疲れています。
会社で仮眠していると、隣に寝ていた同僚から「うなされていました」とよく言われます。
一つは、身体の疲れ、もう一つは心の疲れ、が考えられる。
身体の疲れのときは、痛い痛いというらしいです。
うなされるときは、夢だったり、その他のもので苦しんでいる時でしょう。
寝ているときは自我を失っていたり、薄くなっていたりしているのでしょう。
原因は良いものであれば良いのですが、
必ずしもというか、そうでないものの方が圧倒的に多いのでしょうね。
人の価値観、正義観、宗教観、倫理観はさまざまに違い、
人と話しているうちに、相手の光も闇も
私は、感受してしまう時があるのです。そして自分の誤りや悪や未熟さも、相手の同様の内容も考えてしまう。気づいてしまう。
チャンネルが近ければガラスのように、プリズムのように、透過してしまうこともあります。
鏡のように、相手と自分を反射させて比較しまう。自分が誰よりも罪深いくせに。貧しいくせに。
相手は気が付かない
(もちろん、感受性の高い人は別です)。
私の誤魔化しにも、私の本心にも、苦しみにも相手は気が付かない。
犬猫や小鳥が暗黙のうちに、同類を好む、愛する人を選ぶように、私も暗黙のうちに感じてしまう。
喜びとはなにか。幸せとはなにか。
他の人から、良い人と言われても、
私は自分が誰よりも、肉体的にも精神的にも、貧しく、
誰よりも神の憐れみを乞わなければならないというのを理解しています。
良いのは神の基準であり、人の基準でないのだから。
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