ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

takatsukahikaruヒーリング体験会その2.

2011年05月31日 17時29分35秒 | takatsukahikaru
2011.5.31
ソラナックス断薬1年と7ヶ月
2011.5.28土曜日
待ちに待ったtakatsukahikaruヒーリング体験会の日。私には2回目のヒーリング体験。
今回は姉も同行。
都心の街はこの前の地震ショックの静けさは消えて、また喧騒の中。雨の中駅近くのビルへ。
この前と全く変わらず同じようにシズシズとことは進む。
受付を済ませてほんの少しして姉が呼ばれる。小さなパーテーション越しに全てが見える。
イスに座った姉はヒーリングが始まってからしばらくすると首を後ろにのけぞっている。これがヒーリングの形かと眺めていたが後で聞くと自然にそうなってしまったとの事。終わってからもしばらく頭がぼ~として眠いと言っていた。
次に私の番。前回は頭をやってもらったのだが、今回は一箇所を決めかねて着いてからも迷っていた。
そして朝から姉との会話にも不自由していた耳に決定。
両耳の穴に高塚氏の指が入って治療開始。今回は前回のように途中で怖くなるような血流の変化などは感じずに終わった。しかしお礼を述べてビルから出たところで姉との会話がスムーズなのにふっと気がつく。・・・あれれ右耳が聞こえる~~~!今日もまだ聞こえている。
左の耳鳴りと離脱の不快感は前回のようには良くならなかったが右耳の聞こえはとてもビックリで本当に助かる。次回はやはり頭をやってもらおうと思った。頻脈が出た後なので心臓にしようか耳にしようか頭にしようか迷った。
でもこれら全てがクスリの影響だとするとやっぱり脳をヒーリングしてもらうのが正解かもしれない。
時間が短いので高塚氏の姿をしっかり目に焼き付ける暇なく・・・・いやそんなことはない部屋にいる時間は15分くらいあるのだから焼き付けようと思えばできる。
なんなんだろう・・・目線をしっかり合わせることがないからなのだろう・・・高塚氏がそこにいるのにいないようななんとも不思議な感覚で部屋を後にした。
氏の望みはセルフヒーリングの啓蒙。私もせっせとセルフしなきゃ!

しつこいぶり返し。

2011年05月26日 21時41分23秒 | 離脱症状
2011.5.26木曜日
ソラナックス断薬1年と7ヶ月を過ぎたところ。
先日の頻脈発作をきっかけにでもしたかのようにぶり返している。
●胸の苦しさと空咳。
●平衡失調とふらつき。
●痺れ。
●頭皮の痛み、ピリピリ。
●背中を中心に身体のこわばり、バリバリ感。
●冷感。
●目の見え方が変な感じ。
●ベース。
久方ぶりのベースが出ている。
何と言えないこの離脱症状特有のベース。身体に毒を盛られたような感じかもしれない。
一つ一つの症状は離脱症状を分解して表現するとこう列記は出来るけどという便宜上の書き方・・・・と私には思える。
身体がバリバリで苦しくても同時に足元が冷えて怪しいワナワナ感が出るってのは普通無いと思う。
なんとも言えない不快感がそれに付きまとう。その不快感をベースと呼んでいるつもりなのだが最近これって私だけ?って気になっている。
どうしても首のこりがとかふらつきがとか個別の症状だけでは説明できないこの不快感・・・もう無理かなと思ってしまうくらいの不快感が私には一番苦しい。結局まだまだ離脱が終わっていないということなのだろう。
このところこのベースが弱まって殆どやり過ごせるくらいになっていたのでこのぶり返しにまた負けてる。
ずっと続いている不眠だがこの2日間ぶつ切りでも深く眠った。
起きるのもだるくてうとうとしながらやっとこさ起き上がる。しかしその前から何となく嫌な予感がしている。起きると頭がグラグラするだろうとわかっている。起きようとすると案の定なんとも気分が悪い。
かなり前から気がついていたが眠れない日々が続くとある日眠れる日が来る。そして思いのほか深く眠るとメマイ感、平衡感覚のおかしさがひどくなる。そのままぶり返しに持っていかれる。
そこで栄養のことだがこんな記事がある。
脳内のエネルギーは、ブドウ糖からのみ作られますが、
ブドウ糖から取り出されたエネルギーは、ATPに蓄え
られてからエネルギーとして利用されます。
ATPはエネルギーでもあるのです。 実は、この「エネ
ルギー」のATPと、情報を伝える「渡し舟(神経伝達
物質)」のATPとは同じものです。
つまり、ATPは「渡し舟」としても活躍し、「エネル
ギー」としても活躍する一人二役を担うすぐれものです。
脳内のATPは、ブドウ糖からのみ作られます。 ATPを作り出すためには、亜鉛、セレン、
鉄などのミネラルと「神経ビタミン」といわれるビタミンB1・B2などの働きが必要不可
欠です。 ですから、脳内でミネラル・ビタミンB群が不足すると、ブドウ糖からATP(渡
し舟+エネルギー)を作り出す力が低下し、ATP不足となり脳の働きを低下させます。

と、こんなハナシ。
私の栄養摂取が足りないために夜深く寝ている間の脳の働きに負担がかかり起きたときに具合が悪いのではないかという仮説。
しかし冷え取り健康法の進藤先生は食べ過ぎの毒っていつも言ってるもんね。普通のヒトが考える食べすぎとはちょっと違うかも。
あまり食べない私でも食べすぎなんだと思う。
サプリはサプリでしかないから摂らない。あまり食べない。栄養ってなに?
本当に不足するってどういう状態?
また分からなくなってきた。

不眠の日々。

2011年05月24日 19時58分12秒 | 日々の症状


2011.5.24火曜日
ベンゾの服薬理由はパニックとメマイ。
パニック発作のときにはまだパニックという言葉さえなかったころ。投与された薬がどんなものであったか定かではない。同時期にメマイも起こして(浮動性)いたので何がしかのクスリはずっと渡されていたが飲み続けた記憶はない。だからその頃はベンゾの身体への作用も自覚していない。眠くなるとかぼ~とするとかいう記憶もないのでほとんど飲んでいないはずだ。その代わりといってはなんだがパニック発作の予後は悪く常に厳しい生活を余儀なくされた。メマイも同様で一回起きると治まるまで時間がかかり段々それも長い時間が必要になっていた。
1週間が2週間、1ヶ月になり3ヶ月になり・・・我慢できなくて耳鼻科へ。元々耳の手術の後遺症もあって耳鼻科へは定期健診が必要だった。メマイの検査はいつも問題なし。それでメマイカウンセリングへまわされた。
そこで3年半の長きに渡ったカウンセリングは特に効果なくお金が消えて行った。
生活の場面では子育てや親の入院やこなさなければならないことが目白押しの世代に入ってメマイでカチカチの首筋もベンゾを飲めば多少は楽で、店の陳列棚を見渡せばぐらつく目もキンキンしなくなる。
それを覚えてベンゾが手放せなくなって生活の必需品になっていった。
飲んだ後のふわぁ~とする解放感は苦しみぬいた身体には救世主のようだった。
数年は頓服で飲んで何も不都合は無いように思えたし自覚はなかったが今にして思えばその頃にはもう地獄の門をくぐっていたのだ。
眠っていてふっと恐怖で目が覚める。それは理由も無いなんとも説明のつかない恐怖。慌てふためいて自分の生活の中に何か恐怖を呼び起こすような事がないか一生懸命探す。長く生きていればそんなことの一つや二つはあるものだ。そんなことで納得して日々を過ごすうちにどうにも精神的緊張が強くなって自殺念慮に襲われるようになる。理屈も何も無い衝動が身体を突き抜ける。一線を越えなかったのは何故だろうか。自殺する理由がなかった、というのが理由かもしれない。衝動を抑えるために友人にTELをしたりして理屈に合わない自殺念慮を放棄して過ごした。そして次に来たのが不眠。元々あっという間に寝てしまうし一回寝たら起きないという恵まれた体質だった。それが入眠出来なくてこんなに苦労するとはユメユメ思わずに生きてきた。
恐怖と自殺念慮と不眠は自分の精神がおかしいという結論と共に受け入れてしまったクスリの副作用だ。断薬して最初に消えたのが自殺念慮、次が恐怖、で不眠はしつこく残っている。
もちろんメマイもぐらつきも痺れも身体の緊張も頻脈も残っているけど精神症状が一番先に消えて行ったのは私の服薬動機が精神症状ではないからなのではないか。
パニック発作も苦しかったがクスリの影響をほとんど受けずにいて今回の離脱では症状が舞い戻っているが酷くはない。しつこく残るのはやはり服薬動機のメマイと途中から服薬動機になった不眠。
最初に効いた部分が最後まで残るといわれる作用機序。
こう長いと最後なんだと言い聞かせて自分を慰めてみるが果たしてベンゾの毒の手ごわさはいかがなものか。

頻脈発作

2011年05月16日 22時14分46秒 | 日々の症状



2011.5.16

今日は午後2時からシルバーのお仕事。いつも通りでかけていつものようにあれこれして、女の子がひざをすりむいて血が出ているので消毒をしているうちに・・・あれれ・・・心臓がボコボコ始まった。いつもなら数秒で止まるのだけど一向に止まらない。
校舎の陰で収めようと息を止めてみたり、水を飲んでみたり・・・止まらない。どうにも仕方ないので早退を決めて帰宅。しかし止まらない。
友人にメールをなんとか送って返事を待つ。彼女も頻脈の持病があるのでお互い心強い。この数年彼女の心臓は反乱を起こしていないが。
氷をかじったり、頚動脈を軽く押さえたり、立ったり座ったり1時間半を過ぎようとした頃、友人が駆けつけてきてくれた。私の胸に手を当てていつものよりは拍動が弱いねと言う。確かにそうだ。いつもの強い収縮を繰り返す発作だととても家まで帰れない。
何とか話も出来るが1時間を越える頃から頭が白み始めて貧血状態。血の気が引く。
と、突然止まった。ほっ・・・。
頭がクラクラするのは夜まで続いているし、途中トイレに起きたら平衡失調が酷かった。ショックのあまりどうにかなりそう。もうグラグラ平失はご勘弁を・・・。
2005の初発時の診断は発作性上室性頻脈。止まればいいんですって医者は言ったけど止まらなかったら?
あのときのように救急車で運ばれて点滴をされては不可能。知らずにベンゾが入っているし。
ワソランという劇薬を頓服として一応持っている。今日は口に含んだ。飲もうとして止めた。それから10分後に止まった。良かった飲まずに。
しかし1時間以上は長すぎる。今も心臓の裏辺りの背中が痛む。頭がくらくらするしいい加減グレてしまいそうだわ。
まだまだ離脱は終わっていなかったなぁ。今日もご苦労さん、私の身体。一体どんなわけがあって騒いだのか?
また静かに思ってみようか。


1年6ヶ月を経過して振り返る断薬

2011年05月14日 12時12分16秒 | 断薬
2011.5.14
断薬1年半年の経過を振り返ってみたいと思う。
ズラズラ書いているのを読むと不快になる人も居ると思う。真っ最中の人は読まないほうがいいのかも。

ソラナックス(=コンスタン、ザナックス)を15年近く断続的に飲み続けた結果2009.9に急激な体調不良を起こす。
15年前当初はデパス、ハルシオンも同時服用していた。それ以前は安定剤として名前は忘れたが少しの間クスリを服用。
今まで経過が複雑なので書かなかったことがある。
長年断続的に服用し途中プチ離脱も経験し1年近くの断薬も経験している。2007年くらいから年に2回位のアルバイトをするようになってその間だけ毎日クスリを飲んでいた。
何故かといえば不眠があったからだ。そもそも不眠症ではないので長年のクスリの服用で不眠になっていたのだと思う。2009.4末でバイトが終わり2ヶ月近く飲んだクスリを止めた。多少の不調は感じたものの特に日常生活に支障はなかった。
(今から思えば精神的にかなりおかしかったが・・。)7月に入り体調も良くなっていたので月末に以前から興味のあったレイキのアチューンメントを受けることにした。
これはレイキによるヒーリングというよりは私自身がレイキヒーリングをするためのパワー伝授。もう少し言うと先生が私の体を宇宙のエネルギーが通りやすいように調整してくれるというようなこと。自分がまだ良く分かっていないのだけど、私が受けた先生は女性で元々のサイキックなので普通のレイキ・アチューンメントとは少し感じが違うのかもしれない。ほかを知らないのでめったなことは言えないが。
その後自分で自己ヒーリングを毎日やるのだけど、唱えなければいけないとされる言葉がどうしても私の性分に合わなくて・・・・そういうこと自体が好きではないので・・・・一応やって終了してみたが、その途中から微熱が出始め一気に夏から不調になり、ソラナックスを飲めばなんとかなるといつも通り薬を飲んだ途端眩暈が始まった。
レイキは自己浄化をするが、そのほかのヒーリングなどでもよく言われるけれどクスリを飲んでいる人は遠慮してくださいということらしい。私はあの時点ではクスリを飲んでいなかったので一抹の不安はあったものの決行した。
この事が離脱症状の発現と関係があるのか無いのかは神のみぞ知るでわからないけれど、症状の出方が変則的なのでずっと影響があったのではないかと思っている。良いか悪いかは別として出方の激しさはやはり急激な毒出しにレイキが一役買ったのではと思わずにいられない。
何にでも興味を持ってやってしまう私の性格だから仕方ないし、むしろ症状が激しく出ていなかったらまだ薬を飲んでいたかもしれないとおもうとまぁ良かったかと今は余裕を持てる。
2009.10断薬
苦しかった症状の中でどれが一番かと考えて思い出してみた。どれもこれも厳しかった。
夜寝ていて不眠の中で”ジェットコースターに乗って血の気が引くような”気分の悪さは本当に参った。
低血糖か低血圧かと飴をなめたり、血圧を測ってばかり。毎日一日中血圧計と首っ引き。
頭から地中のブラックホールに引きずりこまれるような貧血感。
ベッドに横になると船の中で寝ているような揺れが始まる。
眠気がまったくない中で気絶のように眠る短い睡眠。起きると10分しか経っていない。5分眠るだけでも命は繋がるからと整体院で励まされ生きていた。まだ睡眠は改善されないが”まぁいいか、仕方ない”とは思える。
夜中居ても立ってもいいられずユタンポをお腹に仕込んで寒空に飛び出したのも1回や2回ではない。
昼間ウオーキングをはじめたのは断薬2ヶ月以上経ってから。
信号待ちが辛くてたまらない。歩き始めは特にぐらつきと体中の緊張感で死にそうになる。苦しくて苦しくて涙が出てくる。
足はなんともいえない経験の無い不快な感覚で歩きたくない気持ち100%。一歩歩くたびにぞわ~というような気持ちの悪い感覚でこれも耐え難い。
3ヶ月が経つ頃には私の気持ちではもう終わると思っていた。だから毎日あせるわけだけれど今から思えばとんでもない甘い考えだった。
体を自由に動かせないというのは何と説明すればいいのか。イスから立ち上がるのにも頭の中で一回シュミレーションをしてから酷く気合を入れて立つ。お風呂に入るのもそう。お風呂から出るのもそうだし着替えをするのもよくシュミレーションをしてからやっていた。
もっと細かく言えばイスの背もたれに体を預けようかどうしようかと考えてから体勢を変える。変えるときは意識集中して変える。普通の状態の人からするとこれは驚愕の生活ではないか。
こんな生活は精神を追い込んでとても並みの神経では生きていけない・・・しかし死ねないので泣きながら生活する・・あるいは無表情で人との関わりが出来ない中で生きて行く。ぎりぎりの命。
自死した人もかなりの数でいるのではないかと思う。
生活が出来れば良いというものではない。これら全ての生活に、いや生きていることそのものに耐えられないような苦痛が伴う。息を吸うのも吐くのも苦しみ、歩くのも座るのも、何をするのも苦しい。一時でも安らぐ瞬間が無い。
歩くときの体の不快感、神経の異常感は綺麗に無くなってはいない。日によって厳しいと感じる日もある。
あの頃の、明日もまたこの苦しみが続くのかという絶望感と半年経っても新たな症状が出たりする予期不安、そして有効なてだてが無い無力感は本当に出口が無かった。
長い時間、言葉にしようとトライしてきたがまだまだ難しい。この例えようも無いもの。痛いの痒いのと症状を書くとそのほうに注意がいくがこの離脱の本性は本当はそこではない。
神経系統が狂ってしまうと人間の体はどんな苦痛を味わうのか?これからも言葉に出来るようもう少し頑張ってみるつもり。



最後の整体。

2011年05月11日 00時00分11秒 | 整体


2011.5.11
断薬1年と6ヶ月を過ぎた。
この前の金曜日、最後の整体の日をしみじみ過ごした。思えば2005年に心臓発作を起こして入院してしばらくしてから巡り合った整体院。6年になろうというところだった。私の家の事情で以前のように続ける経済状態ではなくなった。
長いこと週一回、体調の酷いときは2回施術をお願いした。特に2009年10月断薬からは悲鳴ばかりをあげて”助けて!”の連続。治療自体も辛い、お話中もまともに座っていられない中でどれだけ励まされたことか。
”もうダメ、もう無理・・・、川に飛び込む”毎回私の言うことは同じ。”もうすぐ終わります。もう終わっています。””大丈夫です。あと少し”言われるたびに安心して家に帰ると不安になって。どうしても堪えきれないとFAXまでして。それでもいつもいつもやさしく私が気後れするようなことは何も無いかのように私自身に集中できるように配慮頂いた。あそこに行くと私が主人公。尽きない自分への興味をあられもなく拡げて見せてきた私。それがどれだけ心地よかったか。
自分にとって大切な特別の場所。だからこそつぎのステップを登らなくてはならない時が来るのはわかっていた。人は誰だって自分の羽で飛ぶものだから・・・。今思えば突然降って湧いたような違う世界。心の底が喜びで興奮する世界。言葉にならない言霊が行き交う世界。安心を覚えた場所。
見苦しさも何もかも出して来た私の姿に失望も期待もない。
Gご夫婦お二人が私にくれたものは”私が私を好きになること”
この宇宙でたった一人のこの特別な存在の私。全ての人がそうでありそして全てがひとつ。

アルバイト・・・。

2011年05月01日 17時33分24秒 | 日記
2011-5-1
断薬1年と半年
人生の面白さ。負け惜しみ?
経済破綻が発覚してから気持ちが楽になった。整体では自分でやったといわれた。もちろんやったのはツレだけれどこの状況を作り出したのは私だと。
深い因縁がおんねん・・。
自由になりたかった私の心が生み出した現実かもしれない。
あれから酷いぶり返しが無い。今日などは胃の辺りがむかつくし体はがちがちで頭もぐらつけど船酔い状態が随分改善されている。
今日からシルバー人材センターのお仕事。週2回で3時間半。小学校の校庭で放課後の子供達の監視員。時給は最低賃金。
子供達の声が耳に響いてつらいなぁ。子供きらいなのかなぁ。可愛くないなぁ。何が言いたいのかよくわからないし生意気だし・・・あれを元気一杯とかいうのか・・・。悲しい思いをしないでスクスク育てよとは思うけど手ごわい相手だ。要するに私が子供なんだね。
あまりの声の大きさに耳を塞いだ。時々う~んという体調になったが気にしない音頭を唄ってやり過ごす。短い時間だったのでなんとか無事終了した。
文句は言うけどこのくらいラフなバイトじゃないと出来ないのかもしれない。夏と冬の心配はあるけど今はとりあえずいいか~。
最近ヘンプを編む時間が取れない。あわただしいばかりで落ち着かない。
新しい画像もUPできないのでブログの頭が寂しい
寝る前と起きたときにエミールクーエの提唱する自己暗示をやってみた。
入眠困難なのだけれどいつの間にか眠っている。しかし何故か睡眠感がない。ぶつきりで5時間くらいは眠ったはずなのに気持ちが良くない。私の無意識が語りかけに抵抗しているのかもしれない。・・・ということは私は眠りたくない?!!なんてことだ!!



自己暗示〈新装版〉
クリエーター情報なし
法政大学出版局