ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

大晦日

2010年12月31日 16時47分11秒 | 日記
毎年突然やってくる気がする大晦日。
さあてここからが私の頑張り時。明日から2日間くらい皆が食べ続ける食物の準備。
40年近く続けてきた御節の準備が佳境に入る。
去年もかろうじて用意した。
耳が痛いのとぐらつくのは風邪のせいかな・・・。
これからは時間があったら実況中継で~~す!
もう11時になった!
初めてって言っていいくらいだな、紅白の始めを見たのは。
でも2時間は見ていられない。えびを煮て膾を作ってごまめも煮物ももう終わった。
あと40分で今年も終わり。

今年最後の整体

2010年12月28日 21時32分22秒 | 整体
ソラナックス断薬14ヶ月経過した。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

火曜日
今日は年金事務所に手続きに行ってきた。1時間半待って呼ばれた人は2人のみ。まだ8人も待っている・・。整体の予約時間が迫ってきたので諦めて整体へ。着いたら1時間間違えて早く着いてしまった。こんなことなら年金事務所で待っていれば良かった・・・。
整体の先生に年金事務所に行ってきなさいと言われてまた戻って、また待ってやっとこさ手続きを済ませた。
途中”あれぇ~~・・汗”って感じになったけど無視。担当のおばさん相手にテンション上げて色々質問しているうちに収まった。
それから整体へ。今日は毎日のように顔を合わせている友人の次の順番。
色々手渡すものがありそこで物々交換をして今年最後の整体の始まり~。
今日のオーラはもう全ての色が揃って何の突出した訴えも無く自覚はどうあれ安定して落ち着いているとのこと。
右の首筋がコリコリでも、頭がぐらぐらでもノーブロブレム。
夕べ久しぶりに朝まで眠れなかったのでとても疲れが出ている。
離脱に別れを告げる。
そう決めた。
今夜。










●CCHRについて(HPからのコピー)
市民の人権擁護の会(CCHR)は、1969年に設立され、メンタルヘルスの分野における人権侵害を調査・摘発する世界規模の監視団体です。ロサンゼルスの国際本部から世界各地にある支部の活動を調整しています。

2010年年末27日

2010年12月27日 13時26分43秒 | 祈り
ソラナックス断薬14ヶ月経過した。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

月曜日
とうとう年末、年の瀬がやってきた。去年といい今年といい全く動きの悪い乗り物で年を越すようだ。
この乗り物の不満を言っていると可哀想になるしこの世で生きるために存在してくれてるこの身体に感謝して大事にしよう。
年末に心を入れ替えて来年はこの身体を大事にすることを決めよう。
身体が喜ぶことを小さな事でも毎日選んで実行してゆく積み重ね。
一番苦手な”積み重ね””小さな努力”などなど・・・そんなに長くないだろう人生で心残りはこれらのこと。
日常生活の動作ひとつを丁寧にゆっくり静かに行う。
忙しすぎた長い人生のなかで全く省みなかった部分だ。
今離脱の苦しさを嫌というほど味わいながら不要なものがどんどん削ぎ落とされて大事な物事が見えてくる気がする。
ヘンプをひとアミふたアミ丁寧に心をこめてそしてさらりと。

今日もふらふら揺れているこの世。今日一日がすべて。






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市民の人権擁護の会(CCHR)は、1969年に設立され、メンタルヘルスの分野における人権侵害を調査・摘発する世界規模の監視団体です。ロサンゼルスの国際本部から世界各地にある支部の活動を調整しています。


聖夜が終わる前に

2010年12月25日 22時34分24秒 | 祈り
                          
                    祈り


今夜は聖夜。
神様に感謝と願いを捧げます。私たち離脱に苦しむ者、そして世界の全ての苦しみ、悲しみの中にいます人々に耐える力と乗り越える力をそして安らぎを与えてくださいますよう願いと祈りを捧げます。愛とともに。

                  

去年の今頃。

2010年12月25日 11時21分15秒 | 断薬
ソラナックス断薬14ヶ月経過した。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

土曜日
寒波襲来。布団を干してみたけど日差しも冷たく感じる。しかし去年の断薬直後からの異常な冷え感よりはまったく楽。
何度も言う様だけど去年の今頃は1年後もこんな状態だとは想像もしなかった。
よくよく考えてみれば去年の今頃は酷い状況が続いていた。断薬2ヶ月が過ぎた頃。
どんなだったか日記を見直してみよう。
丁度断薬2ヶ月を過ぎて気持ちではもう終わるだろうと思っていた。2007年のプチ離脱の時は2ヶ月くらいで終息していたので
2007年のメモを見ながらきっと遅くても3ヶ月位経てば何とか元に戻るだろうとたかをくくっていた。
しかし症状の軽重自体が2007年とではまったく違うのを見落としていた。

2ヶ月経過時点、去年の今頃。
☆ベースの不快感。
☆頭がゾワーゾワーとする。
☆寝ていてもめまい感。
☆身体の芯が冷え切る感じ。
☆強い不整脈  明け方突然の不整脈でビックリして目が覚める。
☆胸のあたりの緊張、詰まり。
☆肝臓のこわばり。
☆不安、焦燥感、まったくほっとしない。
☆目の見え方が不安定。
☆左足のしびれ
☆強い打ち方の動悸。
☆貧血のような気分の悪さ(突然起こる)
☆めまい感(ふらつきめまい)
☆食欲ナシ
☆酩酊感(これは飲みなれないお酒を飲んだときと同じ感じ)
☆耳鳴り(音が響く・・歩いていても騒音が響いてクラクラする)
☆不眠・・・・辛い症状の筆頭だったかも
☆下肢のゾワゾワ(寝るときに我慢できない)
☆ワナワナ感
☆光に敏感。
みぞおちからのど元にかけて強烈な恐怖が突き抜けて正気でいられないと記入がある。
このころはまだしびれ感が酷くは出ていない。これから痺れが痛みやピリピリに変わり痺れの場所も身体全体になり特に頭の左側は顔面まで強いピリピリと痺れで痛くなったり痒くなったりを繰り返して現在の我慢できる範囲に至る。
この頃やっていたこと。
★半身浴
★ホメオパシー(アコナイト)
★足湯
★整体
★こんにゃく湿布
★ハーブティー
★ウォーキング(1万歩を目標にして)
★靴下の重ね履き健康法
★漢方薬(カミキヒトウ)

ほんの少しずつ回復してはぶり返しここまでよく生きてきたものだと思う。一つ一つの症状を列記してもなかなか表現しきれないところがあってそれをベースの不快感と呼ぶ。何回か書いてきたけれどこれからも繰り返しこれらのことについて書いていくつもり。
ベースは例えていうなら”つわり”に似ていなくもない。でも男性には分からないし妊娠経験がないとわからないから違う言葉をさがしてみる。難しい。


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14ヶ月記念日。

2010年12月24日 00時28分19秒 | 断薬
ソラナックス断薬14ヶ月経過した。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

木曜日
のつもりだけど本当はもう金曜日。不調なのに忙しくて結局こんな時間。
睡眠の変化からおき抜けの気分の悪さは急に始まった。
精神的な気分の落ち込みでなく身体的な症状。平衡失調感とふわふわ感とベースの気分の悪さ。
また身体を自由に動かせない感じになって体中が背中を中心にバリバリ。
落ちたときはヘンプをアミアミするに限る。でもデザインを考え糸を選び本を見たりの始めるまでの作業に食いつけない。
疲れてしまう。
最高級だといわれるヘンプ糸、エコリュ-ションをまだ使ったことがないので一度手にしてアミアミしてみたい。
とりあえずUPして寝ます。


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整体の日

2010年12月22日 18時35分58秒 | マスターの教え
ソラナックス断薬14ヶ月経過した。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

水曜日
今日は整体の日
いつに無く不調の今日は整体での話をそのまま書こう。
2009.10.23に断薬決行してから1年ともう3ヶ月が経過。
今日の診断
★クスリはとっくに身体から出ている。
★過去の手術や麻酔のミスなどの後遺症で身体の左右差が神経上にある。
★冷えが入ってきている。
★皆既月食の身体への影響。
★めまいがして焦点が定まらずグラグラしているのは自分ではなく世の中のほうだからおかしいのは自分ではない。
★オーラは先週のオパールから変わり玉のように補色同士を次々に出して行く変化し続けるオーラ。
★エネルギーの元は肝臓の火の色。
★身体はどこも悪くない。
以上。

そして私の自覚症状。
☆睡眠の急な変化・・・入眠困難と中途覚醒が続いた1年と2ヶ月。波はあったものの改善した感はまったく無かったが12月半ばからポチポチ眠れるようになったきた。入眠も早くなったし継続して5時間くらい眠れる日も出てきた。覚醒してもいつの間にか眠っている。

☆そのせいか・・・・・・・起きぬけに平衡失調が酷くなったのと頭位や体勢を変えることでめまいが起こる。

☆不整脈・・・・・・・・・・かなり減少した。

☆動悸・・・・・・・・・・・・多少感じる日もある位。

☆ワナワナ感・・・・・・・動悸と連動するが動悸がなくても身体の新が振動するようなワナワナする感じはまだ起こる。

☆ぶり返し・・・・・・・・・ぶり返しは必ずと来るいっていいのではないか。ぶり返す症状はいろいろあるけれど  痺れ 頭皮のピリピリ 足元の痺れとゾワゾワ ベースの不快感  これらが現れるとめまいが酷くなったり、動悸が戻ったり、不安感が出たりする。私の場合 ベースの不快感が一番辛い症状かもしれない。


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先日マスターよっちゃんから塩についてコメントをもらいましたので転載します。減塩が広報されて長い月日が経ちますが人間にとって塩は大事なもの。もう一度見直してみましょう。

最近、異常に体調が悪くて、テンションがた落ちで、なんかもう全てがいやになって、死にたいくらいになっていたのですが、さっき、復活しました。

なんで、復活できたかというと、塩分を摂ったからです!

みなさんは、健康のために「減塩」ってやってますか?
今は日本人の常識となっている減塩は、どうやら、「抗うつ薬がセロトニンに効く」というのと同じで、全くちゃんとした根拠のないデタラメなようですよ。

以下のサイトに船井幸雄さんの体験とともに、詳しく書いてありました↓

http://homepage2.nifty.com/motoyama/salt.htm

どうやら、摂りすぎて良くないのは、精製されて純粋化し、工業製品化した、「塩化ナトリウム」のようですね。

そもそも、塩分を摂りすぎて死ぬことは全くないそうですが、塩分が不足すると、死ぬそうです(^^;)

以下、血中塩分濃度の低い人の体質(引用)

《陰性体質(塩分不足)》

1)冷える...身体中冷えるが、特に手足が冷える。つまり冷え性。寒がりで、
いつも厚着をしている。靴下をはいて寝る人もいる。夏には強い。

2)疲れる...疲れやすく、スタミナがない。集中力が続かない。根気が続かない。
身体全体がだるい。長時間立っていられない。

3)顔色が悪い

4)痛む...原因不明の慢性頭痛。特に午後になるとひどくなる(レンドゲンで
調べる。脊髄液を調べる。頭を切開するというようなことをする寸前で、筆者は
卵醤だけでなおした例をいくつも持っている)。肘が痛む。背中が痛む(肉の食べ
すぎ)。腰痛、下半身が痛む(魚の食べすぎ)。膝痛。足首が痛む。空腹時に胃が痛む。

5)胃ケイレン

6)ドライ・アイ

7)胸がむかつく

8)目が疲れる...目が疲れる。目がかすむ。視力が落ちる。視界が狭くなる。
近視、遠視、老眼、乱視がすすむ。

9)凝る。こわばる...肩から首筋が凝る。五十肩。膝がこわばって座れない。
コムラガエリ(運動中、就寝時、水泳中、ゴルフ中など)。手の平の一部に堅い
シコリができて痛む、手首が曲がらない。

10)むくむ...下肢がむくむ。顔がむくむ。腹や背中がむくむのは重症に近い。

11)ノイローゼ

12)水虫

13)下痢

14)常習便秘

15)出血、下血(血便)...すぐ鼻血が出る。小さな傷でも血がとまりにくい。
歯ぐきから出血する。血便が出る。

16)皮膚が弱い...すぐかぶれる。皮膚が荒れる。シッシン。化膿し易い。霜焼け。
アカギレ。

17)臭い...足が臭い。息が臭い。ワキガ。

18)虫歯...陽性の人は歯をよく磨かなくとも虫歯にならない。

19)めまい。目ぼたる。立ちくらみ

20)貧血、血がうすい。出血がとまりにくい

21)食欲不振

22)動悸。息切れ

23)手足のマヒ。シビレ

24)円形脱毛。抜け毛。枝毛。ネコ毛

25)手の平、足の裏がシメッている。冷や汗

26)乗り物に酔い易い

27)不眠症、寝つきが悪く、眠りが浅い

28)朝寝坊...7時すぎまで寝ていたい人は、強陰性

29)小便の回数が多い

30)目がさめても、しばらくはボーッとしていて頭が回転しない

31)低体温

32)痛風

33)心臓肥大

34)花粉症

35)アトピー性皮膚炎

36)白内障

37)中耳炎

38)蓄膿症

39)糖尿病

40)痔

41)低血圧、不整脈、結滞

42)高血圧

43)登校拒否、非行

44)おもらし

45)ボケ

45)寝たきり老人


どうですか?けっこう、離脱症状とかぶる項目いっぱいありますよね。

ぼくは、最近、お風呂で半身浴したあとに必ず、全身、特に下半身が急激に冷えて、ほとんど歩けないくらいになっていたので、「ぬる目のお湯に入っているはずなのに、なんでかなあ??」と、不思議でしょうがなかったのですが、そういえば、半身浴すると、汗を大量にかくので、もしかして、血中の塩分濃度が極端に下がるから、それで、熱中症みたいになっているのでは?と思い、塩をいっぱいなめてみたところ、すごいおいしくて、しかも、身体が暖かくなって、気分もすごく良くなってきて、今までのはなんだったんだ?ってぐらいだったので、ネットで裏をとってみた次第です。

我が家は、ぼくが小さい頃から、健康にとても気を使う家族で、バリバリ減塩してやってきていますが、いまだに母親は血流悪く、肩こりや手足の冷えがひどい、父親は、目の疲れがひどくて、アトピーが全然治らない、腰が痛い膝が痛い....で、むしろ、これは、減塩してるからこうなってるのか.....と、今は思っています。

ぼくが、小さい頃から、体温が低くて、無気力で、手足が冷えやすいのは、我が家の「減塩」方針が問題だったのかもと思いました。
母親はとにかく塩気がないことが健康的だと思い込んでて、スパゲティなんか、麺の味しかしないときありますから.......ぼくが精神科受診をすることになったきっかけも、「減塩」が原因かもしれませんね(別に家族を恨んではいませんよ 笑)。

そもそも、生物はみんなもともと、塩分濃度の非常に濃い、海に抱かれて進化してきたわけですから、減塩ブームで塩を悪者にするのは、なんとも勘違いはなはだしいことなわけですね。

上記した塩の話のホームページの、減塩”ブーム”のもとになったネズミの実験のいい加減さには笑えます。

ですが、塩を摂るのは、「天然塩」に限るそうです。
天然塩なら、いくら摂っても、いらない分はおしっこか、あんまり摂りすぎても、吐いて全部出してしまうそうなので、摂りすぎを心配するより、摂らなすぎを心配しろ!!って書いてありました。

ぼくは、今、湯飲みに小さじ4杯くらいの天然塩を溶かして、ちょっとずつ飲んでます。しょっぱいですがうまいです。

塩分摂らなさすぎの水分摂りすぎが一番ヤバイそうです。

そういえば、最近なかった便通がきはじめました.....


ソラナックス服用の状況と依存への道 2

2010年12月20日 20時56分44秒 | 断薬
ソラナックス断薬14ヶ月経過した。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

月曜日
ソラナックスとの相性はとても良かったと思う。それは効くという意味で。何に効くかというときっかけのめまいが治るというのではない。回転性はもちろんソラで治るものではないし浮動性でも治りはしない。けれどめまい(浮動性が断続的に、回転性は過去酷いものが2回)がすると自律神経は過敏状態で首筋はカチコチになり音や光にも敏感になる。離脱症状と同じような状態。・・・・このめまい自体も今ではストレスと科学薬品のせいだと思っているが・・。
その自律神経症状とめまいの中で子供を育て親の看護をし、ほかにも大きなライフイベントをこなすのにはクスリの助けなしではとても無理だと判断した。今はあの時にほかの選択が無かったかといえばそうは思わないがそのときにはクスリを頼った。
で、私が味わったのは身体のコリコリがクスリで解けて行く開放感。くたびれ果てていても家事をこなせるウソの力強さ。
立てないほど疲れていてもクスリを飲むと暫くして働き出す。
限界が来ても神経が総立ちになっても大丈夫。クスリを飲めば柔らかな世界で休める。
めまいの治療の一環として出されたソラは私の人生の混乱期に生活に少しづつ入り込んできた。
そしてめまいがしなくても疲れすぎた身体を横たえるやわらかいベッドのように・・そう麻薬として私の生活の一部になった。
元々信用していない病院とクスリのワナに落ちていった。
クスリへの疑いは消えていなかったので続けては飲まなかった。だから離脱も長いこと経験しなかった。
しかしいま思えば数年前からの恐怖心と希死念慮の発現はソラの副作用だったのだ。
眠りにかかるとサァ~と意味不明の恐怖心で目が覚めることが多くなっていった。人生の混乱期にいた私は全ての負担がこんな状態を生んでいるのだろうと思った。自殺衝動もかなり前から経験していたがそれも自分の精神のトラブルかと精神分析本を読み漁って自己分析を続けた。めまいカウンセリングを受けたのはその数年前から3年半。耳鼻科の中に併設されているクスリを処方できない心理療法士のDr.の個室でのカウンセリング。精神科や心療内科でなかったのがせめてもの救い。
去年の断薬まで、そして断薬後もこの恐怖心とは付き合う羽目になる。
希死念慮は2006年に整体に通い始めて暫くして消えた。それは自分自身をどうしても抹殺したいという現実と呼応しない感情。
これも発現から消滅まで数年を経ていた。
クスリの副作用という意味では身体の症状としてまだまだ書いておくべきことがあると思うのでいつかまた記しておきたい。
しかしこの自殺衝動と恐怖心は私の人生をことさら酷いものにした。そういう意味でも特筆するクスリの副作用だと思う。

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ソラナックス服用の状況と依存への道

2010年12月19日 17時07分11秒 | 断薬
ソラナックス断薬14ヶ月経過した。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

日曜日
もうそろそろ断薬15ヶ月を迎える。去年の今頃は年明けには元気になってると思っていた。
2009年の2月終わりから4月の末まで2ヶ月半くらい毎日ソラナックスを基本的には0.4㎎1T/dayを飲み続けた。
足りない日は2錠を飲んだ。
それまでも長くて2ヶ月半、短くて数日を反復服用して15年近く、もっときめ細かく言うと20年以上の服薬経験がある。
すべてきっかけはめまい。
途中授乳の時期があり長い期間のブランクがあったので13年~15年くらいとみての話。
特にこの数年の服用量が多くなったのとそれ以前は明確な離脱は経験していないので記憶が曖昧な部分がある。
20代で左耳の手術をしているのでどうしてもめまいというと内耳性のめまいの不安が先走り精神的なストレスが原因ではという頭が無かった。
しかし耳鼻科の医者はとうにストレスだと思っていたらしく30歳のめまい初発で精神薬が出ていたと記憶する。
その当時長崎在住で体調が非常に悪く、耳の病気が再発したらまた子供を置いて長期の入院になるという恐怖に近いものがあった。
今のようにネットで何でも調べられる時代ではなかったし本もクスリの本など無かったので自律神経のクスリですと言われて”あ~そうですか”というような気力しかない生活を送っていた。しかし元々クスリ嫌いだったので精神薬は飲まずに捨てた。
しかし抗生物質は耳が悪くなると困ると思い飲んでいた。
そのおかげで酷い体調になっているという自覚もなしに・・・。
めまいの原因は一体なんだったのかと今更考えてみたことがある。当時みかん山の麓に住んでいて東京から転勤した私には全てがカルチャーショックだった。
ここも東京の田舎と呼ばれる郊外だが私自身は商業地区に育ち畑とはまったく縁がなかった。
みかん山に農薬が散布されそれがどの程度有害かなどという知識も無く、農家は農家で散布予告もせずに自由気ままに農薬をまいていた。
音が聞こえると慌てて洗濯物を取り入れるのだが耳の遠い私は気が付くのが遅い。家族は会社や学校に行ってしまうので実際に農薬の影響は私が一番濃かったと思う。
手術や病気を繰り返して身体ももう一杯一杯だったのだろう。その頃から普通でない体調になっていった。その前も病弱だったのだけど何かが違っていた。
まずパニックの初発もあった。それは酷い症状で少しは軽快するも数年間は大変な思いをした。丁度”豊田商事事件”の最中に起きたパニックでそれ以後”豊田”の二文字を見るとパニックを起こすようになって、帰京しても豊田駅のある中央線は止めて京王線で帰っていた。とにかく帰京は必須事項だったので1年に一回は帰っていたが実家でも症状を隠すのに必死だった。
気分の悪い日々が続いた長崎時代は農薬のせいだと思っている。
それ以前に全身麻酔や局部麻酔、強い抗生剤なとあらゆる化学物質が身体の中に放り込まれ農薬まで受け入れる体力がなかったのだろう。
そんな事とも露知らずまだその後も起こるめまいを耳のせいだと思い込み耳鼻科に通い続けとうとうめまいカウンセリングまで受ける羽目になった。それはそれで興味深い経験ではあったのだけどめまいの再発は防げなかった。
そのころから断続的に起こるめまいの際にデパスが処方された。それもまじめには飲まなかったし次に出されたソラナックスも四つに割って恐る恐る飲んだ。でも段々半分になり1錠になっていきソラとの相性が良かったのが今日の状態に繋がっているのだ。
もちろん一日3回0.4㎎を守ったことは無いのでせいぜいどうしてもめまいが厳しい時だけ2錠飲んだ。いまだ一日に3錠を飲んだことは無いと記憶している。しかも続けて長期間飲むことも無く副作用も離脱も経験しないでいた。
しかし自分に合うとは怖いもので、神経も身体もソラで楽になることを覚え特に支障も無い生活は段々ソラ依存の日々になって行くのを知る由もなかった。


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追いかけると逃げるの法則

2010年12月17日 18時57分35秒 | 断薬
ソラナックス断薬14ヶ月経過した。晴れ晴れした日々はまだ来ない。

金曜日
今日は親しくしてもらっているおばあさんがベッドに乗り損ねてどこかを打ち緊急入院した!と連絡が入った。
彼女の娘と私は高校の同級生。旦那さんの仕事の都合でずっと地方を転々としている。だからBAAさんは一人暮らしの84歳。
一人娘ももう還暦を越えて、しかし中々親元に帰れない。私のようにとっくに親がないのも寂しいけど年老いた一人暮らしの親のそばに居られないの心配だろうなぁ。
友人の車で入院先の病院まで行くと思いのほか元気そうでたぶん骨折もないとのことで一安心。このところぐずぐずしてばかりで顔を見に行かなかった。また様子を見に行くのをルーティンワークにしておこう。気持ちだけじゃ身体がついてこない離脱に負けるから頑張ろう~。
いつものサスサスヒーリングをしてあげると痛みが遠のいたと喜んだ。憎まれBAAさん世に憚ると言いながら憚って欲しいよずっと。
それで私は小さいときからマッサージや指圧を親に良くしてあげた。両親がそれぞれ最後に入院したときもサスサスよくしてあげた。その頃の私は自分の境遇に今よりも怒っていたらしくヒーリングで治るなら世話はない!位の気持ちでいたから私のヒーリングは効果を発揮しなかったな。残念だけどそれが人生。
今はこの状況に至って私の頑固な現実主義ももうそろそろ降参する兆しがある。
姉が長いこと気管支を患って最近では喀血もするようになり咳が絶えずに苦しんでいた。本当に長い間。
去年離脱が始まる前、ふとヒーリングをしてあげようという気になって姉を訪れた。その日以来咳は止みもちろん喀血もない。
治るものは治るし治らないものは治らない。そこには宇宙の深い意思がある。
人間世界の出来事の意味のすべてを私たちは知りえない。答えを得ることが出来ない。
なぜ凄惨な死が許されたのか、なぜそんな悲しみが存在したのか。その答えだけを探して生きてきた。そのうちに私がしたことは自分を軽んじること。どんなことでも耐えて見せるとがむしゃらになっていった。それがレクイエムかと。
今この苦しみの中で自分で自分をサスサスしながらごめんね・・と語りかける。一番大事にしなくちゃいけなかった自分自身を置き去りにして何を得ようとしたんだろう。離脱の苦しみは私が私へ回帰するための宇宙の意思。
それを受け入れないでどうしよう。サスサスしているとお腹から笑いがこみ上げてくる。未来の私が今の私へちょっとだけのプレゼント。意味の分からない”笑み”。
昨日と今日と明日は折り重なって一枚の絵になる。

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