2011.12.17
そろそろ断薬してから2年と2ヶ月が経つところ。
過ぎてしまえば早いような気がしないでもない。
断薬前から、急な副作用と離脱症状とに襲われて苦しさのあまりもがきながら断薬を決行してから早2年を優に過ぎた。
生活が人生が変わってしまったクスリとの遭遇。
こうやってキッパリと断薬してまだ症状が残っている中で思うことは
長い間の服薬(頓服であり継続して飲んでも最長2ヶ月から3ヶ月、単剤少量)の中
自分ではまともだと思っていたが決して普通の神経ではなかった
ということだ。
数回の離脱経験も身体の不調として捉えたので今とは評価が全く違う。
非常に苦しい状況を身体が弱いとか自律神経失調だとかという評価をしていたのは当然だが、今はそれが甚だ間違っていたと認識している。
私の場合、23歳の時の初産でかなりの量の麻酔薬を使っている。
体質的に麻酔が効かないということを知らなかった。そして麻痺させるために局所麻酔を相当打たれた。その後、強力な抗生剤の継続的な投与、全身麻酔、再度、再々度の局所麻酔等相当量の薬剤が十数年に亘って身体に入っていった。
その間も睡眠剤や安定剤は処方されていたはずだし、体調がおかしくなってからは増して安定剤の出番がやって来ることになった。
体調がおかしくなったのはひとえに大量な薬剤のせいだと思う。
それを解毒して体外へ出す力がその当時の私には無かったのだと思う。
その不調の原因は自ずと不明であった。
つけられる名前は起立性低血圧、自律神経失調症、不安神経症、パニック障害、過敏性大腸炎ect.
途中転勤で農村地帯に住んだ。みかんの産地で目の前にみかん山。
みかんに撒かれる農薬は凄かった。なんの前触れもなく撒かれて気がつくと洗濯物はダシッパ。
その臭いは今も忘れない。
私は自分が薬剤に敏感な身体だと知らなかった。そこでの生活は病気とは違う不調で苦しんだ。パニックの初発はその時だ。
そこを離れて今の生地に帰ってから数年はパニック発作を起こしたが消えていった。
そこまでは安定剤の出番はあまり多くなく、他の薬剤での不調は苦しかったが思い返して自分がおかしかったという認識は低い。
そこからめまいが治りづらくなって段々安定剤の服薬頻度が増えていく。
そしてそれと同調するかのように私の人生も何やらエキセントリックな様相を呈していった気がする。
そう・・何かに追い立てられるかのような人生。
もっとクールだったはずの私が落ち着きをなくしいつも小走りをしてハァハァ息を切らしていたような。
感情も考えも、周りの状況に常に振り回されて流されて、今思えば自分ではなかった長い年月という感じがしてならない。
離脱症状はなかなか一気呵成に良くなるというわけにはいかず本当にしつこいものだと改めて実感させられているこの頃だが、私は長い、本当に長い間自分を見失っていたと思うし、やっと私だった私が戻ってきていると感じられてそれはとても幸せに近い感情を抱いている。
クスリは一時、生きていけないような私の状態を助けてくれて何とか生活をこなしてここまで生きてきた。引き換えに手にしたものはあまりに酷いものではあったが過去は否定できない。
私が命を生きた過去にクスリの存在があったことは否定できない。
それをよしとしてのココまでの人生だ。
私の魂の目的の一つが共感性だと教えてくれた人がいる。
共感するために私が自らこの苦しみを引き受けたとその人は話してくれた。
途方も無い話だ。
しかし自分が感じられる、考えられる範囲を超えた言葉が真実ではないとは言い切れない。
それを真実にするのは私の選択だ。
その選択をクリアな意識で間違えない。それこそが人生を豊かにすると今は思える。
今日もぐらついて苦しいひと時があった。
それも人生。
いつか完治する日を待っていては人生は始まらないまま終わるかもしれない。
長い間お疲れさん!
そろそろ断薬してから2年と2ヶ月が経つところ。
過ぎてしまえば早いような気がしないでもない。
断薬前から、急な副作用と離脱症状とに襲われて苦しさのあまりもがきながら断薬を決行してから早2年を優に過ぎた。
生活が人生が変わってしまったクスリとの遭遇。
こうやってキッパリと断薬してまだ症状が残っている中で思うことは
長い間の服薬(頓服であり継続して飲んでも最長2ヶ月から3ヶ月、単剤少量)の中
自分ではまともだと思っていたが決して普通の神経ではなかった
ということだ。
数回の離脱経験も身体の不調として捉えたので今とは評価が全く違う。
非常に苦しい状況を身体が弱いとか自律神経失調だとかという評価をしていたのは当然だが、今はそれが甚だ間違っていたと認識している。
私の場合、23歳の時の初産でかなりの量の麻酔薬を使っている。
体質的に麻酔が効かないということを知らなかった。そして麻痺させるために局所麻酔を相当打たれた。その後、強力な抗生剤の継続的な投与、全身麻酔、再度、再々度の局所麻酔等相当量の薬剤が十数年に亘って身体に入っていった。
その間も睡眠剤や安定剤は処方されていたはずだし、体調がおかしくなってからは増して安定剤の出番がやって来ることになった。
体調がおかしくなったのはひとえに大量な薬剤のせいだと思う。
それを解毒して体外へ出す力がその当時の私には無かったのだと思う。
その不調の原因は自ずと不明であった。
つけられる名前は起立性低血圧、自律神経失調症、不安神経症、パニック障害、過敏性大腸炎ect.
途中転勤で農村地帯に住んだ。みかんの産地で目の前にみかん山。
みかんに撒かれる農薬は凄かった。なんの前触れもなく撒かれて気がつくと洗濯物はダシッパ。
その臭いは今も忘れない。
私は自分が薬剤に敏感な身体だと知らなかった。そこでの生活は病気とは違う不調で苦しんだ。パニックの初発はその時だ。
そこを離れて今の生地に帰ってから数年はパニック発作を起こしたが消えていった。
そこまでは安定剤の出番はあまり多くなく、他の薬剤での不調は苦しかったが思い返して自分がおかしかったという認識は低い。
そこからめまいが治りづらくなって段々安定剤の服薬頻度が増えていく。
そしてそれと同調するかのように私の人生も何やらエキセントリックな様相を呈していった気がする。
そう・・何かに追い立てられるかのような人生。
もっとクールだったはずの私が落ち着きをなくしいつも小走りをしてハァハァ息を切らしていたような。
感情も考えも、周りの状況に常に振り回されて流されて、今思えば自分ではなかった長い年月という感じがしてならない。
離脱症状はなかなか一気呵成に良くなるというわけにはいかず本当にしつこいものだと改めて実感させられているこの頃だが、私は長い、本当に長い間自分を見失っていたと思うし、やっと私だった私が戻ってきていると感じられてそれはとても幸せに近い感情を抱いている。
クスリは一時、生きていけないような私の状態を助けてくれて何とか生活をこなしてここまで生きてきた。引き換えに手にしたものはあまりに酷いものではあったが過去は否定できない。
私が命を生きた過去にクスリの存在があったことは否定できない。
それをよしとしてのココまでの人生だ。
私の魂の目的の一つが共感性だと教えてくれた人がいる。
共感するために私が自らこの苦しみを引き受けたとその人は話してくれた。
途方も無い話だ。
しかし自分が感じられる、考えられる範囲を超えた言葉が真実ではないとは言い切れない。
それを真実にするのは私の選択だ。
その選択をクリアな意識で間違えない。それこそが人生を豊かにすると今は思える。
今日もぐらついて苦しいひと時があった。
それも人生。
いつか完治する日を待っていては人生は始まらないまま終わるかもしれない。
長い間お疲れさん!