全ては起きるべくして起きる。
そして起きた後も何の変化も無いように見えるとしたら私は残されてしまったのだ。
地球の汚染が進み破壊が行われ続けて、原子力発電の停止が行われないことの不思議。
論議の余地は無い。
福島原発事故がいまどのような状況かもうわからない。
80キロ離れたところの農家で作る野菜が汚染されている。自己検針では国が相手にしない。
この不可思議。

台風の通過で外は暴風雨。頭はフラフラしている。
外界の変化でこんなに体調がおかしくなるのはまだ離脱途中だということだ。
胸が締め付けられて息苦しい。穴の開いた風船のように吸っても吸っても漏れてしまうみたいだ。
孫娘のニュナの誕生日記念写真を撮るために、寝不足のままベ*ザラスへ行った。
とてもではないがまともにしてはいられない。
記念写真の衣装選びも然りながら、おもちゃの山の中、どれにしようかな~と嬉しそうなニュナに付き合えない。早く決めて早く終わりにしてくれ~!と心の中で叫ぶ。
この感じが無くなって苦しさが取れなければゴールとは言えないしゴール近しとも言えないだろう。
家の中での動作がやっと苦しみから不愉快くらいにシフトしただけだ。
長い・・・。
服薬期間の長さをあらためて恨めしく思う。しかし去年は寝込んでいたので今年はずっとましな状態ではある。それくらいベンゾの毒は脳に酷い作用をする。まだまだ回復の余地はある。
今真っ最中の人にとってみれば2年も経つのにそれだけしか回復しない?って不安材料になるのかもしれない。しかしこればっかりは人それぞれで信じたい人に自分をなぞらえればいいと思う。
私は長い服薬と頓服という飲み方でプチ離脱を何回か経験しているので難しいと思っている。
断薬後の症状もかなり酷くしつこかったと思う。・・・・・。

結局ニュナはパンツ一丁で逃げまくり記念撮影は中止になった。












なんとなく・・・。

2011年09月13日 00時12分03秒 | 離脱症状
2011.9.13
9月にはいってまた放課後クラブのバイトが始まっている。
小学校で3時間半、放課後の校庭で遊ぶ子供たちの監視。
監視員なんてごっついけど一緒にボール投げもしたりする。この暑さで今日はすぐにギブアップ。
心臓がハァハァしてしまい、ふっと不安がよぎる。水を凍らせたペットボトルを腋に挟んでイスに座る。
炎天下ではないが外でのバイト。かなりな暑さ。
50人から100人くらいの子供たちが走り回ってはしゃぎまわってにぎやかなことこの上ない。

”ねぇねぇねぇ・・・なになにちゃんがね~!”

”擦りむいたところにバンド*イドはってぇ~”
・・・・何処擦りむいたの?・・・見えない・・・
”ここ・・・。。。”

”通りの向こうのお墓の中にボールがはいっちゃった!”

”あの木のてっぺんのとこに挟まってる”

いろんな子供たちがいろんな個性でいろんなことを言ってくる。
5月にはそれがうるさくて耳に響いて”このバイト無理だったかなぁ・・”と思った。
いい気候なのに苦しくて、時間の過ぎるのが遅く校庭の忘れ物や遊具の点検などで見回りをする時は足がぞわぞわしてしんどかった。
イスに座って受付をする時でもやはり我慢してやっていた。
何を? 何が苦しくて何を我慢していたのか。
貴子さんが私たちは年中熱中症なんだと言っていた。
そうその通り!!熱中症で気分が悪く苦しいのと同じ状態なのだ。それでも重篤な熱中症で無い限り元に戻ることが出来る。
しかしこの離脱症状はそうはいかない。
どうしていいかもわからないまま、不安定な身体の状態のまま気分が悪くてもなんとか生活しなくてはならない。
もちろん熱中症プラスめまい、平衡失調もろもろ付きまとうけど年中熱中症というのはとてもうまい表現だと思う。
その中で凍らせたペットボトルは必需品になっている。これは昼間も常にともに傍にいて、寝る時は添い寝をしてくれて明らかに苦しさを軽減してくれる。
要するに暑さは天敵なのだ。

そして話の続きなのだが
9月から再開したバイトであれ?!と思った。
私はボール投げなど出来るはずがなかった!イスに座ってさえ身体を持ちこたえるので精一杯だったのに。校庭の見回りもなんとなく自然にしていた。夏前までは決心をして身体にムチ打ってどっこいしょと立ち上がり、歩けば例のごとく自分の足ではないかのように不愉快な足の感覚に気を取られながら心の中は”もうかんべんしてくれぃ~”だったのが座っているより歩いていたり子供と話したり軽いボール投げでもしていたほうが良い。
それに気がついたのが5日のこと。1週間前。
6日に寝不足でデパートに行ったらぐらぐらで逃げ帰ったがバイトでのいい感じはかなりな変化だと思っている。
今もお月様を見ようと外に出た。高い月を見上げるのは少々辛かったが外を歩く足元がなぜか人間らしい、普通の人のような感覚に近くなってきている。

この文章、離脱じゃない人が読んだら”???”だろうなぁ。
もうぶり返さないで欲しいな。

かこさんのBBS閉鎖です。
かこさんほんとうにご迷惑をおかけしました。

新たにニャンニャさんが立ち上げてくださったBBSです。

ベンゾジアゼピン系抗不安薬&抗欝薬・SSRI・向精神薬からの離脱
http://8245.teacup.com/ridatu/bbs?






誰か・・。

2011年09月03日 17時27分27秒 | 断薬
2011.9.3
断薬1年と10ヶ月
昨日は”誰か大丈夫だといって欲しい”という感じでブログは終わっている。
大丈夫大丈夫と付け加えているが。
離脱症状の苦しさはどうにも例えようがないものだ。そしてそれが理解されないというところに拘るのは理解されないことで非常な孤独感を味わうからだ。
そしてまたこれはクスリからの離脱とクスリの副作用が精神症状も引き起こしているから状況を複雑にする。
自分の状況を認識しようにもツールが見当たらない。
クスリは勝手にどこかで買って飲んだわけじゃない。病院へ行き医者が処方したのだ。
病院へは自分で行ったんでしょ?自己責任?
別に赤ひげじゃなくてもいい。一生飲んでも大丈夫じゃないクスリを一生飲んでも大丈夫って出さないでね。
そのクスリで苦しんでいるのにその状況を判断できない医者。
学校で勉強している時にはまだこんな状況がなかったから分らないんだろうと思う。
向精神薬の離脱症状、副作用というラベルがなかったのね。
ちゃんと教えられる学問ではなかった。
だからそれについて苦しむ人間が指摘しても考えても見ようとしない。
医者にクスリ売ったクスリ屋さんもね。
自分の人生が根底から覆されるようなことには誰だって簡単には耳を貸さない。
病院や医者というツールが役立たずでは仕方ない。それが災いか不幸中の幸いかいずれ知らぬが。
個人の状況は日々辛く何かを待っているわけにはいかないのだ。
身体と精神の症状は個々それぞれで複雑なもので、また個人の特質もあるから難しい。
たとえ誰かが”それはクスリのせいですよ”、”大丈夫ですよ”と太鼓判を押してくれても、すぐ次の瞬間湧き上がる”不安”。理屈を越えている。それでもその”大丈夫”が聞きたくてネットの上をウロウロする。
症状の強弱の波間で人生を考え続けてきた。苦しみのなかで手放したくなかったもの。
人間の誇り。大げさなようだがこの苦しみに比べたら何でもアリだ!
自己責任なんかじゃない。そんなものクソ食らえだ!
渦巻く症状の最中でも間隙を縫うように光はたち現れる。自分自身の精神の光を見つけたときそれを掴んで離さなかった。
そして”大丈夫だ”と自分に言い聞かせた。全ては事実として起こる。しかしそれは起こるだけ。
私自身は苦しむか苦しまないかすら選ぶことが出来る。
現実は苦しいのだけれど私たちはそれを越える存在なのだと光の中で見つけた。
光はすぐに闇にとって代わってしまうけど掴んだものは消えはしない。
これは薬害という社会問題だ。しかし社会問題と捉えて問題提起することと個人が楽になることは全く別ではないけど違うアプローチが必要だもんね。
そんなこと思いつつ今日も夜が来ました。







2009年9月、断薬直前の日々。

2011年09月02日 23時40分07秒 | 断薬
2011.9.2
8月30日と31日はほとんど絶不眠だった。
朝になって食事をして少し眠った。
急な不眠感。
眠れないだろうなぁと昼間のうちから察しがつく。身体の疲れとは別の脳の心地よい疲れが全くなくなる。
眠気もあるのに脳の芯が覚めている。
振り返ってみると2009年の8月末に急に不調感が強くなって9月1日2日3日と非常な不安感に襲われている。体調ももちろんだが腹の底から湧いてくるムクムクとした黒い不安は恐怖だった。
慌ててソラナックスをポリポリしたがいつものようには治まらず強いパニック感を覚えた。
去年もこの日々に不調を感じている。今年はどんなになるかと思ったが不眠はそのせいかもしれない。多少の不安感も戻っている。
身体は覚えているのだ。
そのことに気がついて身体を労わってあげれば不調も和らぐだろう。
しかしいま思い出せばなんという酷い状況だったろうか。10月に離脱症状と確信して断薬するまでの1ヶ月半は実感としては震え上がるくらいの恐怖だ。断薬後ももちろんすさまじいが、訳のわからない絶不調に見舞われてもがき苦しんだあの時期は本当に思い出したくない。

陰と陽、光と闇。プラスとマイナス。たとえ悲しみでもその背後には甘美さを漂わせる。
このクスリの苦しみは全てから断絶された恐怖。
光と交わることの無い永劫の渦の中。
脳も含めてこの身体が宇宙の全てを映す精巧なツールなら化学物質で壊れかかったこの脳と身体は宇宙に浮かぶチリになってしまったのだろうか。
もう私は自分を羅針盤にしてこの宇宙を自由に旅することが出来ないのではないかとまじめに不安になっている。
精緻な宇宙の情報を使えないとしたら私ははじき出されたチリだ。
ブラックホールに吸い込まれるしかないのか。
なんてことだ、病気では壊れないシステムをクスリで壊してしまっていたら回復のユーテリティはどこにも存在しない。
こんなとんでも話を本気で考えている。大丈夫だと誰かいって欲しい。
チョプラさん、膨大なアナタの本の内容は私にも当てはまりますか?
大丈夫、大丈夫。チリはまた宇宙の全て、みんな一つ。