年の瀬に思う (3)
先に8日のブログでもご紹介した 川越亀屋さんの今週のシュークリームです。前回はマロンでしたが 今日はキャラメル風味のユニークな味でした。 来週は蓬(よもぎ)味だそうですが 毎週変ります。
毎週お稽古に通っている先生のお宅のペットたちです。
手乗りインコのピーちゃんと、ハムスターの○○君です。
そして先生のお宅でみかけたセンスを感じさせる置物など数点。
お稽古へ行く道すがら 暮れの花十景
ところで昨日のブログでご紹介した浅草寺ですが、開創された西暦942年(天慶5)は平安時代中期にあたります。天皇は朱雀天皇(938-947)であり、この頃 都では 疫病と飢饉に供え賑給(しんごう)という制度がありました。
賑給(しんごう)は、古代日本の律令制の下で、貧民・病人の救済のために朝廷から米や塩を支給する制度をいいます。麻生さんが実施に手間取っている景気浮揚の苦肉の策とは異なりまさに貧しい民の救済制度です。
元々は飢饉や災害に対する救済制度であり奈良時代にはじまったものですが、平安時代以降になると救済範囲も平安京内の貧窮者などに限定され、平安時代中期以降には毎年5月に支給するという具合に形骸化し、年中行事のようなものに変質していました。
掲題の天慶5年(942年)6月は疫病と飢饉によって多数の死者が出たため直ちに賑給使が定められ、このときは廩院に米の蓄えがなかったため常平所の米を左右両京に支給しています(『本朝世紀』)。
794年に桓武天皇が平安京(京都)に都(首都)を移してから、鎌倉幕府の成立までの約390年間平安時代が長く続いた理由のひとつかもしれません。
掲題の6月は年中行事とは別の臨時的な措置でした。こうした臨時的な賑給は長承4年(1135年)3月の「院臨時賑給京中、於河原給之、千万人集会」(『中右記』)などの例もあり、賑給そのものが年中行事化した平安時代中期以後も状況に応じて行われたようです。
しかしこのような困っている庶民の救済制度も1192年鎌倉時代のスタートとともに廃絶していきました。
歴史にはロマンがあり最高の教科書になってくれます。 ここでも形骸化した効果の弱い救済制度は長続きしないことや、不況時に行政がすんなり捗らないこともしっかり教えてくれています。麻生さん 歴史本も少しお読みになってはいかがでしょうか?
今年も残すところ10日ちょうどになりました。
どちら様も ご自愛いただきますように。
今日もお立ち寄りいただいて有難うございます。
それが今の京都であると言う認識が、恥ずかしながらありませんでした。
鎌倉幕府の成立までの約390年間平安時代が長く続いたと言う事も理解していませんでした。
徳川幕府260年を遥かに超えた時代が有ったのだ。
ありがとうございます。
平安時代については 多くの人がそうですねえ。
約390年間にわたって長く続いた事実を忘れがちですね。 ひるがえって言えば 栄華を極めた平家の滅亡にも 繋がっていきます。
奢る平家は久しからず。奢る自民も久しからず。
麻生さんには 教訓の多い歴史がそこにあるのですが・・・。
「丼」