「無始」と「積極的不可知論」

和尚さんによる「無始」の解説へのトラックバックです。

世界の始まりは、無い、あるいは解らないという、「無始(むし)」の考えは、「積極的不可知論」に通じるところがあり、共感します。

立花隆さんが書いた「宇宙からの帰還」の305ページで、宇宙飛行士のエド・ギブスン氏が、次のように語っています。

--- すると、あなたの場合には、宗教を信じているというよりは、むしろ不可知論。
「そう、一種の不可知論ではある。しかし、そんなことはわからんと投げ出す不可知論ではなく、わからないのが正しいとする積極的不可知論だ。そして私は、この不可知論の中にほんとの宗教性があると思っている。なぜかはわからぬが、この我々の宇宙はとてつもなくよきものである。そういうものとして我々の前にある。それでよいではないか。そこから出発しようというのが、私の基本的な立場だ。」

人間を超える何らかの存在を信じるが、それが、単数か複数か、男か女かどちらでもないか、自分には解らないし、解らなくてもかまわないというのが、私の積極的不可知論です。

宇宙からの帰還

中央公論新社

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