6月は5日から26日までは 昼の長さはおよそ14時間30分から35分あり 一年のうちで最も昼間が長い期間が3週間続きます。
6月は5日から26日までは 昼の長さはおよそ14時間30分から35分あり 一年のうちで最も昼間が長い期間が3週間続きます。
東京都の日の出の時刻は今年のケースでは6月5日から21日まで毎朝4:25台を推移していきます。
この間 日の入は18:54から19:00までおよそ6分間ゆっくりと遅くなっていきます。
6月22日の日の出の時刻が4:26台に移動しますが、同時に日の入は19:01となりこの状態が2日間続くため 一日の昼の長さは14時間35分と変わりません。
今年2022年は 6月21日が夏至になります。 日の出から日の入りまでの時間がもっとも長い日が夏至です。 いつが夏至かは天文学的に決まり、 毎年、6月21日か22日です。
6月26日からこの日を境に、だんだんと日が短くなっていきます。 ちなみに、夏至という日本での名前は、二十四節気(にじゅうしせっき)という中国の古いこよみから来ています。 「昼の時間が長い」というのは北半球での話で、南半球では同じ日が、もっとも昼の時間が短い日になります。
同じ日本でも、緯度によって微妙に変わります。 例えば東京(経度 : 35.6895緯度 : 139.6917)だと、夏至の日の昼は14時間35分。 明石(経度: 34. 6431緯度:134.997)では日の出の時刻が4:46 日の入は17:16 昼の長さは14時間35分です。
ところで 二十四節気は中国で生まれた暦のため、ネーミングの季節感が日本とは微妙に違う部分があります。 例えば、立秋が8月7日ごろだったり、夏至は梅雨のない北海道を除いて、ほぼ日本全域で梅雨だったりします。
そのため、雑節(ざっせつ)という日本独自の暦を表す言葉も生まれました。
八十八夜(5月1日or2日)、入梅(6月10日or11日)、半夏生(はんげしょう:7月1日or2日)、土用(7月19日or20日)といったものです。
雑節の日付は二十四節気を基準に算出されるため、太陰暦と関係なく、太陽の動きで決まります。
つまり、今の太陽暦とほぼリンクしていて、夏至や冬至と同じく2日間のどちらかです(まれにズレるときもあります)。
続いて 七十二候では、
冬至の頃に芽を出した「靫草(うつぼぐさ)」が枯れていく頃。
シソ科のウツボグサの花穂が黒ずむ季節です。その姿が枯れたように見えることから乃東(なつかれくさ)と呼ばれました。漢方薬としても夏枯草(かごそう)の名前で呼ばれています。色鮮やかな夏の花が開花するという時期に、枯れていく花に思いを寄せた言葉です。
菖蒲の花が咲き始める季節です。菖蒲が咲くと梅雨到来の目安でした。
「いずれがアヤメかカキツバタ」という慣用句がありますがアヤメ、ハナショウブ、カキツバタはよく似ており、見分けがつきにくい。
どれも素晴らしく優劣は付け難いという意味ですが、見分けがつきがたいという意味にも用いられています。
紫、まれに白 主脈不明瞭 網目模様が特徴。外側の花びらに黄色い模様があり かわいた所に育つ( 5月上旬~中旬 )
紅紫、紫、絞、覆輪など 主脈太い 網目なし、花の色はいろいろあって 湿ったところに育つ( 6月上旬~下旬 )
青紫のほか 紫、白、紋など 主脈細小 網目なし 水中や湿った所に育つ( 5月中旬~下旬 )
堀切菖蒲園によると花びらから見分けるしかないのですが、
花びらに網目模様が有るのがアヤメ。
花びらに網目模様は無く、白い斑紋が有るのが カキツバタ。
花びらに網目模様は無く、黄色い斑紋が有るのがハナショウブだそうです。
半夏が生え始める季節です。半夏とは、烏柄杓(からすびしゃく)というサトイモ科の草のことで漢方薬にも用いられます。
半夏(からすびじゃく)が生える頃であり、半夏生の名をもつ草の葉が白く染まる頃は農事の節目ともされており、田植えを終わらせる頃です。
オクラの粘り気は、免疫力を高め、胃の粘膜を強化し、ストレスで弱ったお腹の調子を整えてくれます。
夏みかんは、疲れを和らげるクエン酸と、日焼けした肌に効く、美肌効果のあるビタミンCがたっぷり詰まっています。酸味が強く、香りがいいのでレモンの代わりとしても重宝します。
川によって味が違うといわれ、きゅうりに似た独特の香りから、「香魚(こうぎょ)」とも言われます。
六月の末日(晦日)は、十二月の大晦日と同じく「大祓(おおはらえ)」の日です。
この日は各地の神社で、罪や厄災を祓う「夏越の祓」が行われ、茅草でつくった輪をくぐる「茅の輪くぐり」が行われます。
毎年 紫陽花を見ているとNHK大河ドラマ「花神」に出てきた浅丘ルリ子演じるオランダおイネを思い浮かべることがあります。(昭和52年 1月~ 12月放送 原作-司馬遼太郎 中村梅之助主演 )
オランダおイネとは日本の女医第1号として紹介されているシーボルトの娘イネ(楠本伊篤)のことです。シーボルトの娘・イネは、多くの成書には日本の女医第1号として紹介されているそうです。
イネより前に幾人かの女医が存在しているようですが、西洋医としては最初の女医といえます。イネの父親であるシーボルトは、かつてアジサイに魅せられ、その苗を西洋に持ち帰り、広めた人物としても知られています。
シーボルトは1823年27才の時、来日。それから1829年までの約6年間、日本に滞在しました。医学はもちろん動物学、植物学、地理学、民俗学にも精通し、奉行所の許可を得て、長崎・鳴滝に「鳴滝塾」を開きました。
そこで、全国から集まった塾生に西洋医学を教える一方、彼らの力を借りて密かに日本の植物や風景、風俗、習慣などあらゆる分野の調査を行いました。 いよいよ帰国という時、国外持ち出し禁止の日本地図や葵ご紋入りの紋服など多くの禁制品が発覚。
有名なシーボルト事件が起き、シーボルトも、1年以上調べられて彼は国外追放となったのでした。 長崎を去ったとき、シーボルトと出島に出入りする遊女「お瀧さん」との間に生まれた娘のイネはまだ3歳でした。
シーボルトは、阿波出身の高良斎(こうりょうさい)と阿波出身の二宮敬作に、瀧とイネのことを頼んで日本を去ります。 お瀧さんに育てられたイネは12歳のとき女医の路を選択。 宇和島の二宮敬作のもとで、医者になりたいことを告げます。
わずか12歳の女の子が女医になることを決意したのです。 イネの母親お瀧さんも只者ではない女性と言えます。
宇和島の二宮敬作は備前(岡山)で産科を開業していたシーボルト時代の友人石井宗賢のもとに、おイネを派遣します。 19歳であったおイネは産科学を学び、その過程で石井宗賢の子も出産しますが、やがて長崎に帰ってしまいます。 そして、長崎で産科を開業していました。
二宮敬作は長崎に行き、宗賢との件を知り、怒り 再び宇和島にイネを招き、その地で開業させました。
当時宇和島には、長州藩の医者「村田蔵六」が、長州を逃れて滞在していて、秀でていた洋学の軍事学を教えていました。 村田蔵六は、おイネにオランダ語を教授しています。 大河ドラマ「花神」では ここでおイネも登場します。
後にシーボルトは、安政6年(1859)7月6日、30年振りに長崎に再来日し 瀧、娘のおイネ、そして二宮敬作とも感激の再会をしました。 3歳であった、おイネも33歳の立派な産科医に成長していたのです。
幕末から明治にかけては 多くの女性が 活躍していますが、 苦難を乗越えイネの歩んだ路も日本の医学の歴史に残る画期的なものであったといえます。
暑いのでお互い気を付けましょう。
いつも書き込み有難うございます。
紫陽花を見ているとなぜか「花神」に出てきた浅丘ルリ子演じるオランダおイネを思い浮かべるのです。
女医に対する個人的憧れとあの頃の浅丘ルリ子さんへの憧れが原因です。この話は新川べりの夜遅くまで続いたあの会話の延長線上にあります。
記事を読んで 21日KRさんから「二宮敬作は誠に懐の広い人ですね。高野長英をかくまったことも御存じでしょう。卯之町にその隠れ家があります。私(KRさん)の小中時代の同級生にも同姓同名の敬作さんがいて、八高の同級生の従兄半の人だそうです。」との便りがありました。 そのせいか二宮敬作という名前は他人には思えないようですね。高野長英をかくまった点など さすが彼女の視点は一歩違う。 丼